ごく普通のことを理解するのに時間がかかる
宇宙の果てで感じた孤独
『アド・アストラ』(2019)という映画はとても変わっていて、映画ファンやSF好きからはあまり評判がよくないのだが、私は気に入っている。2019年に見た映画でいちばんよかった作品だと思う。あらすじをかいつまんで説明すれば「人と接するのが苦手な暗い性格の男(ブラッド・ピット)が、他人と触れ合いたくなくて、ひとり宇宙船に乗って32億km離れた太陽系のはじっこまで行くのだが、そこでようやく、心から『さみしい』『人と触れ合いたい』と感じて地球に戻ってくる」という内容である。この主人公の他人嫌いは何なのか。そしてなぜ他人嫌いの男が、急に孤独を感じたのか。こうした心理描写に惹かれたのだ。監督がジェームズ・グレイで、私はこの人が撮る映画が全部好きなのである。
主人公は性格こそ暗いものの、一度は結婚している。しかし感情表現ができないため、妻(リヴ・タイラー)は求めていた愛情を得られず、主人公の元を去ってしまう。しかし、この「感情が表に出ない」「つねに冷静沈着を保てる」資質は、つねに危険と隣り合わせの軍人としては重要であって、彼は軍のなかでは高い評価を受けている。軍の決まりとして、主人公は何度も精神の安定度を機械測定されるのだが、感情があまり機能していないため、そのテストに合格できる。つまり「感情がほぼ死んでいる」ことは、軍人としては優れた特性であるのだが、家庭人としては失格になってしまう。劇中、主人公は「感情を捨てよ」「感情を豊かに表現せよ」という矛盾した要求を同時にされていることになる。悲しい立場である。
ひとりで宇宙の果てへ
主人公は元妻にきちんと愛情表現できなかったことを悔んでおり、あやまりたいと思っていたが、あやまる勇気が出てこない。感情が壊れてしまっているため、どう表現していいのかがわからないのだ。彼は半ば世捨て人と化して、ひとり宇宙船に乗って太陽系のいちばん奥まで行くのだが、そこで反省し、ようやく元妻にあやまろうという意思が固まる。あやまるのはいいことだが、宇宙の果てまで行かないと「ごめんなさい」が言えないというのは効率が悪すぎるのでどうにかした方がいい気がする。そういえばシカゴのヒット曲に「素直になれなくて」(1982)があった。原題は ”Hard to Say I'm Sorry”(直訳:ごめんなさいと言うのがむずかしい)だが、いくら素直になれないと言っても、地球から32億km離れた海王星まで行って自分を見つめなおさないと I’m sorry が伝えられないのは問題がある。ごめんなさいは、気がついたタイミングですぐに言うべきだった。
映画のエンディング、他者の大切さに気づいた主人公はついに「身近な人に心を委ね、苦労を分かち合う。そして、いたわり合う。私は生き、愛する」と宣言して物語は終わる。私は、主人公がようやく口にしたこの言葉に深く感動したのだが、考えてみればこれとて実際は、ごく普通の中学生でもわかっている人間関係の基本であって、なぜこの当たり前の理解に至るまでにこれほど遠回りをしてしまったのかとも思う。しかし主人公は「私は生き、愛する」と決意するまでに、長い迂回がどうしても必要だった。その長い迂回が、私の胸を打つのである。どうすれば人に心を委ねられるのか、主人公はわからなかったのだと思う。その愚かさが悲しくて、暗い表情をした主人公から目が離せない。私自身「どうしてこんなに当たり前のことが、いままでわかっていなかったのだろうか」と情けなくなる経験ばかりしている。だからこそ、誰でも理解していなくてはならないはずの、ごく普通のことを理解するのにこれほど時間がかかる主人公がどうしても他人とは思えず、映画を見るたびにやり切れない気持ちになってしまうのである。