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【ネタバレ注意】『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』と、普通に大丈夫、ちゃんと終わったよ

なぜこれほどネタバレ厳禁なのか

延期を重ねた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が、ようやく3月8日に公開となった。本来であれば「さあ、熱く語ろうではないか」と盛り上がるはずのタイミングだが、これほど内容について触れにくい作品もめずらしい。「ネタバレが映画のおもしろさを半減する」という考え方はケースバイケースだと思っているが、私自身、今回はできるだけ前情報を入れずに見たかった。エヴァに関しては、ありとあらゆる事態が想定できてしまうためである。もはや劇中で何が起こってもおかしくない。「すばらしい締めくくりだった」との感想すらネタバレになりかねないのは、ことによると何も締めくくらずに終わるケースもあり得るからだ。

思えば前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)は、基本的なあらすじの把握すら困難な映画だった。不満の声も多かった記憶がある。『シン・エヴァ』のパンフレットを読んだところ、ストーリーを理解するため、ネットの考察サイトを読んで勉強していた声優さんの話が載っていた(直接庵野さんに訊けばいいのではと思ったが)。そうした難解さは、娯楽映画というより、ジョイス『ユリシーズ』(1922)やピンチョン『重力の虹』(1973)に近い。「何を言ってもネタバレになってしまう」とは、エヴァが娯楽作品として最低限ここの部分は提示してくるだろう、という基本線すら実は危うい(と観客に思われている)ことを意味するが、なぜそのように不安定な作品がこれだけの人気フランチャイズになったのだろうか。考えてみればふしぎだ。

いったい『シン・エヴァ』はどう終わるのか、個人的にもあれこれと予想していた。シンジ君とゲンドウがお互いを罵倒しながらひとしきり殴り合った後、決着をつけるため両者がフルマラソンに挑戦するエンディングだったとしても「それはそれでありかな」と思わせるし、映画ラスト近辺で突如として実写になり、庵野さんがボーカルのロックバンドが登場、ハードコアパンク風「ドナドナ」を激しく演奏した後に「終劇」とクレジットが出た場合でも、世間は「最後までエヴァだったね」という感想に落ち着くような気がする。エヴァらしい、という言葉の範囲が広い。以前、ネットの経済系ニュース記事に「映画作品に対して確実性(入場料金分の元が取れるか、間違いなく楽しめるか)を求める傾向が高まっている」とあったのを読んだ記憶があるが、その観点でいえば、エヴァは確実性が低くギャンブル性が高い。それでも毎回ヒットするのだから立派なものだ。

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普通に大丈夫、ちゃんと終わった

会社で一緒に働く同僚のひとりは『Q』で挫折したと言っていた。ファンは何年もかけて『Q』や「空白の14年間」の謎を解読したが、こうしたエヴァファンの飽くなき熱意は、ほとんどジョイス研究に匹敵する。なぜミサトさんがあんなに怒っていたのか、シンジ君が宇宙に浮かんでいるあいだに何が起こっていたのか、きちんと説明できる人はそれだけでエヴァマニアだ。もし最終作が『Q』の路線を踏襲するのであれば、受け手への最後のプレゼント、置きみやげとして『シン・エヴァ』はさらに難解なストーリーになり、今後何年でも議論できる大量の謎とそのヒントを残して終わるのではないかと予想していた。

しかし『シン・エヴァ』は、そのような作品ではなかった。最後のエヴァとして納得のいく終わり方だったし、なにより娯楽作品としての明快さや説得力を目指していた。その堂々とした幕引きに不意を打たれ、つい涙が出てしまった私である。安定しておもしろかった作品に拍子抜けするというのもおかしな話だが、「普通に大丈夫、ちゃんと終わった」と感じたし、農作業の場面からは「日々をしっかり生きていくしかないんだな」というメッセージを受け取った。長い時間をかけて作品を練り上げていき、結果としてごく当たり前の結論にたどりつくことでしか表現しえない納得があったのだ。「他者とまっとうな関係を築き、なすべきことに向かう姿勢の大切さ」などとあらためて書くと結構気恥ずかしいけれど、実際『シン・エヴァ』は「普通に毎日を生きていくこと」にまつわる物語なのだから仕方がない。それがいまの庵野さんの偽らざる本音なのだと思う。

シリーズはこれで終わりとのことだが、エヴァほどの人気作品はそう存在しない。『スター・ウォーズ』がルーカスの手から離れて再スタートしたように、『エヴァンゲリオン』が庵野さんから独立することも想定できる。しかし、仮に庵野さん以外の誰かによってエヴァが今後も作られるとして、同じような吸引力を保つことは可能なのだろうか。おそらく、それなりにおもしろい映画はできるように思うが、熱狂は失われてしまうような気がする。私にとってのエヴァは属人的な作品であり、監督にとってのプライベートフィルムであり、アクシデントが起こるのを期待したくなるような危うさがある。つまり私はエヴァのファンというより庵野秀明のファンなのだと、『シン・エヴァ』を見て再確認したのであった。

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