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『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』と、心地よい混沌

奇想天外な映像の乱れ打ち

ドクター・ストレンジの新作は、「よくもまあ、こんな映像を思いついたものだ」という驚きの画づくりが連続する楽しいフィルムです。どのシーンにも工夫とアイデアが込められ、ドクター・ストレンジというキャラクターの持つ奇想天外さをより強調しています。映画を見た人どうしが「あの場面はおもしろかった」と何時間でも話せてしまうような、キャッチーなビジュアルの乱打がいちばんの魅力ではないでしょうか。監督をつとめるサム・ライミの作家性が強く打ち出された本作、何より映像の説得力で観客を魅了する映画になっていたと感じました。また、個人的に3Dは上映形態としてあまり好きではなかったのですが、今作の3Dには必然性を感じましたし、より混沌とした画面が味わえる好例だったと思います。

映像のすばらしさを挙げていくときりがありません。ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)とアメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)が、初めてマルチバース間を移動する描写には驚きました。さまざまなユニバースの断片が登場し、ほんの数秒ごとに思いもよらない多数の異世界が現れては消えてを繰り返します(途中でアニメーションになるのもすばらしい)。また、ドクター・ストレンジとシニスター・ストレンジの戦いで、なぜか音符が実体化して相手にぶつかっていく、という発想のでたらめさはいったい何でしょうか。ドクター・ストレンジがピアノに衝突した際に妙な不協和音が出た時点でおやっと思うのですが、その後ふたりの魔術師が音楽バトルを開始するという展開は、まじめに見ていいのか、笑えばいいのか、判断に苦しみます。「なぜ急に五線譜が出てくるのか」などと考えてはいけないし、ただ感じる必要があるのです。そうしたすべてが新鮮で楽しいものでした。

荒れ狂ってしまったワンダ

MCUとは何か

とはいえ、不満もないわけではありません。ストーリーについていえば、劇中に登場するワンダ(エリザベス・オルセン)の子どもは、『ワンダビジョン』(2021/配信)を見ていないとわからないようなのですが、私は未見であるため、なぜワンダがあのように荒れ狂った存在になったのかはぴんと来ませんでした。本作のストーリーにおける騒動はワンダの暴走が原因なのですが、どうにも気の毒になってしまったし、「母が子を想う気持ち」がステレオタイプ化してしまっているようにも感じます。同じ悪役でも、たとえば『ブラックパンサー』(2018)のキルモンガー(マイケル・B・ジョーダン)であれば行動原理に納得がいくのですが、今回はそこを「母性」といったあいまいな感覚で押し切っている分、見ている私はただひたすらかわいそうだという気持ちになってしまいました。

また、劇場公開作品だけではなく、配信も含めて大河ドラマ化していくとなると、映画という表現フォーマットがほんらい持っていた、90分から120分ですべてを語り切るという基準がいよいよ通用しなくなってきます。MCUのような表現形態をどう批評すればいいのか、これまでと同じように映画評を書いていいものか、そこについてもまだ私なりの解答が見つかっていません。とはいえ、ここまでユニークな映像や無数のアイデアが楽しめる作品はあまりなく、いまもっともパワフルなエンターテイメントを作り出せるマーベルの力を再確認したような経験でした。

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