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【竹簡・木簡】”書く”ことの始まり


やっほーcanaeです('ω')ノ

今日は、文字を”書く”こと=肉筆にくひつの始まりになった竹簡ちくかん木簡もっかんについてお話していきます。



前記事にした甲骨文字では、文字を甲骨に彫り、こくしていて。

金文では鋳込いこまれて作られたとお話をしてきましたよね。
でもそれって、手間や時間が物凄くかかること・・・



そりゃ焼いたり彫ったり付けたりしてるからね。
昔のひとも、もちろんそれは気付いていました。



しゅう時代では、孔子こうしをはじめとする思想家達の活躍もあり文学や思想をなるべく早く、多く書物を残さなくてはなりません。



1、竹簡・木簡の始まり


甲骨文字が使われていた文字の始まりの時代、殷時代から肉筆は始まっていたとされています。


現に、甲骨にいきなり文字を刻したのではなく、下書きをしてから刻した例が発見されている為です。
(全てに下書きがあったのかは不明(´ー`)


☞書く時のポイント
・甲骨文字の線が直線的なのは、甲骨に刻しているため。
曲線は表現しにくかった。

→臨書する時は、直線的に書く。



・金文の線は曲線もある。字を手で形成していたから表現が自由自在。
肉筆で書いたものを原型としたことも理由の可能性あり。

→臨書する時は、曲線を意識して書く。



2、どのようにつくられていた?


竹簡の作り方



まず、竹を短冊のように切って火で炙ります。
火で炙ることによって水分や油分を飛ばし、墨が付きやすいようにします。

それに字を書いて、紐で繋げます。出来上がり('ω')ノ

これが、紙に書くという肉筆行為の始まりと言われています。


3、文字の特徴




画像のように木をとがらせて、先端にうるしを付けて書いていました
そのため書き始めは、墨溜すみだまりのように。

その姿がおたまじゃくしに似ている事から科斗書かとしょとも呼ばれていたみたいです(゜゜)~


科斗かと=おたまじゃくし しょ=文字 を指す





今日は”書くこと(肉筆)”のはじまり、竹簡・木簡についてお話ししました。


文字を残す方法は、刻す→鋳込む→書くと時代とともに段階を踏んでいるわけではなく、TPOによって使い分けられていたんですね。

木簡の代表的な古典作品があるので、そちらも記事にしたいと思います^^


それではまたね~



canae

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