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『キャンディマン』と、黒人コミュニティの守護者

映画の内容に触れているため、未見の方はご注意ください。

黒人コミュニティが抱える危機感

シカゴ市街にある町、カブリーニ・グリーン。冒頭、1970年代の貧しい団Project地から映画は始まります。黒いコンバースを履いた黒人少年が団地内で偶然出会ったのは、コートを羽織り、片腕の先がかぎ爪になった黒人男性です。彼は少年にキャンディを食べないかとすすめますが、その風貌に驚いた少年は叫び声を上げてしまいます。やがて少年の声を聞きつけた複数の警官がなだれ込むように突入してくると、いっせいに警棒を振り下ろし、くだんの黒人男性を殴り殺してしまいました。1992年に公開された映画『キャンディマン』の続編として制作されたこのフィルムは、黒人コミュニティが抱える危機感をみごとに寓話化した深みのあるホラーです。

『キャンディマン』のショッキングな冒頭は、否応なしに Black Lives Matter 運動を連想させるものでした。激しく殴打される黒人男性の姿。本作には、いわば「BLMホラー」とでも呼ぶべき一面があります。プロデューサーとして、『ゲット・アウト』(2015)、『アス』(2019)のジョーダン・ピールが参加しており、彼らしいテイストを感じました。物語の舞台が現代へ移ると、カブリーニ・グリーンは貧しい人びとが住んでいたかつての土地とは似ても似つかない、高級マンションが立ち並ぶ地区へと変貌しています。いわゆるジェントリフィケ高級化ーションと呼ばれる現象です。家賃は高騰し、住む人びとは変わりました。かつてこの地区で暮らしていた低所得層の黒人たちは、どこへ追いやられてしまったのでしょうか。

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主人公の若き黒人男性アンソニー(ヤーヤ・アブデュル=マーティン2世)は美術家として成功しており、家賃の高そうなカブリーニ・グリーンのマンションに住みながら、作品の制作に取り組んでいます。アンソニーは、鏡の前で名前を5回唱えると登場するとうわさされるキャンディマンの都市伝説を耳にし、新しい美術作品のテーマとしてキャンディマンを取り上げてみてはどうかと思いつきました。取材のため、かつて低所得者層の住む団地だった場所を訪れるアンソニーが、黒いコンバースを履いているという符号にも注意を払う必要があります。彼はキャンディマンにまつわるアート・プロジェクトを開始しますが、「これまでになく作品テーマと一体になった感覚を味わっている」と言います。アンソニーは、キャンディマンの伝説をさらに深く調べていくうち、過去に理不尽な暴力で殺された数多くの黒人たちの存在に突き当たるのでした。

過去をなかったことにはできない

作品を見ていくうちに、キャンディマンとは、黒人コミュニティが暴力の危機にさらされた際に召喚される、ダークヒーローのような役割を担っていることが読み取れます。黒人であるというだけで警官に呼び止められ、殴られて殺されてしまうような社会にあって、黒人コミュニティは自分たちを守ってくれる存在を求めます。黒人に対する暴力の歴史は止むことがなく、いつまで経っても周期的に同じ問題が繰りかえされてしまいます。だからこそ、次なるキャンディマンを待ち望み、必要に迫られれば新たなキャンディマンを自分たちで作ってさえしまうという本作の展開が批評的な意味を持つのです。「過去をなかったことにはできない」「清算していない過去はどこまでも追ってくる」とは、ホラー映画における常套テーマですが、このモチーフが過去から現在へと止むことなく続いていく黒人への暴力の歴史と接続されるアイデアが刺激的です。

仮に邪魔者をどこかへ追いやり、後ろめたい過去を表面的になかったことにしても、それは思いもよらぬ形でわれわれの社会へ戻ってきてしまいます。ジョーダン・ピールは本作について「キャンディマンの伝説は、社会のコミュニティと彼らが自分自身を守るために必要なものとの間にある、守護聖人のようなものなんだと思う」と述べていました(劇場用パンフレット内記述)。こうしたテーマが、美しい撮影や意外性のあるショット(マンションの一室で死ぬ女性批評家をロングショットで表現した場面の新鮮さには驚きました)で描かれていく『キャンディマン』は、ジャンル映画としての常套を現代的なテーマにうまく転用した快作ではないでしょうか。

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