見出し画像

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』と、悔やみ続ける男

シリーズから離れるダニエル・クレイグ

ついに『007』シリーズから離れることになったダニエル・クレイグ。彼にとって最後の作品が『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』になります。毎回、彼が着こなすトム・フォードのスーツの美しさにほれぼれと見取れ、夢中になった私にとって、ダニエル・クレイグは、おなじみの「シャツの袖を直す仕草」だけで満足してしまうほど色気のあるボンドでした(たとえどれほど激しい戦闘中でも、身だしなみにこだわる男)。映画そのものが、ボンドを見送るために重厚なエンディングを準備しているような作品だったと感じました。『カジノ・ロワイヤル』(2006)から15年、5作品を演じたダニエル・クレイグのラストにふさわしい、スケールの大きな終幕ではなかったでしょうか。ジャマイカでのんびりと暮らしていたボンドですが、旧友の訪問を受けることで事態は急転していきます。

劇中、恋人のマドレーヌ(レア・セドゥ)に裏切られたと感じたボンドの逆上は、本作においてもっとも印象に残る展開です。なによりこの場面が忘れられません。ここでのボンドの激情は理解しがたいほどで、「裏切ってはいない」と必死に訴えるマドレーヌの説明にいっさい耳を貸さず、彼女を駅へ連れていくと電車に乗るよう命令し、「もう二度と会うことはない」と冷酷に宣言します。突如として別れを伝えられたマドレーヌは、茫然自失となってボンドを見つめます。一方ホンドはといえば、傷ついた心を隠すのに精一杯で、メンツにこだわり、狭量で乱暴な態度で相手を捨ててしまうのでした。まるで子どものような自暴自棄、忍耐のなさ。ボンドのみっともない態度が示されるこの場面が、本作で大きな役割を果たします。

画像1

幼稚な男性

なぜボンドは、恋人の裏切り(と彼が一方的に思い込んだ事件)にこれほど強く反応したのでしょうか。彼の幼稚さは注目に値します。同時に、男性であればきっと、ボンドが見せたひとりよがりな態度に身に覚えがあるではないかと思うのです。彼は恋人に傷つけられるのが怖かった。少なくとも私は、彼のようなみっともない癇癪を起こしてしまった経験があります。いかに自分の器が小さかったか、他者に傷つけられることを怖れていたか、後から思い知るのです。ボンドはこの失敗を悔やみつづけ、一度は贖罪の機会を得ますが、過去を取り戻すまでには至りません。こうした展開は重く、悲しいものでした。劇中、未来への希望がふくらんだボンドでしたが、非常に残酷なしかたで、その希望は打ち消されてしまいます。もう二度と、愛する者に触れられない。こうしたドラマティックなプロットは実にみごとではないでしょうか。

ボンドの屈強な肉体、それを包み込むスーツやアストン・マーティン、銃やガジェットは、実は彼の精神的な弱さを覆い隠すものではなかったか。彼の「男らしさ」ではなく、未熟さやみっともなさが描かれ、ボンドが自分の弱さを自覚するまでの過程がテーマとなるのも、ダニエル・クレイグにとって最後の作品だからでしょう。ようやく生身の人間となって素直に自分の過ちを認め、思いやりを持って相手に接する術を学ぶという展開は、個人的にも大いに納得できるテーマ性です。マドレーヌが電車に乗せられた際に、下腹部に手をやるジェスチャーも非常に効いています。ボンドが人間として真の強さを獲得して物語を閉じる、本作の切実なエンディングが胸に響きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?