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『子供はわかってあげない』と、ガール・ミーツ・ボーイの瞬間

途方もなくまぶしい長回し

沖田修一監督の映画『子供はわかってあげない』においてもっとも驚くべき場面、主人公の女子高生・美波(上白石萌歌)と、彼女と同じ高校に通う門司(細田佳央太)のふたりが並んで話しながら、学校の屋上から1階まで、階段を下りていくシーンについて考えてみましょう。ワンカット長回しで撮られたこの場面では、同じアニメ番組を好きなことが判明したふたりが、アニメ劇中のせりふを言い合ったり、主題歌をうたったりしながら楽しそうに階段を下りていく様子を、カットを割らずにカメラが追い続けます。出会ったばかりのふたりは、お互いがあまりにも気の合うことによろこびを隠せず、はしゃいでいます。映像的にもスリリングで高度なテクニックが見られるこの長回しは、本作のきらめくような若さと躍動感を象徴する美しいシーンです。

ふたりの若者が出会い、相手に特別な何かを見いだした瞬間に生じる、かけがえのないきらめきは、渾身の長回しにほぼ完璧な形で収められています。夢中で話しながら1階にたどりつき、ついにカットが割れて長回しが終わったそのタイミングで観客は、「まさにいま女の子と男の子が出会ったのだ」と感じ、フィルムに焼きつけられたガール・ミーツ・ボーイの瞬間そのものを目撃したときめきで胸がいっぱいになります。なにしろ門司は、あまりに楽しいその会話をうまく切り上げることができず、本当は書道部の部室へ行かなくてはならないのに、美波につられて1階まで下りてきてしまったほどです。これほどにまぶしいロングテイクが見られただけでも、本作は観客にとって特別なフィルムとなり得るに違いありません。

教えること/教わること

本作は高校生の男女を中心に展開していきます。水泳部に所属し、大会を間近に控える美波は、ある日高校の屋上で絵を描く、書道部の門司と出会います。同じアニメ番組をきっかけに、さっそく意気投合したふたり。門司の兄(千葉雄大)は探偵をしており、美波は一度も会ったことない行方知れずの父親(豊川悦司)を探してもらうよう依頼します。やがて美波の父は新興宗教の教祖であったことが判明、門司の兄のおかげで父親の所在をつかんだ美波は、家族に内緒で父親へ会いにでかける決意を固めます。どうやら父親は読心術で他人の心をのぞきこむことができ、その力を使って教祖の地位を得たようであり、そのように怪しげな父へ会いにいくための夏の小旅行は、門司や彼の兄の協力によって秘密裏に開始されました。

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劇中の印象的なモチーフに「教えること/教わること」があります。登場人物たちは、お互いになにかを教えたり、教わったりすることで関係を深めるのです。門司は習字教室の先生として子どもたちに習字を教え、美波もまた彼から習字を教わります。美波は、父親に会いに行った先で知り合った少女・仁子(中島琴音)に水泳を教えました。一方、父親は美波に読心術を教えますが、彼は同時に、美波が好きだというアニメ番組のDVDボックスを買って娘の好きなものを学ぼうとします。作品におけるコミュニケーションにはつねに、相手に何かを教える行為、相手から教わる行為が介在しています。同じく「教えること/教わること」のモチーフを重視した映画作家にスピルバーグがいますが、それはスピルバーグにとってもっとも濃密なコミュニケーションは「教育」であるとの信念に基づくものです。なにかを教え、教わったとき、両者はきわめて緊密に結びつくのです。

甘美なまでの承認の瞬間

美波にとって、母親(斉藤由貴)と再婚した義父(古舘寛治)、歳の離れた弟との4人家族は、いっけん幸福そうですが、どこか演劇的でもあります。冒頭、楽しそうにはしゃぐ家族が描かれますが、彼らは揃って「幸福な家族」というイメージを壊さないよう、懸命に演技し、努力しているようにも見えてしまいます。美波の一家はどこか不安定で壊れやすそうでした。美波は、義父が立派な人であり、それ以上を求めることは間違っていると知りながらも、どこかで演劇的な家族関係に満たされない部分があり、だからこそ本当の父がいる家へ出かけていくのですが、そこですごした時間が楽しかったということすら、罪悪感を覚えてしまいます。しかし、そこで門司という輝かしい存在が美波を肯定し、家族や父親、肝心なときに逃げの姿勢を取ってしまう自分自身といった問題から脱出する機会を与えてくれる。ゆえに、美波と門司が真っ向から対面するエンディング、その甘美なまでの承認の瞬間に胸が打たれるのです。

夏らしいことがほとんどなにもできなかった2021年の8月、この映画に出てくる浜辺や海水浴を眺め、父親の手にするグラスの氷がからんと鳴る音を聴いたとき、少しだけ夏らしい時間が体験できたような気がしました。美波と父親が並んで浜辺を歩くロングショットの心地よさ。あるいは、美波と仁子が泳ぎの練習をする一連のシークエンスのまぶしさはどうだろう。8月31日、夏が終わるぎりぎりのタイミングでこの映画を見られたことを、幸運だったと私は嬉しく思っているのです。

原作マンガも楽しく、オススメです。映画と比べると、いくつかのエピソードが割愛されていたり、順番が入れ替わっていたりと、映画化に際しての工夫が見て取れます。

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