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陰謀論にハマった知人に何が言えるか

陰謀論にハマった知人に何が言えるか。難しい問題だと思う。どうすればいいのか、率直にいって私にはよくわからない。これがたとえばアルコール中毒やギャンブル依存症であれば、治療の必要な病気である。健康を害し、安定した社会生活を妨げる問題であり、相談できる専門家や団体も多数ある。手を差し伸べる方法は用意されているのだ。

一方、陰謀論の場合、本人にとって何が被害なのかが見えにくい。周囲に変わった人だと思われたり、社会的信用を失う可能性はあるだろうけれど、本人が現状に満足している場合、手を差し伸べるなど大きなお世話だと拒否されるのが一般的で、それ以上のアクションが取りにくいのである。陰謀論者は「極端に偏った考え方をする人」ではあるものの、病人ではないような気がする。

絶対に負けない思想

陰謀論は「絶対に負けないこと」に重きを置く考え方である。どのような指摘にも100%反論可能であり、いかなる論戦をも勝ち抜くことができる無敵の思想。どれほど荒唐無稽かつ自己完結的であっても、陰謀論はあらゆる意見をいっぺんに論駁できる力があるのだ。陰謀論にハマってしまう人はおそらく、その無限の力に魅せられている面が大きい。自分こそが誰よりも真実を見抜いているという感覚を得られるし、陰謀論がもたらす無謬性(間違いのないこと)の錯覚も心地よいのだろう。

こうなると、対話は悲しいほど成立しない。何せ相手は鉄壁のバリアに守られているのだ。「絶対に負けない感覚」に夢中になっている相手を、どうやって説得できるだろうか。むしろ、バリアの威力を思い知れとばかりに、さらなる陰謀論の追い討ちでやり込められてしまうだけである。ここで「君の考え方は間違っている」などと注意するのはもっとも逆効果ではないか。何しろ陰謀論は無敵なので、どう話し合っても、必ずこちら側が言いくるめられてしまう。

異様なまでに首尾一貫した世界観

こう書くと、陰謀論者の思考は支離滅裂であるようだが、私は逆であると思う。彼らの思考にあっては「あらゆるものごとの辻褄が、過剰なまでに合いすぎている」のだ。陰謀論は、首尾一貫した世界観を求める。さまざまな事象を一貫して説明できるような、ひとつの統一理論を探すのが特徴ではないか(たとえば、○○が世界を裏で操作しているというような)。現実はもっといいかげんで、説明のつかないことも多い。すべてを説明可能な、異様に首尾一貫した理論を求めるがあまり、現実を凌駕するほどに辻褄が合いすぎる幻想的な世界の見方が生み出されてしまった。

われわれにできるのは、本人が自分自身で気づくのを待つ以外になくなってしまう。相手は無敵のバリアのなかにいるのだから、手出しができない。いつか正常な感覚を取り戻してくれと願いつつ、遠くからそっと祈るしかできないように思うのだ。身近な家族が陰謀論にハマって困っている人は、第三者に相談するなどの方法なども検討すべきだろうけれど、知人となるとそうはいかない。できることにはどうしても限度がある。

誰もが陰謀論的なものの見方に陥る可能性がある

私は、陰謀論にハマってしまった人たちの奇矯な言動を眺めながら、憐れむような、どこか下に見るような気持ちを抱いてしまうことがある。「あの人も、ついに向こうの世界へ行っちゃったな」というように。しかし、おそらく誰もが、陰謀論的なものの見方に陥る可能性を捨てきれないのだ。これは決して他人事ではない。多くの人が、無関係なふたつのできごとのあいだに因果関係があるような、身勝手な連想を抱いた経験があるはずだ。

われわれの思考は、物語を読むようにしか現実を把握できず、だからこそ、その物語があらぬ方向へ暴走してしまう危険性がつねにある。注意を払って、自分にとっての物語が正常であるかをチェックしつづけなくてはならない。いずれ自分自身が陰謀論に飲み込まれてしまわないか、そのことを考えると、私はどうにも不安になってくるのである。

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