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『ワンダーウーマン1984』と、西部劇のスピリット

投げ縄とサイレント西部劇

ワンダーウーマンは「真実の投げ縄」という、とてもステキな武器を持っています。すでに指摘されているとは思うのですが、これは実に西部劇な道具だといえます。「サイレントのころのウェスタンというのは、馬と投げ縄なの」と淀川長治先生もおっしゃっていました(『映画千夜一夜』中央公論社)。なぜサイレント映画では、銃ではなく投げ縄なのか。銃というのは、効果音がないといまひとつなんですね。バンという音ありきで成立する。だからこそ、クルクルと投げ縄を回して悪漢をつかまえるワンダーウーマンは、サイレント時代の西部劇的なイメージを身にまとった主人公だといえるのではないでしょうか。

今回の『ワンダーウーマン1984』(2020)では、冒頭にトライアスロン風スポーツ大会の場面が盛り込まれ、女性たちが馬に乗って山道を駆ける展開が用意されていました。馬と投げ縄。私はここで、淀川先生の言葉を思い出してしまいます。さらには劇中、石油採掘に賭ける男まで登場し、西部劇の雰囲気はより高まります。時代設定こそ1984年ですが、作品にはアメリカ西部劇の精神が感じられるのがおもしろいところです。

西部劇といえば開拓であり、ゴールドラッシュに代表される一獲千金の精神が重要です。ほんの一瞬ですべてがひっくり返る、たった1日で人生が変わる。そういったとんでもない夢想が、19世紀後半のアメリカにはあふれていました。そのせいもあってか、私は米国史で19世紀がいちばん好きです。何だかめちゃくちゃだからです。あるいは、1980年代と19世紀後半のアメリカは、その熱気において似ていたのではないかとも思えます。

19世紀後半のアメリカ

本作には、石油採掘に夢を託すトランプ似のインチキ投資会社社長が登場します。このおじさんのいかにも怪しい儲け話、ひいては映画『ウォール街』('87)に描かれたような1980年代の投機熱は、南北戦争後、途方もない好景気に沸いた19世紀後半の熱狂の再現を連想させます。とはいえ、石油が出ないことは社長本人もうすうす理解していまして、それでも彼は夢物語を言葉巧みに紡いで、人びとに投資を呼びかけています。こうなるとやけくそのやぶれかぶれですが、あるいはこの社長、自分で語った夢物語に自分自身が騙されてしまっているのではないかという気がしなくもない。それもまたアメリカ人らしいふるまいで、私は好きです。

この社長からは、退屈で地味な真実より、ド派手で耳に心地よいウソの方がずっと有意義じゃないかという開き直りも感じられます。その自己欺瞞。ふりかえってみれば、ジョン・ヒューストン『黄金』(1948)やジョージ・スティーヴンス『ジャイアンツ』(1956)、ポール・トーマス・アンダーソン『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)のように、資源採掘でひと山当ててやろうというアメリカ映画は数多い。「金メッキ時代」(Gilded Age)などと揶揄される19世紀後半ですが、『ワンダーウーマン1984』は、1980年代の景気のよさと、肩パッドの入ったいかついジャケットでキメた80年代風ファッションを武器に、マネークレイジーなアメリカの熱狂を再現しようと試みているような気がしてなりません。

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ドリーム・ストーンとアメリカの見果てぬ夢

さて、西部劇的な主人公と、石油で一獲千金を狙う山師が登場し、『ワンダーウーマン1984』は実にアメリカ映画的な意匠をまとうこととなりました。そこに追い打ちをかけるように登場するのが「ドリーム・ストーン」なる魔法のアイテムです。これはおそらく、観客にとっても意見の分かれるところでしょう。手に持って願いを口にすれば、即座に何でも叶ってしまうという究極の道具だったものですから、あらすじもへったくれもないというか、何でもありになってしまうためです。映画がいっぺんに、おとぎ話、寓話になってしまいました。しかし、この「ドリーム・ストーン」こそアメリカの本質だという気が私はするのです。

「生活を一変させる奇跡を求める度合いにおいて、アメリカに勝る国はない。その点で、アメリカは間違いなく例外的である」と述べたのは、『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(東洋経済新報社)の著者カート・アンダーセンです。ここで著者の指摘する「生活を一変させる奇跡」とは、まさに「ドリーム・ストーン」による欲望の具現化にほかならず、トランプ似の投資会社社長が抱く「現実を一瞬で完全にぶち抜きたい」という激しい欲望こそがアメリカではないだろうか。こうした意味で『ワンダーウーマン1984』は、きわめてアメリカ映画的な作品であると感じるのです。


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