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写真を整理する

義姉より、実家の亡くなった母の部屋に残された大量のアルバムを義姉一人では処分して良いか判断できないので一緒に見て欲しいと依頼されたので実家へ行った。

母の部屋はだいぶ片付けたのだが、件のアルバムは本当に大量にあった。

父と母で旅行に行った際の風景写真や、習い事の会で撮った集合写真などは特に感慨も無くなくゴミ袋へ。

親戚の結婚式の写真や我が家にも同じ物がある七五三や成人式の写真も同様に処分する。

しかし、父の誕生から20歳位までの写真が一冊にまとまったゴブラン織の表紙の立派なアルバムがあり、以前からそれは残しておきたいと思っていたのだがなぜか見つからない。

母も大切にしてたので捨てたりしないはずだと思い探していると、100均で買ったようなアルバムに台紙からビリビリに剥がした父の写真が雑に収まっていた。
母の若い頃の写真も同じように収まっていたので、認知症気味の母がおそらく終活で写真を整理したのだろう。
枚数もだいぶ減っているような気がするが、とりあえずは残っていて良かった。

それらの写真を自宅に持ち帰る。

ゴブラン織のアルバムは無くなってしまったが、このままの簡易なアルバムに収めておくのも忍びないので、メルカリで昔風の重厚なアルバムを購入し再び写真を貼っていく事にした。

およそ100年前の写真だ。

我が息子にとっては祖父の姿であるが、もはや歴史の教科書に載っている人のような感覚らしい。

生後間もない写真、末っ子だった父が兄姉に囲まれている写真、飼い猫を抱いている写真。
どれも微笑ましい。
いつの時代も変わらない平和な家族写真だ。

しかし、学生時代の制服で読書をしている写真の後は出征時の集合写真だった。

父の名前の書いた垂れ幕を持った人や旗を振る子供たちと共になぜか両端に分かれて立つ父と父の母親(私が生まれる前に亡くなった祖母)が写っている。
大学1年の時に召集されたと聞いているので息子より年下だ。
今、私の息子が戦争に召集されたらと思うとそれだけで目の前が暗くなる。
祖母はどのような気持ちでこの写真に収まったのか。

その後の軍服の写真は戦地から送った物なのか、写真の台紙としてハガキを後から貼ったのか詳細はわからないが、裏に検閲の印と憲兵の判が押してある。
母上様との文字。
少し微笑んだ顔で写っている父は祖母に心配をかけまいと思ったのだろうか。 

切ない。
もう取り戻せない父の青春時代を思う。

父はなんとか無事に帰って来てアルバムの続きの写真を増やす事が出来たが、父と一緒に軍服で写る名前も知らない若者は無事に帰って来られたのだろうか。

知る術はない。

新しく貼り直したこのアルバムも私が亡くなれば処分されるのだろう。

それは時の流れの中で当然の事かもしれない。

ただその後も、ずっとその先も、若者が戦地に行くような世の中にならない事を
平和な世界が続く事を願わずにはいられない。





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