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最後の下北沢

下北沢駅周辺の再開発がとてつもない勢いで進んでいる。住民ですらついていけないほどの速度だ。たまに知人・友人を下北沢へ招くと、みな揃って「違う町みたい」「見たことのない建物ばかり」と口にするが、私も同じ心境である。町を歩いていると「こんなビルあったかな」「この建物も取り壊されてしまった」という変化が、ほとんど週ごとに見つかる。町が変わるスピードってこんなに速いんだと驚くほかない。もう15年以上住んでいるこの町だが、ここ数年で、引っ越してきた当初とはまるで違う場所になってしまった。再開発の後でも下北沢らしさは残るよ、と人に話したこともあったが、つい先日、駅南西口に並び立つキレイな建物を眺めながら、下北沢は完全に変わったと思った。

「おしゃれタウン下北沢に住みたい」と、地方出身者ならではのミーハーな夢を見ていたかつての私。念願叶って下北沢へ引っ越したときは、嬉しくてしばらく近所を意味なく歩き回ったものだった。おしゃれな町に暮らす、おしゃれな私。毎日が大満足だった。「なんて楽しい場所に自宅があるのだ」と本気で思ったし、もうここから出ていきたくない、ずっとこの場所で暮らしていきたいと願いながら、日々生活していた。この15年で、下北沢のいい部分をたくさん目で見て、楽しむことができたと思う。いまでも私は下北沢の住民であり、好きな町なのだが、ここ最近、特に駅周辺を歩いていて感じるのは「あれっ、私が住んでるのってこんな場所だったっけ……」という見慣れなさである。

とはいえ、私は当初から「古き良き下北沢」を愛するタイプの住民ではなかった。いまでは取り壊されてしまった、駅前食品市場のバロック小屋のような飲み屋も、風情があって楽しそうだと思いつつ、横を通りすぎるばかりで立ち寄る勇気が出なかったし、演劇やライブハウスにも全く行っていない。古着は身につけるのに抵抗があって買ったことがなく、いかにも下北沢らしいお店とはあまり縁がなかった。唯一好きな中古レコードの店は、どんどん少なくなっていき、買いものをする機会も減っていく。そんな調子だから、再開発についても「便利になればそれはそれでいいんじゃないか」という客観的な気持ちだったのだが、さすがにここまで町の風景が変化してしまうと、「いや、こんなに思いっきりやるとは聞いてないよ」と言いたくなってしまう。

いまのところ、まだ「かつての下北沢」らしい感覚を持つ区画はたくさん残っている。駅から少し離れて、よく知った小さな路地に入り込むと、「ここは完全にシモキタだ」という安心感がやってくるのだ。まだ敵に占領されていないエリアがある。そうした場所に残っている喫茶店でコーヒーを飲めば、自分が好きで引っ越してきた下北沢の雰囲気がよみがえってくるのだが、あるいはこの路地も変貌してしまうのかもしれない。私の好きな下北沢の戦線は日々後退している。やがて完全なる敗北を宣言する日が来るだろうと思うし、そうなったとき、この町に住み続けるのかどうかもよくわからない。個性のある町だったのにもったいないと思うけれど、新しい下北沢を好きになる人もいるのだろうし、「私の好きだった下北沢」があまり実用性のないノスタルジーであるような気もしている。

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