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山田宏一『フランソワ・トリュフォーの映画誌』(平凡社)

山田宏一のトリュフォー本は多数あり、どれも好きなのだが、やはりトリュフォー本人と直接に交流があったというのは大きい。エピソードの生々しさが違うのだ。60年代前半にフランスへ渡ってシネマテークへ通い詰め、カイエ・デュ・シネマ界隈の批評家や映画作家と交流して、ゴダールやトリュフォーと友だちになり……という経験は、下の世代からするとちょっと信じられないような話である。私が映画を見始めたときにはすでに伝説化してしまっていたヌーヴェル・ヴァーグは、ただ遠くから仰ぎ見るしかない過去のムーブメントだが、それをリアルタイムで通過していく感覚とはどのようなものなのだろうか? 映画ファンなら必ず抱くこうした疑問に対する、貴重な手がかりが山田宏一の著書なのだ。

本書は、トリュフォーが影響を受けた映画作家、作品に頻出するモチーフを挙げながら作品を読み解くという1冊。作品の見方がていねいで、公開当時の日本での反響や、どのような劇場で公開になったかといった情報が加わることで、経験できなかったヌーヴェル・ヴァーグを想像する楽しみがある。ロッセリーニ、ルノワール、ヒッチコック。あるいはホークス、オーソン・ウェルズ、ニコラス・レイ。影響を受けた映画作家との関連性を読んでいるだけで、見たい映画のリストがどんどんふくらんでいく。エッフェル塔や女性の足、「831」という数字(この数字に対するこだわりは初めて知った)など、トリュフォー作品で何度も登場するモチーフの解説もおもしろい。

読んでいてもっとも興味を惹かれたのは、軽く触れられているゴダールとの訣別なのだが、トリュフォーとゴダールは訣別の前、お互いを糾弾する厳しい手紙をやり取りしていて、その手紙を届ける役がジャン=ピエール・レオだったというのを知った。そんなやっかいな役割を押し付けられたジャン=ピエール・レオはたまったものではないが、彼はゴダールとトリュフォーのあいだを何度も行き来しながら、手紙の運送係をしていたのだという。大事な俳優にそんな辛いことさせるなよ、と思った私である。いまならきっとメールやSNSになるのだろうが、それが古式ゆかしい手紙という手段で、しかも俳優をあいだに入れて往復させるところに時代を感じて、妙に記憶に残った。

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