「家父長制」の定義
「家父長制」とは
家父長制(patriarchy)とは、男性による支配を目的とした社会制度や慣習、考え方を意味します。家父長制はまず何より「支配」を目的としています。もともとは、家族において父親が長となる仕組み、家族を支配して特権的な地位を占めるシステムを指していました。父親が家族に関する決定、判断を下し、母親や子どもがそれに従う。この仕組みを、社会全体に範囲を広げて置き換えれば、大統領や総理大臣、内閣閣僚などの要職を男性が独占している状態も家父長制的であるといえます。また首長、会社社長、決定権者、賞の選考者、テレビ番組の司会者などのポジションが男性で独占され、女性が補佐的な役割(秘書、アシスタント)にとどまる状態もまた、家父長制の発想に基づいていると考えられます。こうした慣習は、端的に女性蔑視的です。そのため、フェミニズム思想が大局的に目指すのは、家父長制の廃棄です。
社会制度としての家父長制
家父長制の思想は社会制度として、法律や医療など、さまざまなかたちを取って私たちの生活に反映されています。たとえば日本で堕胎を行う際には、配偶者の男性や相手の男性の同意が必要ですが(母体保護法)、女性自身がみずからの身体の処置に関して独自で決定することを認めないルールは、女性に対して支配的であるという意味で家父長制的です*1。また夫婦別姓が認められていないことも、同様に家父長制の発想です。他の例として、ミレーナと呼ばれる器具を子宮内に装着することで、月経痛の軽減や避妊効果を得る医療施術が挙げられます。日本では、女性に月経痛の症状があればミレーナは保険適用となりますが、避妊目的の場合は保険適用されないという基準があり、こうした選別もまた、女性の身体に関する主体的な選択を軽視する態度において、家父長制的だと言えます。
家父長制が女性に求めること
家父長制が女性に求める最大の作業は、間違いなくケア労働です。家事、育児、子どもの教育、近所づきあいや周囲との関係構築など。こうした負担の多い作業(同時に「労働」としては正当に評価されない無償作業)は女性が行うものであると、多くの人が無意識のうちに考えてしまっています。そのため、家父長制において女性はケア労働に翻弄され、自由な時間を持つことができなくなります。また家父長制が、女性を「出産するための身体」として管理/支配しようとすることは先に述べましたが、同様に、家父長制は女性の身体を性的消費物、性的玩具としてもてあそぶ傾向があります。そのため、性的ハラスメントもまた家父長制と深い関係があります。こうした理由から、家父長制は女性にとって負担が大きく、主体性や自由を奪われる有害なシステムであると言えます。フェミニズムが家父長制に反対するのはそのためです。
家父長制と「男らしさ」
私が論じることの多い「有害な男性性」との関連性において述べると、「男らしい」男性*2 とは、これまでに説明したような家父長制の思想を忠実に内面化した人物であると考えます。家父長制という男性主体のシステムにより適応し、そのルールのなかで競争することを望み、勝者となる可能性が高い男性が「男らしい」人物です。そのため「男らしさ」にはどうしても、家父長制がほんらい有している女性蔑視が入り込み、女性の主体性を奪うと同時に、性的消費物としてもてあそぶ態度が存在することになります。また、家父長制が支配のシステムであることは当初に述べましたが、そのシステムに適応した「男らしい」男性は、意識的であれ、無意識であれ、女性を支配しようとする態度があります。そのため女性を侮蔑したり、「つけあがらせない」ように冷酷な仕打ちをするなど、女性を不幸にする行動が起こりがちで、場合によってはDVなどにエスカレートする傾向が見られます。男性の持つ家父長制的な態度(有害な男らしさ)を改めないかぎり、女性との幸福なパートナーシップを長期に渡って継続していくことは難しく、男女双方が不幸になる可能性が高くなると考えます。
いかに乗り越えるか
家父長制は長きに渡って社会全体に浸透しているため、われわれの思考や反応、あるいは無意識の前提として染みついてしまっています。家父長制はあまりに自明であるため、言語化して問題点を指摘しても、「当然ではないか」「それの何がいけないのか」といった反応をされる場合も多いかと思います。家父長制のいびつさに疑問を持ったり、変化を訴えることは実に困難です。そのため特に男性は、無意識におこなわれる言動が家父長制的ではないか、それによって周囲に害を及ぼしていないかをつねに省みる必要があります。家父長制は女性にとって不幸なだけではなく、男性にとってもマイナスな仕組みであり、みずからを苦しめるシステムであることを念頭に置いて、より公平で寛容なふるまいを目指すべきだと考えます。
*1 映画『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015)劇中、支配者イモータン・ジョーは、自分の子どもを宿した妊娠中の女性に対して、お腹にいる胎児は自分の「所有物」(property)であると声を荒げて主張しました。こうした視点こそが、まさに家父長制の態度そのものです。
*2 「男らしさ」の定義は以下を参照