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"履歴書をキレイにするために生きてるんじゃない"

こんにちは、さやです。

先日、以前お世話になっていたヘルスケア系NPO団体で卒業生インタビュー的なものをしていただきました。

YouTube Liveでも放送されていたみたいです。

自分の過去・現在・未来を話すのはなんだか気恥ずかしいものですが、進行の方がとてもスムーズに進めてくれて、あっという間の1時間でした。

以前にも、受講していたオンラインスクールSHE likesの自主企画でお話しをさせていただいたことがあります。

その時の内容を記事化してくださったのが、こちら。

自分の人生を語る機会は、自分自身にとっても新しい気づきがあります。この機会を通じて、ハッとさせられた話、改めて価値を感じた話を綴っていこうと思います。


居心地の良いトーク番組

お話しさせてもらったのは、ヘルスケア業界でのリーダーシップ育成を長年行っているNPO団体。

私もその団体の活動に参加していたことがあり、今はアルムナイ(卒業生)という立場になります。

毎週さまざまなアルムナイをゲストに呼び、ラジオ感覚でそれぞれの過去・現在・未来を語ってもらうというYouTube番組。

私で105回目の放送とのことでした。

司会・進行を務めるのは現役医師でアルムナイの方。お話上手で聞き上手。

あっという間に1時間が過ぎました。

「医師」というとかなりお偉い方、というイメージがあると思うのですが、「近所の気のいいお兄さん」くらいの感覚でお話しできる、居心地の良い空間を提供してくださったのがとても印象的です。

本当のダイバーシティ

この心地よい空間に浸りながら、私はその団体で現役生をしていた頃をぼんやりと思い出します。

その団体。参加者はお医者さんや経営者、コンサルタントなど、かなりキラキラした経歴の方がたくさんいます。一方の私は、当時しがない一介の介護士。

一般的な社会的地位がずっとずっと高い人ばかりに囲まれて、私なんかがまともにお話しできるのだろうか?

そんな不安がいっぱいでした。

実際、昔医師の先輩に誘われて異業種交流会に参加したとき、私が介護士だと知った途端にものすごく見下してきた経営者にお会いしたこともあり。ちょっとトラウマになっていたのもあります。

しかし実際に入ってみると、まったく景色が異なりました。

「医師」だとか「経営者」だとか「コンサルタント」だとか。みなさんそんなことは自分の「専門性」を表す言葉だとしか思っていません。

社会的に上の地位にいる、なんてことはみじんも思っていない様子。

そもそも。「医師」などというのは自分の一側面を表す言葉にすぎず、そんなことより「自分」として話したい。

そんなスタンスの方ばかりでした。

私はかなり面食らった気分。

でもそんな雰囲気の集団で過ごしたからこそ、私は「介護士である自分を下に見ていたのは、他でもない私自身だったんだ」と気づかされました。

あくまでも「私」と対話してくれている。しかも、「医師にはわからない介護のリアルを教えてほしい」と、私の専門性もしっかり認めてくれる。

「ダイバーシティ」って最近はやや暴走気味な使われ方をする印象がありますが、私はこの団体に漂っていた雰囲気こそ「ダイバーシティ」だと体感しました。

積極的な受容と素直な賞賛

話は戻って、対談番組。

この番組の収録もまた、まさに現役中に感じたダイバーシティを再び感じられる空間でした。

介護をやめて、人事系のキャリアに移り、今はフリーランスとして働いている私。

仕事のこと、団体で出会った仲間と続けているボランティアのこと、いろんなことをお話しました。

こんなにも居心地が良いのはなぜかと考えたとき、理由は2つあったと思います。

1つは、「積極的な受容」。

先ほどお話しした通り、この団体には社会的な地位とか身分とか、そんな偏見がまったくありません。

ものすごく立派な経歴をお持ちの方も、自分の意思をもって日々邁進している人を心からリスペクトし、積極的に受容してくれます。

私もそんな姿勢で他者に興味・関心をもって接したいと思わされました。

2つ目が、「素直な賞賛」です。

相手を積極的に受容しているからこそ、素直に「それ最高ですね!」「おもしろい!」と称賛してくれます。

上っ面な社交辞令ではなく、素直に個人としてワクワクしてくれているのがわかる。

意識的なのかそうでないのかはわかりませんが、そんな態度を相手に示せるって素晴らしいなぁと思わされました。

"履歴書をキレイにするために生きているんじゃない"

番組の終盤、司会の方が言ってくださいました。

「いやぁ、さやさんの生き方って本当に素敵ですね。上手に生きてこられてるって感じがします。」

これに対して私は、ちょっとひるんで答えました。

キャリアとしては一貫性があるわけじゃないから、履歴書上はあまり「上手な生き方」とは言えない気はします。その時々に自分の関心に従って生きてこられたと思うので、その点では楽しい人生かなとは思いますが…。

その言葉に対して、司会の方はすぐにこう返します。

「確かに、うちの団体って履歴書キラキラ系の人が多くて、そっちに寄りがちですけど。でも、僕たちって履歴書キレイにするために生きてるわけじゃないですよね。」

サラッとおっしゃった言葉ですが、私はすごくハッとさせられました。

そう、その通りです。

履歴書をキラキラにするために生きているのではない。

それは、ものすごく他者の評価を気にする生き方です。自分軸ではなく、他人軸で生きている感じ。

キラキラした勲章をたくさん集め、他者から認められることばかりを考えている。あるいは、非難されないことにばかり目を奪われている。

そんな生き方は、私も望んでいない。

司会者の方は、履歴書を見ればきっとかなりキラキラしたご経歴をお持ちです。でも、それはきっと目的ではない。

彼が目指すもの、成し遂げたいものをつき詰めた結果、経歴書がキラキラになっただけ。

私も、きっとそうです。

私は人生を賭して成し遂げたい使命には出会えていませんが、自分が人生の節目節目で感じた大切なこと、大事にしたいことに従って生きてきました。

その結果、履歴書はキラキラしていませんが、個性的なものになっていると思います。

なんだか改めて、とても勇気をもらえる時間になりました。

行動が変化を連れてくる

今回この自主企画に参加させていただいて、短い時間ですが感じることがたくさんありました。

この企画に参加させてもらって本当に良かったと思います。

振り返ると、お話をいただいたとき正直お断りしようかなと思っていた自分がいたことを思い出します。

「私に大した話はできないし」
「みなさんみたいなすごい人間じゃないし」

自分を卑下して、せっかくのご縁をムダにしようとしていました。

でも、なんとなく懐かしいあの空気に触れたくて、「大したことは話せませんが私で良ければ」とお受けしたのでした。

あの日、逃げずに行動につなげた自分に感謝します。

結果的にとても意義深い時間になっただけでなく、話がいろいろと広がって、今後また別の形でみなさんとも関われそうな機運も高まりました。

行動してみる、話してみる。

そんなところから、想像していなかった出会いや良い時間につながる。

行動が変化を連れてくる。

そんなことにも、改めて気づかされた体験でした。


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