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携帯を携帯しない

1ヶ月、スマホを持ち歩くのを止めた

私はなにより本が好きだ。私の目標は、死ぬまでに一冊でも多くの本を読むことである。そのためには集中力が要り、また本を読むための時間の捻出が必要になる。年齢と共に集中力は落ちていくだろうから、とにかく急がなくてはならない。頭が元気なうちにたくさん読まなくてはいけないし、「老後の楽しみ」などと流暢なことは言っていられないのである。長生きできるかどうかもわからないし、老後、たぶんそんなに本読めないと思う。さてどうすればいいかと熟考したが、やはり「携帯を携帯しない」以外の方法はないとの結論に至った。他に解決策がない。私の場合、たとえ電源を切っていても、スマホが近くにあるだけでダメである。がまんできずに触ってしまう。物理的に距離を置き、完全に遮断するしかないと悟ったのだ。

働いている会社の勤務形態が在宅から通勤に戻った3月上旬、携帯を携帯しない生活を始めて、間もなく1ヶ月が経つ。携帯を持たずに家を出て、朝の7時から夜の8時までネットに接続できない状況を作ったところ、これが相当に効いた。週に6冊~8冊のペースで本を読めるようになったのだ。家を出た瞬間、ネットから自由になれるのがいい。物理的に接続できないようにすると、通勤中はかばんの中に入っている本を読むしかない。また土日は、携帯を持たずに近所の喫茶店へ行って、ひたすら本に集中する。うまくいくと、1日で2冊半くらい読める日もある。本を読む力が戻ってきたとはっきり実感できたこの1ヶ月だった。現代において値千金の集中力。私は集中力を取り戻して、大好きな本にそのエネルギー注ぎ込むことができている。本稿はその実験結果の報告である。

スマホの何がよくなかったか

私の場合、スマホを触っていて嫌になるのは、同じことを何度も繰りかえしてしまう悪癖だった。基本的に見るのは、ツイッター、YouTube、インスタグラム、ニュース記事の4つだけなのだが、気がつくとひたすらにその4箇所を巡回し、同じことを繰りかえし確認してしまう。同じアプリ、同じ通知欄を何度も何度も見てしまうのである。この、いかにも非生産的な反復作業が自分でもほとほと嫌になった。もうちょっと他に見るべき情報があるはずだと思いつつ、4種類のアプリを順番に立ち上げては止め、立ち上げては止めを反復する私。あまり楽しんでいないし、飽きっぽくて落ち着きがない。また、そこでなにか新しい知識を得たり、発見をしているわけではないのも情けない。ただひたすら「次、次、はい次」と情報を浅く消費するだけである。やがて、こんな風に高速でいろいろなアプリを見ては止めてを連続させている自分は、とんだ痴れ者ではないかと不安に感じるようになった。

携帯の携帯を止めてからしばらくして、各所で話題になった新書、アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)を知り、やや扇動的なタイトルだと感じつつ、気になって読んでみた。すると同書には、私が携帯を携帯することを止めるに至った心境にきわめて近いことが書かれており、しばし戦慄したのだった。同書がヒットした理由もよくわかる。スマホの得体の知れない影響力(あるいは支配力というべきか)を怖れつつ、かといって止めることもできない私たちの不安を言い当てている気がしたのだ。とはいえ『スマホ脳』には疑問点もあり、同書内で多用される「人間が古代から持つDNAが……」という説明については、それが正しいのかどうか検証しようがないため判断できない。『スマホ脳』に書かれた内容を100%信頼できるかはひとまず措くとして、著者をしてこの本を書かせるに至った「このままスマホをいじり続けたら、私はどうにかなってしまう」という不安についてはとてもよく理解できた。

『スマホ脳』からの耳が痛い引用

読んでいて印象に残った記述を引用する。著者と同じ危機感を持って、私は携帯を携帯するのを止めたのだった。

時間の無駄だとわかっていても、私たちはスマホを手放すことができない。ソファに座ってテレビのニュースを観ていても、手が勝手にスマホへ向かう。本を読むのは昔から好きだったのに、集中するのが難しくなった。集中力が必要なページにくると、本を脇へやってしまう。そういう経験があるのは私だけではないはずだ。
あなたの休暇の写真に「いいね」がつくのは、実は、誰かが「親指を立てたマーク」を押した瞬間ではないのだ。フェイスブックやインスタグラムは、親指マークやハートマークがつくのを保留することがある。そうやって、私たちの報酬系が最高潮に煽られる瞬間を待つのだ。刺激を少しずつ分散することで、デジタルなごほうびへの期待値を最大限にもできる。
たいていの場合、着信音が聞こえたときの方が、実際にメールやチャットを読んでいるときよりもドーパミンの量が増える。「大事かもしれない」ことに強い欲求を感じ、私たちは「ちょっと見てみるだけ」とスマホを手に取る。しかもこれを頻繁にやっている。起きている間じゅうずっと、10分おきに。
集中力を完全に回復させ、読んでいた箇所に戻るには切替時間が必要なのだ。勉強中にメールやチャットに返信すると、読んでいる内容を覚えるのに時間がかかってしまう。スマホに費やした時間を差し引いてもだ。仕事や受験勉強でマルチタスクをしようとする人は、別の言いかたをすれば、二重に自分を騙しているのだ。理解が悪くなる上に、時間もかかる。チャットやメールをチェックするのは、例えば1時間に数分と決めてしまい、常にチェックしないのがいい方法かもしれない。

スマホから自由になりつつある私

読んでいると、首筋あたりがひやっとしてしまう本である。もはや私はスマホ依存症ではないかと怖くなってくるのだ。私は死ぬまでに1冊でも多くの世界文学を読了するという野望を抱いていたはずなのに、スマホをいじっていたら、いいねがついた、つかないに一喜一憂しているうちに、時間を吸い取られて人生が終わってしまうような気がしたのである。また、よもやインスタグラムが「いいねがついてるのに、ちょっと通知を遅らせる」みたいな手練れのじらしテクを使ってくるとは思わなかった。まったく知らなかった事実。そうして、報酬としての通知が出たり、出なかったりする状態をランダムに設定し、動物のように反応して興奮したりスワイプしたりを繰りかえすユーザーを生んでいるという事実に虚無感を覚えたのである。スマホをいじるわれわれは動物のようだ。

むろん、携帯を携帯しないという選択肢をいますぐ取れる人はあまりいないだろうし、いまのスマホライフに満足している人にとっては何の問題もない。しかし、私自身はスマホとの関係性を変える必要があったし、生活をまともにしたかった。そのために携帯を携帯しないことにしてから、かなり頭がすっきりしてきたと思う。なにしろ読書がはかどっている(とはいえ「紙の本を読む」などというアナログな行為が好きな人間もかなり減ってきている昨今、たくさん読んだからどうしたという話ではある)。本稿の文意としては「自分の好きなことに集中できるようになって嬉しい」程度の内容だと受け取ってもらいたい。いずれにせよ、携帯を携帯しないという判断は個人的にとてもよかったと思うし、もし「自分が本当にやりたいことに集中したい」という気持ちがある人は、週に一度か二度でも日を決めて試してみるのもいいのではないかと考えている。


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