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『ラストマイル』と、令和の一億総プロレタリア時代

※こちらの記事は映画の内容に触れています。

当初の予想を裏切る強いテーマ性

大ヒット中の話題作『ラストマイル』である。私は会社の同僚に勧められて見たのだが、この経緯からしていかにもヒット作らしいと思う。当初は、予告編で描かれていた「物流倉庫から出荷される貨物に、爆弾が仕掛けられていた」というミステリーじかけの展開から、わかりやすいエンタメ作品をイメージしていた。しかし実際に見てみると、より重要なモチーフとして、日本の劣悪な雇用形態や労働環境、過労死、低賃金労働、貧困など、シリアスな問題に取り組んだ快作であった。まずは、数多くの人気俳優を揃えた上で大規模に公開するタイプの映画でこの重いテーマを選び、ヒットに結びつけているという作り手の意思を称賛したい。このむずかしい企画を通した胆力には尊敬の念を覚えた。波紋を呼びそうなテーマに正面からぶつかった気概に敬意を表したいと思う。

おおまかなあらすじは以下である。大手ショッピングサイト、デイリーファストの大型物流倉庫に、センター長として舟渡ふなどエレナ(満島ひかり)が赴任してくる。ところが、彼女が業務を開始した初日、配送された貨物が爆発する事件が発生する。警察からは出荷停止を求められるが、舟渡は事故対応のまずさで自身の能力を疑われることを避けるため、警察の要求をはねのけて出荷を継続した。ところが、爆発事件は次々に起こり続け、デイリーファストは窮地に陥る。事件の犯人として有力視されているのは、かつて同社に勤務していた山崎佑(中村倫也)という元従業員である。やがて劇中あきらかになるのは、従業員を圧迫するような出荷のノルマが原因で過労死が起こっていたこと、下請けの運送業者を安く買い叩いていたこと、大量の派遣労働者を使って業務を続けていたことなど、日本経済の疲弊そのもののような惨状であった。

貨物が爆発しちゃうぞ

他人事ではない

映画を見ている観客の日常と、ダイレクトに関係してくるようなあらすじである。私自身、パソコンに向かって「今まさに日本を蝕んでいる労働問題を……」などともっともらしい映画の感想を書きかけて、ふと目の前のテーブルを見ると、「うれしい値!」と宣伝されているコンビニ弁当の容器が目に入る。先日、某コンビニが新機軸として打ち出してきた、350円という破格値で食べられるカレーや麻婆丼、チャーハンの弁当である。最近、コンビニ弁当も高くなって、700円は取られてしまう。ところが、どういうからくりかは知らないが、350円で食べられるカレー(しかもおいしい)が発売された。安くて便利だと思っていたが、私はこの製品を食べるときに一瞬でも、たった350円で提供するためにどれだけの下請け企業が悲鳴を上げているのか、何人の派遣労働者が低い賃金で働かされているのか、あるいは弁当を工場から店舗まで運ぶドライバーの睡眠不足はいかほどかを想像しただろうか。私はなにも考えずに、ただ安いからという理由だけで食べていた。そもそもたった350円でどうやって弁当を作るのか。この安さにはなにか不健全なものがないだろうか。こうした不健全さは、本作において重要な題材となっている。

思うに、働くことにはどこか「人間性かなぐり捨て競争」のような部分がある。いかにやわな心を放棄して、ロボットのようになれるか。目標に向かってただ邁進し、KPIを達成する冷徹な機械と化して働ける者は誰か。『ラストマイル』における物流倉庫は、まともな人間が正気を保てない場所であり、その場を支配する空虚なルールを本気で信じたら死んでしまうような危険な区域として描かれる。誰もが精神を遮断して無感覚となり、すべてをやりすごすほかない。だからこそ、もっとも多忙になるブラックフライデーが怖いと、劇中のある人物は口にする。しかし、こうして命をすり減らして働いた結果どうなったか。われわれは揃って貧しくなり、結婚して子どもをもうけることすら贅沢になってしまったではないか。もはや、なぜこのように精神をすり減らす拷問のような仕事を、苦しみながら続けなくてはならないのかわからない。誰も豊かになどなっていないというのに。デイリーファストの下請け運送業者で働く八木竜平(阿部サダヲ)の「ずいぶん遠いところまで来てしまった」という独白が胸に響く。一億総プロレタリア化した日本で『ラストマイル』が公開され、大ヒットを記録しているという状況を、八木のように感慨深く眺めてしまった私であった。

『関心領域』(2023)

ここから先は、本作に対する「もしこうなっていれば」という希望である。こんなリクエストを口にするのはおこがましいが、個人的には映画的により強いショット、映像だけで観客を震撼させる画がほしかった。あらすじを追うあまり、映画的なショット、映画であることの必然にやや欠けていた気がするのだ。たとえば物流倉庫やベルトコンベアを、人を死に至らしめる恐怖の対象として、禍々まがまがしく描くことはできなかっただろうか。転落死後のベルトコンベアのショットに関しては、そうした恐怖に少し接近していた気がするが、もっとホラー映画のように、恐ろしく描くことはできないものか。黒沢清であれば、確実にそうしたと思う。たとえば『関心領域』(2023)の劇中、ヘートヴィヒ・ヘス(ザンドラ・ヒュラー)が絶滅収容所の前を歩く姿を、横移動するカメラがとらえる激烈なショットのような場面は撮れなかっただろうか。ひとりの女性が歩く姿だけで、収容所の非人間性を観客の脳裏へ圧倒的に焼き付けるような、象徴的なショットは提示できなかったものだろうか。

【働いて心が疲れたらスキンケアしましょう】


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