スニーカーを20年ガマンした中年男性が一気に目覚めた2ヶ月の記録
スニーカーが似合わない!
スニーカーやジーンズといったカジュアルな服装が似合わない私は、ある時期を境にカジュアル路線から撤退し、革靴と襟のついた服を身につけるよう心がけてきた。友人知人、会社の上司など、複数の人から「フォーマルな服装の方が絶対に似合う」と忠言され、そのアドバイスにしたがったのだ。結果、近所を散歩するときに履くウォーキング用の靴以外、スニーカーから遠ざかって早20年が経過していた。心の奥底にスニーカーへの憧れを持ちつづけ、おしゃれに履きこなす若者をうらやましく思いつつ、「自分には向いていないのだ」とあきらめていたのである。しかし、年月が経ち「ナイキでもっともシンプルな定番モデル『エアフォース1』の白くらいなら、私のような人間でも履けるのではないか?」と考え直すようになった。最近の若者風にいえば「ワンチャンあるんじゃないか」と思ったのだ。やはりスニーカーを履いてみたいのである。2ヶ月前、意を決して「エアフォース1」を入手した私は、感動に打ち震えていた。
スニーカーを履いて歩くのは、何て楽しいんだ〜!
わきあがるよろこび。「エアフォース1」のデザインは、見れば見るほど完成されていて、何ともいえず美しいのである。買ったばかりの真っ白なスニーカーはまぶしく輝いていて、鏡にうつる自分の足元を、つい何度も眺めてしまう。足取りも軽く、心も晴れやか。もう似合っていなくてもどうでもいいという気になった。好きなスニーカーを履く。それで私が楽しい気持ちになれるのだから、それ以上何が必要なのか? 「エアフォース1」はナイキの通販で買ったのだが、ホームページには他にもいろいろなスニーカーが出ていて、履いてみたいと思うような製品も数多い。カッコいいデザイン、かわいい色使い、変わった素材など、どれも魅力的だ。これまで、自分で自分に徳川スニーカー禁止令を出していたが、もうやめた。履く。そう決めた私は、この20年の遅れを取り戻すべく、スニーカーを身につけ始めたのだった。この記事は、長らくスニーカーとは無縁だった中年男性が、スニーカー業界について約2ヶ月で学んだことをまとめたものである(私はナイキしか買っていないため、他のブランドについては情報がない点をお断りしておく)。
抽選に参加しないと買えない
ナイキの新作スニーカーは、主に「SNKRS」という専用アプリで販売される。週に数度、新しいスニーカーがアプリを通じてリリースされ、そのつど抽選販売をするのだ。まず、私はこの仕組みをわかっていなかった。私がナイキのホームページで見ていたのは「つねに販売されている定番アイテム(インラインと呼ばれる製品)」か「新作として発売したが、完売せずに残ったスニーカー」のいずれかであったのだ。「エアフォース1」の白はインラインなので、普通に買えたのである。そうだったのか。私はあまりに素人すぎて、新しいスニーカーは別の場所で抽選していると知らなかった。できれば「アプリで新作の抽選やってま〜す!」とか、ホームページのいちばん目立つところに書いておいてほしかった。人気の製品は、発売日の抽選で一気になくなってしまう。かかるナイキの販売ルールを学んだ私は、さっそくアプリから抽選に参加してみたのだが、これがまあ当たらない。2ヶ月で12回の抽選に応募したのだが(店舗のWEB抽選含む)、まだ1度も当たっていない。こんなに当たらないものかと思った。
とはいえ、抽選はそれじたいが楽しいのである。時計を眺めながら待機し、開始時刻と共に、アプリを開いて申し込みをする。こんな集中力を発揮する場面、普段は絶対にない。だいたいは、受付開始後10分以内にエントリーをして、その後の結果発表を待つのだが、つい「よしっ、来い!」などと普段出さない感じの声を出してしまう。買いたい人が殺到しすぎてアプリが動かなくなったり、画面がグルグルしたまま固まることもよくあるのだが、そのたび不安と期待が入り混じった状態におちいり、「アプリがんばれー!」などとよくわからない応援をして勝利を願う。もちろん買えない。「ナイキの新作が買える」などというのは根も葉もない都市伝説なのだ。しかし、この遊びに参加して盛り上がるのが無料というだけでトクした気分になれるし、結局何も買えないのでお金が減らない点もいい。何回ダメでも、次の抽選では「ひょっとしたら……」と期待を抱いてしまう。何連敗すれば買わせてくれるのか試してみたい気持ちもあって、よさそうなスニーカーの抽選に申し込み続けているところだ。
ネットがダメなら店へ行く
さて、ネットの抽選で当たらないとなれば、お店へ行って買うしかないのだが、ここにも大きな壁がある。ドレスコード、通称ドレコである。これには衝撃を受けた。スニーカーを買いたければ、店側の指定したスニーカー(入手困難な限定品含む)を履いていかなければ、抽選に参加する資格すら得られないという恐怖のシステムだ。スニーカーそのものを持っていないのに、ドレコの靴なんて持っているわけがない。こいつは厳しい世界だと思った。とても買える気がしない。本格的なスニーカーマニアは「この靴がドレコになるかもしれない」と事前予想して、ドレコ用のスニーカーを先回りで入手するらしい。靴を買うための靴。シュールな響きがする。ドラゴンクエストで「やまびこの笛」を手に入れたいなら、まずは「船の財宝」が必要になる的な展開があったことを思い出した。ほとんどロールプレイングゲームのような攻略が求められているのだ。さらに印象的だったのは、ドレコとして「靴を販売している小売店の社長が書いたビジネス本」を持ってこさせるというルールの店舗があったことで、これには「スニーカー界隈おもしろすぎるな〜」と嬉しくなったのだった。そんなわけで私は、ドレコの壁に阻まれて店舗抽選に並ぶこともできず、インラインの靴か、即完しなかったスニーカーのいずれかを買って履いている状態だ。
この2ヶ月でいちばん欲しいと思ったスニーカーは「エアジョーダン 1 ロー フラックスアンドオイルグリーン」(ザイオン)であった。いろいろな素材が細かく貼り合わせられた暖かい色のスニーカーで、私好みの、実にかわいいデザインだったが、購入はできず。これはもしかして、転売……。そう考えた私は、スニーカーの転売に使用される場所を調べ、リセールサイト「スニーカーダンク」(通称スニダン)にたどり着いた。どうやら、ここが業界最大手のようだ。初めて「スニダン」を見て驚いた。私の欲しかった「ザイオン」が、何百足も販売されているのだ。定価19800円のスニーカーは、35000円くらいのプレミア価格(通称プレ値)で売られている。どのサイズもたっぷりと在庫があり、未使用新品がすぐにでも買える状態だ。転売の話は聞いたことがあったが、実際にこうして自分の欲しかった製品が、発売してすぐにリセール市場に出ているのを見ると虚しくなり、「繰り返される諸行無常……」と向井秀徳みたいな口調でひとりごとを言ってしまった。スニーカーは株券のように値が上下する金融商品になっていて、完全に投資の対象なのだとあらためて気づいたのである。転売商品を高額で買うのは悔しいので、購入していない。
スニーカーは株券ではない
ここでおもしろいと思ったのは、スニーカー好きには「どの靴が完売するか」「みんなが欲しがる製品はどれか」を気にする傾向がある点だ。スニーカーマニアのYouTubeも多数あり、私はそうした動画を見ながら研究を進めていたのだが、いちばん盛り上がるのは「即完した人気スニーカーを運良くゲットできたとき」で、競争率の高さを勝ち抜く様子が動画の見どころにもなる。逆に、自分が急いで買ったスニーカーが完売せず、売れ残っていたりすると「なんだ、普通に買えるのか」とがっかりするようなところがある。ここでは「他人の欲望」や「周囲の期待値」に重きが置かれているのだ。みんなが欲しいモノが欲しい。これはある意味、とても資本主義的なふるまいで、先ほど例に出した株券というのはまさに「世の中の人は、この会社の株価が上がると見ているか否か」を予想するゲームである。スニーカーの転売価格は、株式と同様に「周囲の期待値」(みんなが欲しいと思っているかどうか)そのものだ。もちろん「自分が履きたいと思うかどうか」でスニーカーを選ぶ人もたくさんいるだろうけれど、現在のスニーカー人気のひとつに、株価が上がったり下がったりする資本主義的なゲーム性や、人気投票の側面があるように感じたのだった。そういえば、転売サイトの「スニダン」は過去に、「モノカブ」(モノを株のようにトレードするの意)という別の転売サイトと合併した経緯があるそうだ。なるほど〜。
スニーカーを履き始めてから、道ゆく人がどのような靴を履いているか、ものすごく注意して見るようになった。いままでは考えたこともなかったが、急に気になり出して、ずっと靴を見て歩いているような状態だ。私が買えなかったあんな靴、こんなスニーカーを履いている人がいないかと気にして眺めていたが、なかなか見つからない。もしかして、人気スニーカーは販売されるとそのほとんどがリセール市場へ行き、運良く購入した人も「もったいないから」「履くと価値が下がるから」という理由で家に保管しているのだろうか。いや、さすがに買ったら履くと思いたい。靴を買って履かない意味がわからない。「多くの人が競ってスニーカーを買い求めるが、投資物件なので誰も使用しない」とは悲しすぎる世界なので、ぜひ履いてほしいし、たまたま私が見逃しているだけという仮説を信じたいと思う。私が靴の観察をしたのは主に下北沢であり、おしゃれな若者が集まる町だが、私が買いたかったスニーカーを履いている人にはあまり出会えなかった。原宿あたりに行けばまた違うのだろうか。
下北沢に来る人のスニーカーを見て気づいたこと
◆ニューバランス人気がかなり高い
◆アシックス健在! 結構いる
◆ナイキも普通に見かけるが、思ったより多くない
◆新作スニーカーを履いている人は少ない
◆インラインを履いている人が多い
◆厚底のダッドスニーカーが流行っている(特に女性)
2022年最大のイベント
この2ヶ月でいちばんのイベントは「エアジョーダン1 シカゴ」というスニーカーの抽選販売であった。このモデルはとても人気が高いのだそうだ。何しろ初心者で知識がないのだが、業界の一大イベントであることは雰囲気からわかった。個人的には、色合いなどはたしかにカッコいいが、日常生活でどう履きこなせばいいか難しい、やや派手なデザインに思えた。おしゃれのニガテな中年男性が急に履いても大丈夫か迷ったが、どうせ当たらないのだし、お祭り気分で抽選に参加してみた。店舗WEB抽選とナイキアプリの二段構えで臨んだが、買えなかった。正直、「シカゴ」がそこまで欲しいわけではなかったのだが、ミーハー心でお祭り会場まで出かけていった私である。祭りとしてはとても楽しかった。SNSの反響を眺めたり、YouTubeで抽選に参加する人たちの動画を見たりして、イベントとして盛り上がることができたのである。当たって大喜びする人、行列して抽選に参加するもハズれて、ドトールでお疲れ会をするスニーカーファン。みんな無邪気に抽選をエンジョイしており、かわいらしい人たちだと思った。また、当たったら購入に2万円かかるので、ハズれて少し安心した側面もある。またしても無料で楽しんでしまった。実際、私はどちらかといえばシカゴより、スエードとかベロア、ハラコやコーデュロイみたいな変わった生地がいっぱい貼りつけてあるような変わり種スニーカーの方が好きなのだ。
人気の「ダンク」や「エアジョーダン」といったスニーカーは競争率が高く買えないので、私個人はあまりライバルのいない「エアフォース1」や「ブレイザー」といったモデルを買って履いている。これらは普通に手に入るのだ。また、買えなかった負け惜しみではなく、私は「エアフォース1」のデザインが本当に好きなので、いくつか色違いを買ったりして履き分けているところだ。スニーカーを履いて歩くのは楽しいのに、いままでそれをガマンしていたのがもったいなかったなと思う。人に何を言われようが、気にするべきではなかった。この記事を書いた日もお気に入りのスニーカーで歩いていたのだが、だんだん「自分はもうすぐラッパーとしてデビューできるんじゃないか?」と思うくらい無敵の気持ちになれたので、気分が落ち込んでいる方にはぜひすすめたい。スニーカーは履く人を元気にする。心の健康にいいものなのだ。
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