見出し画像

数秘9の究極ワードと向き合って見えた事

今日は

number9

について
お話ししようかと!

9は一桁台の最後の数字。
完。終。死。
などといった意味があります。

少々この漢字をみると
不安になったりする人が
いるかもしれません。


ヨガや聖典や経典や
なにか宗教的な事や
神的な事と
おそらく緊密になってくるのが

だと思います。

私達が最後に学ぶ事は
このテーマなのだと思います。

ヨガだと最後に
屍のポーズ(シャヴァーサナ)が
登場しますよね。

なんでそんなポーズがあるのか?
気になったものです。

ヨガインストラクターになってから
何度も何度も
向き合ってきた事の1つでも
あるのですが

別れや手放すという事に対して
ポジティブな解釈がある事を
この時に知ったのかもしれません。

そして更に数秘学を学んだ際に
再びその意味を
学ばなければなりませんでした。

注意してもらいたいのは
9イコール死
という事ではありません。

何かを辞めたり
何かを極めたり
何かを研究したり
これも9のエネルギーなので
そちらで9のエネルギーを
味わう人も多くいます。

が、今回はあえて
究極なテーマに
向き合ってみようかと。


私は父を通して
この別れを学ばせてもらったと
思っています。

私は
父と2度の別れを経験しています。

1度目は両親の離婚
2度目は父の他界

1度目の別れは突然やってきました。
一生もう会えないと思いました。
同時に会いたくもなかった時期があり
約10年程は会わずにいました。

もはや
亡くなったような気持ちで
過ごしていたように感じます。

その時に
うっすら感じていた事があります。

例え生きていたとしても
死が存在するかのような。。。


実際に会えてなければ
死んだも同然か?って

まぁこの時は
そうしてしまった方が
気持ちが楽だったのです。

そう思う事にして
乗り越えたような感じです。

私達の世界は
私達の内側で創られる。

そんな綺麗事が言えるような
状況ではなかったけど
今思うとそうゆう事を
なんとなく
体感した17歳の私でした。

それから何年か経ち
生き返ったかのような
涙の再会を経て
その後は定期的に会うように
なりまして

そこから更に約10年経ち
他界した父。

身近の誰かを
亡くしたのは
初めてのことで

2度目の別れも突然でした。

時代の最先端をいっちゃった感じの
お別れだったのですが

悲しい悲しいどん底にいるような
気持ちなのだけど

どこかで冷静な自分もいたり


涙は毎日毎日でるけど

この人生から
逃げ出したいという気持ちよりも

むしろ逆で
必死に生きれてましたね。


けっして
死をポジティブに
捉える事はしなくて良いですが

その経験で
学びという恵
たしかにあります。

それは
何かと比べることなんてできない
大きな大きなものです。

大切な人を亡くされた人が

『いつその時が来るかわからないから
毎日丁寧に過ごしたい!』

といったような事を
おっしゃっているのを
よく聞いたりしますが

その言葉の意味が
私が思うような感覚と
同じなのかはわかりませんが…

そういった経験をする前までの
その当たり前の真っ直ぐな言葉は
なんだかどこか照れ臭く、
そして少し薄っぺらにも
聞こえていた時がありまして

今はその言葉の
深さを感じています。

しかし
毎日毎日丁寧に生きる。
これは少々
時間が経って落ち着いてから
でてくる綺麗すぎる言葉にも思います。

私的には
日々精一杯生きる!
しっかり生き抜け!
やり抜けよ!

といった
パンチ力がある
言葉のほうが
真っ只中は
しっくりきていました。


できれば皆皆ずーっと生きていてほしいし
特に周りの大切な人達が
悲しい思いをすることなく
いてほしいしと望みます。

だからこそ
いつかそうなった時に
避けては通れない自然の摂理を
理解して、何か支えになれるならば
なりたいと思いますし

だからこのテーマと
向き合っているようにも感じます。

number9は
終わりや死。以外にも

学び。研究。プロ。極み。微細。
目に見えないもの。変革。
大きなイノベーション。達成。

そういった意味があります。

かっこいい。職人のような数字です。

9には
master or mystery ?

というフレーズがあります。

マスターするのか
ミステリーのままか
です。

9の最大のメッセージは
学べ!
マスターしろ!
極めろ!
です。


私は父の経験中に思った事があります。

ヨガをやっていてよかった。

これはヨガが
死生観についての
学びに繋がるから。
だと私は思っていたのですが…


極めたいものに出会えていた事が
良かったのだと今は解釈しています。


別れの経験があった事で
様々な絆は深まりました。

家族との絆。

仲間との絆。

自分と自分との絆。

自分の道に対しても
覚悟が生まれ
人生に深みがでたと思います。

あの時からきっと
家族それぞれが
より自分の置かれてる場所を
更に極めにいったようにも感じます。

一桁台の最後の数字9。

何かの完結でもあり
よりよい何かの始まりでもあります。

大切なものに気づかせてくれます。
そして余計なものにも。

9は大浄化。そんな風に思います。
心身を一気に洗い流します。

浄化とかデトックスとか
今は当たり前に皆
好んで携わっていると思いますが

別れもその一つです。

悲しい時は
小さな箱から飛び出して
物事を考えなければなりませんね。

私達は自然の一部だという事を納得
していくしかないのだと思います。

そして
1回目の別れで感じた
生きている中での死
が存在するかのような。。。

2回目の別れでは
死の後でも
生が存在するかのような。。。

です。

例え物質的に見えなくなっても
在る。という事。

大切なものは
心の中にいるのです。


残された人はそれらを
背負って、受け継いで、
生きていく。のですね。

なぜなら
たくさんのエネルギーを
送り続けてくれているから。


最初はおまじないのように
聞こえてしまうだろうし

無理矢理そうやって思わないとならない
ような気もすると思いますが

心の中に。
自分の中に生き続けます!


またどこかで
再会する。

そんな気もしますよ。

悲しみ真っ最中の時
この世界は
最終的には無いのかも。
全て幻想なのかもしれない。
と、ふと思いました。

不思議な夢の中にいるような。


いつかは形はなくなるもの。
残るのは魂だけ。

ならば
今最大限に
良き幻想をつくろう。
魂が喜ぶ幻想を。
この世界を彩ろう。
そんな風にも
思えてきましたよ。


極める

これは何か成果を出せとか
実績をつくれとかではないのです。

全ての経験が
そこに乗ってくるような。

極めたら
それはライフ
生活の一部となりますからね。

一つの事を続けていれば
その極めたい事に
感情や様々な事柄が影響してくる
という事はわかります。

だからこそ
その極めたい事に対しても
その事柄に対しても
深みが増してくるのです。

それはけっして
試練のような話だけではなくて
めでたい話に関しても
歓びの経験にしても

続けていけば全てが
極めたい事に
乗っかってきます。

続けたものにしかわからない世界を
魂が震えたことを信じて
自身の大波小波に乗せて
やっていく。
良い時もそうでない時もね。

その先に広がる世界があるんだよ!

という事を
number9は伝えてくれてる
のだと思います。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?