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「父になる」ということ 出産から育児

 「妊娠したよ」結婚して8年、待望の第一子を妊娠した。「父親になる」どんな感情になるだろうか。これまでずっと想像していたけれど、実際はあまり大きな感情を出せなかった。そして今はそのことを後悔している。

ドラマや映画で見ていたイメージとの乖離

「妊娠したよ」
そうヒロインが話す。
「え、、なんてこった!!人生でこんなに幸せな日があってもいいのか!!」
父になる男性がヒロインを抱きしめる、、、

一般的な映画

 こんな映像や本をたくさん見てきた。その瞬間、世界が自分たちのものだけになるようなそんな感覚。きっとみんな幸せを強く感じるその感覚。妊娠、出産にはそういったパワーがあるんだろうな、と思っていた。
 しかし、実際はそう思えなかった、というと語弊があるが、そう簡単には喜ぶことができなかった。それは、妻の体の変化、無事に出産することができるだろうか、という心配。安全じゃなかったらどうしようという不安。そして生まれてくる子どもが元気だろうか、、という不安。たくさんの不安や心配が頭の中のほとんどを埋め尽くし、幸せ、嬉しい、という感情が入る隙間があまりなかった。
 今の世の中は情報社会だ。いろいろな情報が検索するだけで簡単に手に入る。子どもが欲しいね、と考え始めた頃からたくさんの情報を手に入れ始めた。実は、ネットの中の記事の中に妊娠出産の幸せな内容はほとんどない。うまくいかなかったら、母親が危険な状況になったら、子どもが危険な状況になったら、という記事がほとんどだ。
 不安を煽ってアクセス数を稼ぐ。それがネットニュースの基本だ、なんてよく分かっているはずなのに、、まんまとメディアの刷り込みにあってしまった。

妻の強さ、改めて尊敬する

 妻はすごかった。環境の変化、体調の変化、うまく仕事ができないもどかしさ、定期的な病院通い、などを全て背負って暮らしていた。特に、病院には付き添える時は仕事を休んで付き添うようにしていたが、コロナ禍ということで病院の中に入ることはできなかった。病院の先生からの指示や今の状況などは、全て妻が一人で聞いて私に伝達していた。心細いだろうな、と何度も思って声をかけた。家事など、フォローできることは全てやったつもりだった。しかし、夫側の環境の変化はほとんどなく、妻の方ばかり変化していく。
 すくすくお腹も大きくなり、産休に入った。妻はずっと夢見ていた職業をいったん休むこととなった。それでも大きく変化することはなかった。
「早く赤ちゃんに会いたいね」と笑顔で話す妻
『体は大丈夫?産むこと、不安じゃない?』と心配が先に出る私
「不安だし、怖いよ。コロナで立ち会いもできないしね。でも、この子に会うためならいろいろなことを犠牲にしても頑張るよ。大丈夫、安心して、私頑張るから」
 母は強い。きっとお腹の赤ちゃんができた段階で母の気持ちができているんだ。その変化に対応できない人が心を病んでしまうんだろう。妻は素晴らしいほど変化に柔軟だった。
 私はいったいいつになれば「父になる」ことができるのだろう

産後、そして「父になる」

 産まれたことを電話で知った。とても時間がかかったお産だった。明らかに妻は疲弊していた。「ありがとう、本当にお疲れ様」としか声をかけられない自分を憎んだ。
 1週間くらい入院した。その間、赤ちゃんの写真が定期的に届いた。可愛い赤ちゃんだと感じた。ただ、画面の中の赤ちゃんであることに変わりはなかった。本当にこの赤ちゃんは自分の赤ちゃんなのか、、実際に抱いてみないと実感が得られなかった。
 退院の日、ようやく妻に会うことができた。コロナ禍の厳戒態勢の中、しばらく待って病棟の奥から妻が赤ちゃんを抱いて歩いてきた。
 真っ白な布にくるまれた中に赤ちゃんがいた。「どうぞ。抱いてあげて。」そう妻に言われて恐る恐るゆっくりと大切に、赤ちゃんを抱いた。初めて抱いた赤ちゃんは重かった。そして温かかった。これが生きているということなんだ。新しい命の誕生なんだ。そう強く感じた。
 この瞬間のことは病院の匂いや生ぬるい空気まで、全て鮮明に覚えている。このあと顔を上げると妻が泣きそうな目で私を見ていたことも。
「ようやく会えたね。本当に良かったね。早くあなたに抱かせてあげたかった」
 ああ、私は父になったんだ。そう思った瞬間だった。そして、何があってもこの2人を守っていきたい、そう思った瞬間だった。

その後

 たくさんの出来事を経て今に至っている。仕事で疲れている時、育児をしなければならなくてもこの瞬間のことを思って、面倒だなと思わないようになっている。それくらいこの瞬間の持つ力は大きいと思っている。
 うまくまとめられなかったが、誰かが読んで共感したり、そうなんだ!と少しでも思ってもらえたら嬉しい。

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