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『オントロジー』──6色の青空

はじめに

 2020年1月23日、バーチャルライバーグループのにじさんじからあるユニットのメジャーデビューが発表された。正確には、メジャーデビューが発表されたのは2019年12月8日に行われたライブイベント『Virtual to LIVE in両国国技館 2019』で、年を跨いでいざデビューするメンバーの発表が行われた形である。
 メンバー発表の配信はTwitter世界トレンド1位を飾り、多くの人がデビューを決めた6人を見守った。1人ずつ発表されていくメンバーは個々人の活躍こそ知られているものの、繋がりという繋がりのない、明け透けな言い方をすれば"シナジー"のない面々であった。
 やる気に満ち溢れつつ、ややぎこちなさそうに談笑するかれらを、期待と心配の入り混じった感情で祝福したことを覚えている。

 かれらのユニット名は雨粒をあらわす《Rain Drops》。5月13日にはファーストミニアルバム『シナスタジア』をリリースしている。
 そして先月の11月25日、かれらのセカンドミニアルバムがリリースされた。ファースト『シナスタジア』に沿う形で、セカンドミニアルバムは"存在論"を表す哲学用語から『オントロジー』と名づけられた。収録された7曲についてもこのテーマを感じられる内容が多く、かれらが自分たちの存在について追求するようなアルバムになっていると感じる。

 私はアーティストとして、そしてライバーとして活動するかれらRain Dropsの一ファンだ。そんな自分の視点から、『オントロジー』に収録される楽曲を聴いて感じたこと、そしてかれらが受けたいくつかのインタビュー記事を読んで考えたことについて書いていきたい。

 Rain Dropsのメンバーはえる、三枝明那(さえぐさあきな)、ジョー・力一(りきいち)、鈴木勝(すずきまさる)、緑仙(りゅーしぇん)、童田明治(わらべだめいじー)の6人。『オントロジー』ではじん、柊キライ、ツミキが楽曲を提供しているほか、『シナスタジア』収録の『セルフィーDimention』にも参加したeba【cadode】、『ジュブナイルダイバー』に参加したゆーまお【ヒトリエ】とウエムラユウキ【ポルカドットスティングレイ】が作曲を担当。またメンバーのジョー・力一、三枝明那、鈴木勝が一部の作詞を担当しており、それぞれ三枝明那、鈴木勝とタッグを組む形で『VOLTAGE』作詞の藤林聖子、RUCCAが参加している(敬称略)。
 どのクリエイターも、ネットの内外で目覚ましく活躍されている方々だ。中でもアルバムリード曲である『オントロジー』含む2曲を作詞作曲したじん氏は、童田明治にとって非常に思い入れの強いアーティストであったことが、数々のインタビュー記事や彼女のツイートなどからうかがえる。

1.雨言葉

 そんなじん氏がRain Dropsに提供したひとつ目の楽曲が、このアルバムの一曲目『雨言葉』である。

そして世界は 雨音に満ちて

 歌い出しは童田明治。採用するテイクをギリギリまで迷っていたという彼女の歌声は決して鋭くなく、しなやかに、まっすぐ耳に届く。情感豊かな歌声である。トーク中の可愛らしい声とはまた違う、不意に心を解かれるような、暖かく美しい声だ。
 やさしくも切なげな歌声は、たちまち視界に広く、水彩を滲ませたような灰色の空を感じさせる。反復されるピアノは、降り止まない雨音のようだ。そんな雨模様の世界で、この曲は展開されていく。

 アルバムの中でも、6人の歌声が特にやさしく、穏やかなのがこの曲の特徴だ。寄り添うような歌詞が、かれらの声に乗って沁み入ってくる。印象的だったのは、1番サビのラスト、鈴木勝の歌唱パートだ。

僕らこんな風に 心をつなぎ合わせて
少しだけ 近づけそうだね

 最初にこのパートを聴いた時、彼がアルバムの発売1週間前に行っていた配信(※1)を思い出した。配信の内容は、リスナーと一緒に流星群を見るというものだ。TwitCastingで行われていたこの配信で、彼はコメントと会話をしながら、星が流れるのを待っていた。同様の配信を見たことはなかったが、流れ星を見逃した彼の悔しそうな姿や、ぽつぽつと交わされる世間話に、まるで隣で一緒に星を見ているような気分に浸ることができた。彼は普段から、ファンの感情に寄り添い、同じ星を眺めるような体験をファンと共有しようと努めているのだと思う。そんな彼が歌う「少しだけ近づけそう」という歌詞は、強い実感を伴って聞こえてくる。

 この曲のテーマは非常に些細である。誰かに「辛いね、そうだね」と共感を投げかける、たったそれだけだ。たったそれだけのために、あらゆる言葉と歌声を尽くしているのだ。共感すること、寄り添うこと、歌を聴く誰かの傍らに存在することが一番大切にされている。この曲の優しさは、おそらくそういったところにある。
 辛い時に「前を向こう」と励ましてくれる歌がこの世にはたくさんあるが、前を向くのには準備がいる。『雨言葉』には、その準備をさせてくれる許容と根気強さのようなものを感じるのだ。

2.ラブヘイト

 『雨言葉』とは対照的に、時に攻撃的な言葉や感情が込められているのが二曲目『ラブヘイト』。ストレートな歌詞は、藤林聖子氏と共に作詞を手がけた三枝明那も話すとおり、ある想いを抱えている者にとってかなり"刺さる"内容だ。

 この曲では一貫して、「あなた」への好きと嫌いが歌われる。そして2番のサビでは、相反する感情が「あなたみたいになりたい」という強い憧れの形として浮かび上がってくる。
 才能や性格、あるいはもっと他の理由から生まれる ”自分もあのひとみたいになりたい” という感情は、誰しも一度は抱くものではないだろうか。作詞を担当した三枝明那は、インタビューにて、描かれている感情を「『にじさんじ』という事務所に入るまでの自分のことでもあります。」と語っている(※2)。強い憧れを抱くほど好きなのに、自分自身がそう在れないことに対するもどかしさから憧れの対象に嫌いを突きつけてしまう。ひどく自分勝手な感情だ。しかし、似たような感情に覚えがある人にとっては共感せずにいられない歌詞なのだ。サビの入りが「あなたは結局向こう側のひと」と相手を突き放すような歌詞であることから、この曲の語り手たる「僕」が、自身の抱いている愛憎ともいえる感情に振り回されていることがわかるだろう。

 しかしこの曲にはいくつか不思議な点がある。例えば、1番サビのこの箇所だ。

羨望といたたまれなさの
雨に打たれ続け
それでもWhy?
 あなたを追いかけてしまう

 歌詞がいたって冷静なのである。感情に振り回されているのであれば、「あなた」への憎しみや自身への苛立ちが、もっと主観的な言葉で語られている方が自然ではないだろうか。
 さらに不思議なことに、もどかしい感情をこれでもかと伝え、パートによっては内省的にも感じる歌詞であるのにも関わらず、『ラブヘイト』の曲調は非常に明るいのだ。メンバーも、元気で可愛らしいとすら言える歌声が目立つ。特に童田明治の歌声は、アルバムの全曲中でこの曲のものが一番年相応に幼く、可愛らしいのではないかと思う。
 これらのちぐはぐな印象は、しかしラスサビ手前でスッキリと解消される。

今を生きる(あなたに)
惹かれてる(もう待てない)
あなたが差し出した 腕を掴み
僕は走り出してた!

 注目されるのは、「僕」が「走り出してた」という表現である。走り出した、ではなく走りだし"てた"ということは、「僕」は走り出すその瞬間まで、自分が走ろうとしていたことに気づいていなかったのだろう。
 そして走り出した自分に気づくと同時、「僕」は初めて、自分の中に溢れていたエネルギーの膨大さにも気づくこととなる。「僕」の感情が、明るくパワーに満ちた曲調に追いつくのである。鼓動の高鳴りを意識させるようなギターの旋律と、思わず身体が動いてしまうドラムの響きに、先程のような違和感やちぐはぐさは感じない。むしろ歌詞と曲調がピッタリとはまっている。

 終盤を一気に駆け抜けた後の、パワフルで抜けるように明るい「好き」と「嫌い」の爆発は、痛快な愛の告白にも聞こえる。

3.ソワレ

 『ラブヘイト』ではさんざん照り輝いていた太陽が、この曲では地平の裏に隠れている。三曲目、夜公演を意味する『ソワレ』と題された雅やかなこの曲は、Rain Dropsの中でも年齢が上の3人が歌唱。男声パート担当である三枝明那、ジョー・力一のデュエットに、フィーチャリングとしてえるが参加する形だ。

 エンジンキーを差し込む音と車のクラクションが聞こえると、思わず耳を傾けてしまう。そんな仕掛けから始まる前奏は、シンプルで聴き心地が良い。日の暮れる頃、あてどもなく車を走らせているような解放感と高揚が感じられる。
 曲の舞台は、とあるダンスホールだ。パートによって、ダンスホールにたどり着いた若者、そこで歌う歌姫の少女、そしてダンスホールを取り巻く人々にスポットライトが当たる。歌唱メンバーの歌い分けとウエムラユウキ氏の演奏、想像力を掻き立てる遊び心豊かな歌詞が絡み合い、描き出されるイメージのどれもが魅力的に感じられる。

 特に伴奏・歌詞・歌唱すべての表現が鮮やかなのは、2番Bメロ、えるが歌唱するこの部分だ。

今日はまだ折り返し 共感覚繰り返し
どんな音と光? きらびやかに浴びて なびいて
冒険する 無鉄砲級Step on the midnight 調合してSpice of life

 えるの歌唱パートは、歌詞に迷いがなく、音楽はリズミカルで、歌声は常に優雅で楽しげである。弾むように歌われる「今日はまだ折り返し」というフレーズは不思議と心強く、眠らない夜のおまじないのような響きだ。「無鉄砲級」「Step on the midnight」の韻は自分でも口ずさみたくなるくらい気持ちが良い。きらめくミラーボールの下、ダンスホールの真ん中で、くるくると楽しそうに舞い踊るえるの姿が目に浮かぶ。

 作詞を担当したジョー・力一は、この曲中のできごとを「日常の中のちょっとしたイレギュラー」と表現している(※3)。そんな日常のストーリーであるからこそ、些細な心情の変化がドラマティックに映って見えるのではないかと思う。『ソワレ』の終盤では、そんなひっそりとしたドラマが展開される。

振りかざすその手の向こう 朝は来ると知ってても
目を閉じないでよ まだ 踊り続けたいなら

 ここではジョー・力一、三枝明那、そしてえるの順番でソロが続く。ラスサビ前の短いパートながら、3人の歌い方の違いが曲の世界観に奥行きを持たせている。
 例えば、三枝明那の歌い方は非常に感傷的だ。かすれて消え入りそうな高音は、楽しい夜が去ってしまうことへの切なさを感じさせる。ジョー・力一のパートは静かで落ち着いた情景描写ではあるものの、声音にはどこか名残惜しさが滲んでいる。
 えるのパートは、さみしげな雰囲気に寄り添うように始まるが、途中でグッと明るい歌声に切り替わるのが感動的だ。最後のフレーズでは、本来はアクセントのない「なら」に一番力がこもっている。えるの力強い魅力ある歌声が、まるで身体をひとつ引っ張り上げてくれるように、まだ踊りたいと心から思わせてくれるのだ。

眠らない夜の歌を 夢みがちなまま歌おう
ガラじゃなくても跳んでみよう 君を見つめるダンスホール

 さっきまで儚げなことを言っていた若者は、歌姫の誘いに導かれてダンスホールに跳び出していく。「ガラじゃなくても跳んでみよう」という歌詞はダンスホールの中に縛られない、普遍的な勇ましさを感じるフレーズだ。

 夜が明けないなんてことが稀であるように、この曲が描く変化は、誰かの世界をガラっと変えてしまうような劇的なものではない。しかしそんな奇跡と見紛ってもいいといえるほど、カラフルなネオンに彩られた夜は、きっとキラキラと美しい。

4.ミュウ

 今までの曲とは打って変わり、胡乱な空気が流れる。四曲目、柊キライ氏が手がけた『ミュウ』は、怪しい雰囲気ながらも6人の美しいコーラスが魅惑的な楽曲である。

 まず第一に印象に残るのは美しい、そして美しい以上にあまりにも厚く複雑な声の重なり具合だ。メインパートを2本ずつ録音したというこの曲は、常に誰かが背景で歌っている上、メインパートを歌うメンバーもころころと入れ変わる。一度ではとても全ての歌声を拾いきることはできないので、繰り返しこの曲を聴き込んだ人も多いのではないだろうか。
 特にRain Dropsの低音パート担当であるジョー・力一は、全体コーラスの最低音から、自身が歌唱したパートのオクターブ上のコーラスまで、非常に広い音域を担当している。様々な声を操る彼の、本領発揮ともいえる曲になっているだろう。
 パートごとに歌声を聴き分けたり、ひとりのメンバーの声を追いかけたりしているだけでも、聴くたびに少しずつ違う面が見えてくる。薄暗い霧の中に少しずつ光を当てていくような、冒険心を刺激する楽しみ方ができるのも、この曲の魅力のひとつである。

 この曲の歌詞は難解で、メッセージやストーリーの解釈も聴く人によってバラバラなのでないかと思う。強く感じた要素は、「祈り」と「追いかけられている感覚」である。

主よ 主よ 主よ

 曲の中で何度も繰り返されるこの歌詞は、短いながらもコーラスの重なりが際立ち、曲中でも重要なタイミングに配置されているフレーズだ。祈るような印象にしたかった、とメンバーが話していたパートでもある。
 このパートで最も特徴的なのは伴奏だ。ボーカルの展開から一足遅れて、追いかけるように音が続いている。追いかける伴奏は大きく、重く、そして激しい。扉を乱暴に叩く音や、怪物のような何かが立てた足音のようにも聞こえる、恐怖心を抱く響きだ。2番では激しい音は鳴らないが、代わりに不安定なピアノのリズムが印象深く奏でられる。足元の覚束ない中、まるで舞台の外側から未知のものに追いかけられているかのような恐ろしい構図の中で、6人は健気に、あるいは勇ましく、祈るように歌を重ねる。
 追いかけられているのは、果たしてかれらなのだろうか。だとしたら、まるで影のようにかれらの後を追いかけているのは誰なのだろうか。それはもしかしたら「主」そのものなのかもしれないし、どこか遠いところからこの曲を俯瞰している「私」であるのかもしれない。

私はここから悠久の帳の端まで満ちてくの
そう眠りに眠った果てには何もないんだから
こんなことに意味はないのだから

5.ミスティック/マインワルド

A R E Y O U R E A D Y ?  踊れる奴はほら手を掲げC L A P!

 『ミュウ』の怪しく荘厳なメロディが途切れた途端、聞こえてくるのはテンションの高いラップである。五曲目、『ミスティック/マインワルド』は、華やかさに溢れつつもどこかに恐ろしさを内包した、不思議な楽曲となっている。

 アルバム収録曲の中でも難易度が非常に高いこの曲では、それゆえに6人それぞれの歌唱技術を堪能できる。特に注目されるのが冒頭でラップを披露したジョー・力一、そしてそれぞれ特徴的なソロパートを担当した三枝明那と緑仙だ。

サア皆 カーニバル 此処はこころを吐き出す場だ だから乱す
其其(それぞれ)のアンサーと化す秘密の部屋だ

 冒頭のジョー・力一のラップはとにかく滑舌が良く華麗である。「其其(それぞれ)」というワードの的確な発音からは、彼の油断の無さがうかがえる。また、言葉が途切れるタイミングで、コールを煽るように声音を裏返すのも印象的だ。他メンバーの威勢のいいコールも手伝って、冒頭十数秒で享楽的なこの曲の空気を見事に演出している。

 跳ねるようでどこか不安定なAメロの歌い出しは、三枝明那の担当パートだ。耳元で声をひそめて語りかけるような始まりから、スッと突き放すように歌声が脱力する。ワンフレーズで親しみと近寄りがたさの両極端なイメージを抱かせる、絶妙なニュアンスである。
 緑仙は、丁寧な発声と舌ったらずな歌い方を工夫して使い分けている。1番Bメロの「ツメを立てて 不安を弄(もてあそ)ばす様にさ」のパートで顕著なように、幼さとかっこよさが両立した声音を操り、楽曲の世界観に没入させてくれる。
 三枝明那と緑仙は、メンバーの中でも特にメロディラインを感情的に歌い上げることに長けた2人だと感じる。声の震えやかすれ、リズムの取り方などを使い分けながら、自身の視点で歌唱パートを構成している印象だ。サビ前のソロパートでは、胸を押さえながら歌っているかのような切実さや、拗ねたような幼い羨慕が、それぞれの歌声に滲んでいる。

 この曲では、2番のサビからところどころ不協和音が響く。1番からとおして聞いていると、かなり戸惑いを覚えるアレンジだ。恐ろしいのは、メンバーは1番と変わりなく、愉快そうに歌っていることである。この曲の狂乱的な面が覗き、一方的に感覚のズレを感じてしまう。まるで画面の中の人物たちは楽しげに踊っているが、その映像自体のドットがズレているような違和感である。

此の歌が仕舞う迄答は秘密 知らない儘(まま)踊ろうよシャングリラ!

 タイトル『ミスティック/マインワルド』にもあるとおり、この曲は「秘密」「内緒」「シークレット」のような隠されているものを示唆するワードが数多く盛り込まれている。1番のサビで、かれらは「答」がこの曲の終わりに与えられると歌う。そして曲の全貌が明らかになっていくにつれ、歌っているかれらにとっての「隠されたもの」がなんであるのかが掴めてくるのだ。

 しかしながら、この曲のオチは「答」を求める聞き手に優しいものではない。かれらにすら抱えきれない隠された何かを抱えさせられたまま、この曲は終わってしまうからだ。叩きつけられる別れの言葉は、まるでかれらが愉快に踊る空間への扉が無情にも閉ざされたような、素っ気ない響きである。

6.白と嘘

 静かに奏でられるピアノと落ち着いた歌声は、しんとした真冬の朝のような、冷たい質感を耳に伝える。鈴木勝、緑仙、そして童田明治の3人が歌唱する六曲目『白と嘘』は、別れをテーマにした儚く切ないバラードだ。

 『白と嘘』は、収録曲の中でも突出して情景描写と心理描写の絡み合い方が巧みである。ひとつひとつのシーンが美しく繊細であるがゆえに、指先から凍えていくような愁いに押し潰されそうになってしまうのだ。2番のBメロ、主人公が夏に恋をした相手との「想い出」を振り返るシーンなどがそうである。

想い出が 美しいだけ
吹く風の冷たさが 胸に刺さるよ

 夏から冬の経過とともに冷たくなる空気になぞらえて、過去には抱いてたであろうあたたかな想いが変質してしまったことを想起させる。シンプルな情景描写でありながら、心細さがダイレクトに伝わってくる歌詞だ。後に続く激情的ともいえる伴奏にも、どこか氷のような冷たい印象を乗せている。

 情景描写と心理描写が交錯するのが、童田明治が歌唱するラスサビ前のパートだ。

ひとつ ふたつ みっつ
二人の足跡(きおく)が
白く 皓(しろ)く 消えちゃう前に

 「足跡」を「きおく」と読むことで、真っ白な雪道に刻まれた足跡が二人の過去の象徴となり、重要な意味を持つようになる。
 このパートは歌詞の表現もさることながら、歌唱する童田明治の感情の添え方が凄まじい。張りつめられたメロディーから逸脱せず、しかしほんのわずかにひしゃげた歌声には思わず息が詰まってしまう。白い雪に薄く付いた足跡と、それがところどころ消えかけているような光景が頭に浮かぶ。降りしきる雪にまみれて足跡が掻き消えていくという、何気なく見れば美しい光景が、どうしようもなく痛切なできごとに思えてしまうのだ。

 『白と嘘』はミュージックビデオ付きの楽曲であるが、歌唱している3人はミュージックビデオの中では主人公ではない。ミュージックビデオではオリジナルの主人公が描かれており、3人はむしろ舞台背景のように描かれている。現在Rain Dropsの楽曲で、かれら以外が主人公に据えられているミュージックビデオは『白と嘘』のみである。
 街の広告や端末に映る画像としてのかれらは、ある意味で私たちが見慣れた姿ともいえる。触れられない遠くの存在のような、交差してすぐ近くにいるような不明瞭なかれらと主人公たちとの距離感は、かれらがRain Dropsとして歌を届けることへの、ひとつの目印のようなものなのかもしれない。

7.オントロジー

 『雨言葉』に続き、じん氏がRain Dropsに提供したふたつ目の楽曲が、アルバムラストとなる表題曲『オントロジー』である。

 オリジナル全7曲を締めくくる、アルバムと同じタイトルを冠した『オントロジー』。疾走感に溢れたサウンドと、屈託のないユニゾンとが気持ちよくマッチした、爽やかな楽曲だ。ミュージックビデオで多用されている、晴れた空を思わせる青色も、曲の清涼感に拍車をかけている。明るく開放的で、さっぱりとしたエンディングを迎える曲だが、紐解いていくとそこにはいろいろな想いや感情が溶け込んでいる。私たちは自分でも気がつかないうちに、曲に込められた色とりどりのメッセージを受け取っているのだ。

あぁ 追いかけ続けた 僕たちの場所は
あぁ 見つけられないまま 不確かになる

 一見するとネガティブなサビを聞いて、思い当たる節がある人もいたのではないだろうか。「僕たち」にはたどり着きたかった場所があり、しかし未だ到着は果たせないまま、その姿すらも掴みにくくなっている。「僕たちの場所」が示すのは、場所であり目標であり、なりたいものであり、やりたいことでもある。もしかしたら、それよりももっと漠然とした、意識すらしていないものなのかもしれない。それらの存在感が、時間の経過や、あるいはもっと別の理由で薄れていってしまう。どちらかといえば夢のない、"やるせない現実"のリアルさがうかがえる歌詞である。
 哀愁すら感じてしまうが、このパートがあるからこそ、多くの人がこの曲のスタートラインに立てるのではないかと思う。共感しやすい歌詞は、かれらからの呼びかけでもある。

 かれらがこちらへ投げかけてくる言葉は、共感を呼ぶセンチメンタルな歌詞ばかりではない。この曲には、歌詞中に「君」というフレーズが何度も使われているという特徴がある。

君の歌う声が ずっと聴こえている

 かれらはこちらに歌声を届ける立場であり、私たちはかれらの歌声を一方的に聴く立場である。しかし『オントロジー』では、「君」の歌声がかれらに届き、「君の呼ぶ声」がかれらの行く先を照らしている。双方向性を感じられる要素は『VOLTAGE』にも取り入れられていたが、「反応して」と呼び掛けていたかれら側からリアクションが返ってくるのは『オントロジー』独自の要素である。『オントロジー』では、かれらの歌を聴く「君」もまた、同じ道の上にいるのだ。

 最後に注目したいのは、歌詞ではなくこの楽曲全体の構成である。より的確にいうならば、「曲の中で、かれらはどこを走っているのだろう?」という問いだ。
 センターを決めないというコンセプトに乗っ取る形で、『オントロジー』のサビはメンバー全員が歌唱するユニゾンとなっている。そしてこの曲を最後まで聴いていくと、かれらの歌声が私たちのすぐ隣から聞こえるような気がするのだ。それはちょうど、自分自身がかれらとともに走っているかのような感覚である。
   
 街を、草原を、抜けるような青空の下を走り抜けるかれらの足音は、『オントロジー』に載っていない。しかし、かれらが傍らで走り続けていることは確かなのだ。かれらの歌声は、足音は、聴く人の心をやわらかく救い、広く青い空を見せてくれる。そして「君」がなにかに向かって走り出したとき、かれらは必ずそこにいるのだ。

おわりに

 《Rain Drops》2作目のアルバムタイトルが『オントロジー』であると知ったとき、胸に浮かんだのは少しの疑問だった。テーマがあまりにかれららしく、そしてかれらに似合いすぎていたからだ。

 「どういう人たちなんですか?」というかれらへの問いは、インターネットを離れたメディアでよく耳にしたものだ。かれらがアーティストとしての活動方針を語る前に、かれらに向けられるのは、「Rain Dropsって、Vtuberって、あなた(達)って結局何?」という、アーティストとしての活動からはひと周り外側の問いかけだった。
 もちろん、これはインタビューを行った方々が丁寧にかれらを理解しようとしてくれた結果である。『オントロジー』関連でかれらがメディアに露出した際には、「人間でもなくAIでもない」というフレーズが用いられるようになったと記憶している。おそらく、これらの問いに対する共通の答えとして用意されたものなのだろう。

 このようなフレーズが使われ始めたことは、ちょっとした衝撃であった。正直な、そして乱暴なことをいうのであれば、私は《Rain Drops》は必ずしも"Vtuber"ではなくてもいいんじゃないか、と思っていたのだ。人間であってほしいというのではない。かれらが人間であろうと、AIであろうと、かれらのうたう歌になんら影響はないのではないかと思っていたのである。かれらは《かれら》という存在で、それ以外のなにものにもなる必要はないと思っていた。
 しかし、かれらがVtuberであることは、本当にスルーされるべきことなのであろうか。

 『オントロジー』で、かれらはことさらその実在性を主張しない。人間らしさを叫びもしなければ、人魚のように泡になって消えたりもしない。かれらは、自分たちの存在論を唱えない。

 とあるインタビューで、三枝明那がこんな話をしている。

「今、僕らの3Dを映像として出力する装置が2Dなんですよね。ライブ会場にモニターを置いても、お客さんは平面を見ているんですよ。(中略)みんなはただの映像を見ているだけだから、その先へ行かなきゃいけない。四次元のモノを作らないと、俺たちを本当の3Dには出来ないんです。」(※4)

 そんな馬鹿な、と思われるかもしれないが、私はこの記事を読むまで、自分が見ているものが2Dのかれらであることに気づいていなかった。私はかれらを「限りなく人間に近い」存在だと思っていたし、仮にモニターに映っていたって人間は立体(3D)だからである。 
 しかし、かれらは「人間でもなくAIでもない」のだという。人間ではないから、モニターの中で3Dになることはできない。そしてAIでもないから、2Dのまま映像の中に揺蕩っていることもできないのだ。

 かれらは常日頃、そういったもどかしさに出会いながら活動しているのだろう。曲調や歌い方で自分たちらしさの確立を目指し、メンバー一人ひとりがチャレンジと語っていた《Rain Drops》として2枚目のアルバムが『オントロジー』と名づけられたのは、そういったもどかしさに立ち向かった経験が、少なからずメンバー全員に共通してあったからではないだろうか。
 そしてそのように名づけられたアルバムを創り上げたのがかれらの2歩目なのであれば、かれらが「人でもなくAIでもない」存在であることはやはり無視されるべきではない。むしろ今一度、自分たちがなにものであるかを問いかける為に、『オントロジー』は創られたのだと思う。「どういう人たちなんですか?」という問いかけを、かれらは真っすぐ取り入れて、自分たちが感じているもどかしさも、楽しさも、息苦しさも、清々しさも、すべてを込めて7つの曲にしてみせたのだ。このアルバムは、かれらとかれらを取り巻く人々の冒険心と、バイタリティーのあらわれなのである。それらはまさしくかれらが"Vtuber"であることを、「人間でもAIでもない」《Rain Drops》という存在であることを、発信していくための2歩目なのだ。

 『オントロジー』は、かれらが自分たちの存在について追求するような曲で創り上げられている。かれら以外の誰かを主人公に添えた曲や、聴き手の感情に寄り添った曲。Vtuberを見ている人間に刺さる、と言われた曲や、一夜きりの奇跡を歌う曲。そして、かれらが誰かの傍で、一緒にどこまでも走る曲。
 かれらはまだ、その存在を確固なものにしているとはいえないのかもしれない。しかし、かれらは決して、儚く消えてしまうような存在ではない。『オントロジー』を聴き終えたとき、かれらがどこかに"いる"のだということを疑った人はいないだろう。そしてかれらがかれらとして歌い重ねていくことで、その雲のような輪郭は、少しづつ隙間を埋めていくだろう。
 正解なき道を進むかれらの未来が、そのような形であることを、少なくとも私は願っている。

 音声特典の中には、デビュー時の話題沸騰っぷりをメンバーがやわらかく茶化すようなやりとりがある。笑い合うかれらに、1月のぎこちなさは感じられない。確かに同じ方向を向いて進んできたのだという、かれらの中で共有された何かが、そこにはあった。


注釈
(※1)『[ツイキャス] しし座流星群が見たいin公園 (2020.11.18)』。現在TwitCastingでのアーカイブは非公開となっており、Youtubeのメンバーシップ限定公開でアーカイブが公開されている。

(※2)引用元:animate Times 『人気VTuber6人組のユニット、Rain Drops 2nd MINI ALBUM『オントロジー』発売記念インタビュー|6人が語る本作で示したRain Drops、そして VTuberの存在証明とは?』 

(※3)引用元:MusicVoice 『Rain Drops「僕達の存在の証」バーチャル空間でも感じられる温度や熱量とは』 

(※4)引用元:Billboard JAPAN 『Rain Drops『オントロジー』全メンバー(緑仙、三枝明那、童田明治、鈴木勝、える、ジョー・力一)集合インタビュー』

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