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「不安」は消せる|何者でもない雑草キャリアが何者かになるまで

こんにちは、さやです。

毎日仕事や家事、勉強などにがんばるみなさん、本当にお疲れ様です。

毎日頑張っているのに、ふとした瞬間に「自分はこのままでいいのかなぁ」「将来どうなるんだろう」と不安になることってありませんか?

もしくは、頑張れていない自分に漠然とした不安を抱くことはありませんか?

「不安」って厄介ですよね。

目標達成までの道のりを邪魔してくるし、なかなか消えてなくなりません。

でも、私は「不安」って完全に消し去ることが可能なものだと思っています。

それは、大学時代に受講した哲学講義の影響です。

今日は、不安とその消し方について書いてみます。


「不安」とその他の感情の違い

みなさん、「不安」って何だと思いますか?

不安って、喜怒哀楽のようなその他の感情とは全く違うモノなんです。

大学生のころ受講した哲学講義の教授曰く、不安は「対象のないモノへの漠然とした負の感情」なのだそうです。

「不安」だけが、他の感情と異なり「対象物がない」んです。

喜怒哀楽で考えると、それぞれ対象があることがわかります。

● 喜:新しい時計を手に入れて嬉しい
● 怒:恋人にウソをつかれて怒り心頭!
● 哀:大事なお皿を割って悲しい
● 楽:友達と旅行に行って楽しい!

こんな感じです。

感情には、その感情を呼び起こす具体的な対象物があります。

しかし、「不安」は違います。

「不安」とは、漠然とした負の感情です。「なんとなく」不安なのです。

似た感情に「心配」があります。

「心配」には対象物があります。

● 次のテストに合格できるか心配
● 子どもがケガをしないか心配

心配と不安は似ていますが、対象があるかないかの違いがあります。

こうやって考えると、「不安」って特別な感情ですよね。

「不安」がやっかいな理由

もうお分かりだと思うのですが、「不安」がやっかいなのは、「対象がないから」もしくは「対象がわからないから」です。

対象がはっきりした感情には、対処ができます。

テストが心配なら勉強すればいいし、恋人に怒っているなら話し合えばいい。

だけど、「不安」は対象がはっきりしないから、何をどうしたらよいかわかりません。

動きようがないから、不安なわけです。

自分ではどうにもできない感覚。

これが、不安が厄介な理由だと思います。

「不安」は消せる

対象がなく、対処ができないから厄介な不安。

ではどうするかというと、対象を明確にすれば良いだけです。

何かわからないから不安なのであって、その不安の正体をつかめば不安ではなくなります。

対象物が見つかるからです。

対象物のあるものは、「不安」ではありません。

「心配」だったり「恐れ」だったりに変わります。

だから、「不安」は消せるんです。明確にすれば、定義上「不安」ではなくなるからです。

屁理屈みたいですが、その通りなんです。

「不安」の消し方①|洗い出す

では、私が実践している具体的に不安の消し方をご紹介します。

1つ目は、「不安」を洗い出すことです。

不安は対象がないから不安なわけですが、対象がないというより、対象が見えていないことがほとんどだと思います。

考えが足りなかったり、荒かったりするから、対象が見えないだけのことが多いのです。

例えば、「自分はこのままでいいのか不安」といった漠然とした不安。

よくよく向き合っていくと、対象が見えてきます。

将来のお金が心配
長期的なキャリアを形成していけるか心配
孤独な老後を迎えないか心配

こんな感じで、不安はたくさんの「心配」がごちゃ混ぜになって「なんとなく不安」になっている場合が多いと思うのです。

つまり、解像度がものすごく荒いから不安なわけです。

遠くにモヤッとしたキリがあって、何かわからない。

でも近づくと小さな小鳥の群れだった、というかんじ。

モヤッとした何かははっきりとした対象物ではありませんが、「小鳥」はもう完全な対象物です。

そんな感じで、自分が何に不安なのか(←定義からすると矛盾しますが)、とにかく洗い出してみることが大切です。

対象物が見えれば、対処ができます。

対処できれば、解決します。

うじうじと不安がって動けなくなるより、不安の正体を突き止めて対処していく方がずっとずっと建設的です。

うろ覚えで恐縮ですが、ガリレオガリレイの言葉にこんなものがあるそうです。

測れるものは測るべし
測れないものは測れるようにすべし

不安も同じです。

測ってしまえばいいのです。

どんな大きさで、どんな質量かわかれば、対処可能です。

「不安」の消し方②|変えられないものを受け入れる

もう1つ、「不安」を消す方法です。

それは、対象物を明確にしたうえで対処できないなら、「すっぱり諦める」という割り切りです。

「ニーバーの祈り」という有名なフレーズをご存じですか?

神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気を与えたまえ。
変えることのできないものについては
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。

私はクリスチャンでも神学者でもないのですが、この言葉が好きです。

測ってみた結果、不安の対象が自分にどうにもならないモノだったら、諦めればいいんです。

「円安が止まらない!」

例えばこんな悩み、一介の庶民である私にはどうしようもありません。

だから、円安については諦めます。

でも、変えられることもあります。

● 円の収入(総額)を増やす
● 円以外の収入を得る
● 支出を下げる

円安は変えられませんが、円安によって引き起こされる結果に介入することはできます。

こうやって自分ができることを見つけて対処すれば、「生活していけるか不安(心配)」という悩みは解決します。

変えられないものは諦める。
変えれるものは変える。
それらを見分ける力を持つ。

これが、「不安」に対処する大切な方法の1つです。

不安ゼロで生きる

不安とは何か。

どうやったら不安を解消できるか。

それらを知るだけで、生活の質が格段に上がります。

今日は哲学講義からスタートしているので抽象的な、概念的な話が多くなってしまいましたが、とても大事なことです。

抽象化されたもの、概念化されたものを生活に取り入れるのは、一種のスキルです。

「不安」という概念を知り、対処方法を知り、生活に生かしていけば、不安ゼロで生きていくことができます。

そうすると、ムダに「時間が足りない!」という感覚がなくなったり、「どうせ私なんか何をやってもだめだ」みたいな投げやりな感覚もなくなります。

頑張ってるのに不安な人。
頑張れなくて不安な人。

ぜひ、不安に向き合ってみてください。

解像度が上がれば、不安の対象物を見つけられます。
対象物が見つかれば対処でき、不安はなくなります。
対処できないモノならすっぱり諦めて、対処できるモノに全力を注ぎましょう。

何事も練習です。



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