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いとうせいこう/星野概念『ラブという薬』(リトルモア)

薬のような本

いとうせいこうと星野概念の共著『ラブという薬』(リトルモア)は、同じバンドで音楽を演奏する仲間であるいとうと星野が、精神科に通う患者とその主治医という立場で語り合った内容が収められた対談本である。いとうが所属する音楽グループ、口ロロ(くちろろ)のサポートメンバーである星野は、同時に精神科医でもあり、本書はいとうが患者として星野の診察を受けたいと申し出たことが発端になっている。いとうは、けがをした人が外科を受診するような気軽さで、心の不調を感じる人が精神科を受診できるようなきっかけになる本、「薬のような本」を作りたかったと語っている。読みやすい構成や語りの柔らかさもあいまって、いとうの試みは1冊の本にうまく結実していると感じた。

人に話を聞いてもらうことの大切さを、コロナ以降に痛感した私である。誰かに話を聞いてもらわなければ、われわれは生きていけないという当たり前の事実をあらためて痛感したのだった。人に悩みを相談するのは大切だが、同時になかなかハードルが高いものである。まずは悩みを聞いてくれる相手が必要で、友だち、配偶者、恋人など何らかのしっかりした人間関係がなくてはいけない。さらには、その相手が悩みを頭ごなしに否定せず、肯定してくれる姿勢を持つ人物であることも大切だ。相談者は何より共感してほしいのであって、厳しいダメ出しや箇条書きの解決策を求めているわけではないのである。勇気を出して相談した悩みを否定されるというのはつらい経験になる。「この人ならきちんと聞いてくれる」と確証がある相手でなければ、本当に悩んでいることは話せない。そうした人は意外に見つかりにくいのではないか。

精神科医は理に適った選択

さらには、多くの人は相手の話を聞くより自分が話したいと思っているので、「実は悩んでいて」と切り出しても、退屈そうな顔をされたり、「そんなことよりこの前さぁ……」と悩みごとをスルーされたりする。これでは真剣に悩みを打ち明けた自分がばかみたいである。むろん口が堅いことも重要で、悩みを相談したそばから「○○さんってこんなことで悩んでるんだって」と言いふらされてしまっても困る。また、仲がいいからこそ逆に話せない内容もあるはずだ。悩みが切実であるほど、多少は距離感のある相手の方が話しやすい場合も多いだろう。こうして、悩みを打ち明ける相手に必要とされる条件を考えてみると「傾聴する姿勢、共感の態度、口の堅さ(守秘義務)、相談者との適切な距離感」ということになるが、これらの条件から考えたとき、精神科医に相談をするというのは非常に理に適った選択なのである。

「俺はなかなか人に弱音を吐かないタイプで、自分の中に抱え込んじゃうんですよね。だから、これまでカウンセリングを受けようと思ったことなんてないし、今回が初めてなんですよ」といとうは言う。似たような性格の方も多いのではないか。現状、カウンセリングを受けることが、精神的に問題があるような、あるいは社会生活に不適合であるかのような印象につながる傾向がまだ残っている。精神科はそのように大げさなものではないと、いとうは主張する。人に話を聞いてもらう、そのことがどれだけ安心を与えてくれるか、私自身もこれまで気がつかなかったし、あまり意識していなかった。実際、悩みごとを聞いてもらって、相手から「そうだね、つらかったんだね」と言ってもらえるだけで、悩みの8割は解決してしまうようなところがある。聞いてもらうことが薬なのだ。聞いてもらう場所として精神科を気軽に利用すれば、より幸福度も上がるはずである。

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対話と共感

人の心に、薬のように聞く「対話」。精神的な健康をたもつためにも人と話すことは重要なのだが、私自身、周囲とのコミュニケーションがうまく取れていなし、会話ができていないと思う。「最終的に、この本のテーマは『対話ってどうしたらいいですか?』っていうことになるかもしれないね。われわれはそんな簡単なことも教わってないんじゃないかという」。どうすればよい対話ができるか? いかにお互いをいたわりあうコミュニケーションが取れるかを、もっと本気で学ばなくてはいけないのではないか。精神科医の星野は、共感が大事だと言う。「僕がなぜ共感を大事にしているのかというと、プライベートでも、共感したほうが揉めないし、相手のことがよくわかるからです。当たり前ですけど、自分と全然違うことを考えたり言ったりする人なんて、生活していく中でいっぱいいるじゃないですか。で、その人が何を考えてるかとか、どうやってその考えに至ったのか、っていうのを聞いているうちに『共感するってことが、相手を知る〝入り口〟になるな、面白いな』と思うようになりました」。

私は周囲に共感できているだろうか。読み終えて、もっと人の話をきちんと聞こうと思ったし、自分と関係する人たち全体の幸福度を上げるためにも、対話の質をよくしていきたいと思った。また、誰にとっても最大の難関である「どうすれば自分にあった精神科医を見つけられるか」についても、ためになるアドバイスが書かれてあった。ネットで調べるというのも不安要素が大きく、どうすればいいのかについて具体的な考え方が示されており、こちらも実によかった。実際に精神科医にかかるかどうかはまだわからないが、人と対話することでお互いの心を健康にたもつ、その心構えができたような気がした1冊だった。

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