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『私をくいとめて』と、ひとり暮らしの部屋へ帰る女性について

『私をくいとめて』(2020)は、ひとり暮らしの部屋へ帰る女性についての映画です。あるいは、大九明子監督の撮ってきた映画はどれも「誰もいない、しんとした部屋へ帰ってくるひとり暮らしの女性にまつわる物語」だと言えるかもしれません。大九作品においては、外に出ていった女性が何を経験したかと同等に(あるいはそれ以上に)、部屋に帰ってきた女性がどのように生活しているかが重要なためです。

物語のあらすじは以下です。主人公である会社員のみつ子(のん)は、オフィスでは「プチお局」の位置にほどよく収まりつつ、休日はおひとりさまライフを満喫する31歳の独身女性。ひとりカフェ、ひとり焼肉、ひとり温泉旅行と各種ソロ活動に邁進しています。みつ子の脳内には、相談役のAと呼ばれる存在がおり、彼女とAは普段から会話を繰り広げつつ、日々のできごとに対処していました。また、みつ子は多田くん(林遣都)という歳下の男性が気になっていますが、彼との関係性はいまひとつ進展しないままです。

女性たちの住む部屋

みつ子が住むのは、それなりにセキュリティは備えているものの、やや手狭なワンルームです。では、他の大九作品はどうだったでしょうか。『勝手にふるえてろ』(2017)のヨシカ(松岡茉優)が住んでいたのは、より簡素な2階建てのアパートでしたから、ヨシカより歳上のみつ子は、会社で働き続けるうちに昇給があり、テレビモニタ付きのインターホンがある部屋に住めるようになったのかもしれません。とはいえ、『甘いお酒でうがい』(2020)の主人公、佳子(松雪泰子)の住む部屋の間取りと比べると、みつ子の住むワンルームはあきらかに狭い。こうした対比からは、20代のヨシカ、30代のみつ子、40代の佳子、それぞれの年齢差、収入差が見て取れます。映画のなかに、3人の女性の生活が明確に描かれている。

このような女性の生活環境、暮らしぶりに、大九作品はこだわります。その人はどのような部屋に住んでいるのか。インテリアや飾りつけはどうなっているのか。部屋こそが主人公そのものだといわんばかりに、女性の住む部屋は細かく描写されます。家に帰ってきた女性がどのようにくつろぎ、ひとりの部屋で何をするのか。コートを脱ぎ、部屋着に着替え、手を洗い、うがいをする女性の姿を、時間をかけて撮ることが多い。こうした生活の描写から、主人公の人物像が生まれていくのです。

靴を脱いだ女性の姿

『私をくいとめて』でも、みつ子が自宅のドアを開け、靴を脱いで部屋に戻る姿は、劇中幾度となく描写されていました。物語では、主人公が部屋に戻ってくること、外で得た経験を「部屋に持ち帰ってくること」がとても重要なのです。果たして、みつ子は満たされた気持ちで帰ってきたのか。あるいは、心を傷つけられて帰ってきたのか。いずれの場合にも、外で経験したあれこれの感情を、ひとりでじっくりと咀嚼するような時間が特徴的です。男性側からは見えない「靴を脱いだ女性」の姿がそこにはあります(普段、男性が見るのは、基本的に「靴を履いた女性」のみです)。なぜ大九監督が「靴を履く/靴を脱ぐ」ことにここまで偏執的なこだわりを見せるのかは非常に興味ぶかいところです。靴を撮ることでしか表現し得ない何かがあるのかもしれません。

劇中、部屋に戻ったみつ子が、自分がひとりの人間として尊重されていないと感じ、暗澹たる気持ちになる場面があります。とある男性と食事をし、暗い気持ちで帰ってきた彼女が顔を洗うシーンが印象的です。男性のふるまいに、みつ子は傷つけられていました。そうした女性の苦悩は、男性側からは見えません。セクハラをした男性は、相手の女性が部屋で何を考え、どう過ごしているかなど想像すらしません。くだんの男性にとって、女性は性的欲望の対象でこそあれ、日々の暮らしがあるなどとは考えもしないためです。みつ子が顔を洗う場面は、彼女の受けた心の傷がはっきりと表現された重要なシーンのひとつです。部屋のなかで生活する女性の姿は、見えないからこそ重要なのです。

人と人がコミュニケーションしていく理由はあるのか

みつ子の内側でうねりをあげ、爆発寸前の感情に触れるとき、観客は少したじろぐかもしれませんが、こうした感情のほとばしりは『私をくいとめて』のストーリーを大きく跳躍させるために必要な起爆剤となります。「のんきなおひとりさまライフ」という物語のヴェールが剥がされ、みつ子の奥底に秘められたエモーションが炸裂する中盤以降、映画がスクリーンをつき破って観客の喉元に刃をつきつける迫力があるのではないか。

人と接することは苦しくつらい。ここまで苦悩しながら、それでも人と人がコミュニケーションしていく理由はあるのでしょうか。あまりに重すぎて、誰にも答えられない問いです。それでもみつ子は、他者と共に生きることを選ぶという大きな決断にいたります。その苦渋の選択と共にみつ子が感じた痛みだけが、観客にとってのリアルなのです。

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