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『グリーン・ナイト』『MEN 顔のない男たち』

『グリーン・ナイト』

怪物に会いにいく主人公

A24作品。どこかシェイクスピア劇を思わせる展開が印象的な本作。本当におもしろくて、夢中になってしまった。ジャンル分けしにくい作品のため、宣伝の仕方が難しいかと思うが、見てみてよかった1本。撮影もすばらしく、映像の美しさにも感激してしまった。古い時代、ヨーロッパのとある王族のもとへ怪物が現れ、若き男性がその怪物の首を刎ねる。ところが首を失った怪物は死なず、笑いながら刎ねられた首を手に取ると「1年後にやってこい」と伝えてその場を去る。それから1年が経ち、若き男性は怪物のもとへと旅立つ……というあらすじだ。

われわれは映画について「何らかのあらすじを伝達する手段」と考えてしまいがちだが、映画にとってストーリーの伝達は最重要事項ではないのだと本作を見ながら思う。一応あらすじはあるのだが、なぜそうなるのか、見ていてもよくわからない部分がほとんどだ。しかし、どうしても目を離すことができない。主人公が旅の途中でとある男性と出会う場面では、風に乗って白いけむりがもくもくと流れてくる。それだけで、スクリーン全体に途方もない緊張感がもたらされる。白いけむりのなかを歩くふたりの登場人物と、彼らを移動しながら追うカメラ。その映像そのものの饒舌がすばらしいのだ。ソフトが出たら買って見直したい作品。

『MEN 同じ顔の男たち』

バカンスのはずがひどい目にあいます

『グリーン・ナイト』と同じくA24作品。主人公の女性が、田舎町の瀟洒な一軒家を借りて滞在するが、その町に住む男性は全員が同じ顔をしていた、というあらすじ。語りのフォーマットはホラー映画だが、そこに現代的なフェミニズムのテーマが重なっているのがユニークだ。劇中、登場する男性はみな同じ顔をしているのだが、主人公は「なぜ同じ顔なのか」と指摘したりはしない。そういうものだとして話が進むのが妙で、ユニークだった。ホラー要素のベースになっているのが「男性の加害性」というのも、なるほどと唸ってしまう。主人公が出会う妙な行動に出やしないかとハラハラさせられる、その恐怖がホラー要素なのだ。

たとえば冒頭、一軒家の所有者が家のなかを案内する場面。ここは浴室、ここは居間、Wi-Fiのパスワードはこれで……と説明していくだけのシーンなのだが、観客は「この男は急に余計なことを言い出したりしないか」「妙な距離感で近寄ってきたりしないか」と不安を抱く。単に少しおしゃべりなだけの、害のない男性に見えなくもないのだが、その男が存在することで発生する緊張があるのだ。また、主人公の悩みを聞く神父が、主人公のひざに手を置くシーンも同様で、これは純粋ななぐさめの気持ちから出た行為なのか、性的な含みを持つのかが判断しにくい。どちらとも取れるあいまいさがあり、「ひざに手を置く」ことで発生するただならぬ居心地の悪さが忘れがたく残るのだ。

またおもしろいのは、ホラー映画にはラストへ向けて恐怖が高まっていかなくてはならないという作劇上の基本ルールがあるが、本作はクライマックス前で恐怖が消えて、対象が怖くなくなってしまう(むしろみじめな存在になる)、ある種の反転が起こることだ。この反転がきっかけで、作品のメッセージ性がより強調される仕組みがある。恐怖の正体が見え、映画ほんらいのテーマが浮かび上がってくるエンディングは、非現実的な跳躍がユニークだった。印象に残るシーンは多かったが、わけてもトンネルの場面がとてもよかった。

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