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君と異界の空に落つ2 第27話

『邪魔するぞ』
『あ、玖珠玻璃(くすはり)様』

 お久しぶりです、どうされました? と、不意に現れた童子に耀が問う。
 さえが客人を連れてきて、帰ってから数日後の事だろうか。いつも通り耀は瑞波と夜の一時(ひととき)を楽しんでいて、横を流れる小川が一瞬光り、其処から彼が現れた。
 歳の頃は耀と同じか、少し下になるだろうか。くっきりとした目鼻立ち、この国の黒髪を持つ美麗な男児である。見た目はそれでもこの男は竜神、耀より余程長生きだ。加えて、あと千年も生き永らえれば、強く成り上がる神である。
 畏敬を込めて様付けするが、玖珠玻璃は『様など要らぬ』と、以前より態度が柔らかい。

『ですが……』

 言いかけた耀を制すと、『要らぬと言ったら要らぬ』と語るのだ。

『水を飲みに来ると言ったのに、いつまで経っても来ぬではないか』
『あ、すみません。畑仕事をしておりまして……』

 この通り、こちらの畑に苗を植え終わり、今度はあちらの斜面を開墾しているのです、と。
 玖珠玻璃は耀が説明する通り、こちらを向いて、あちらを向いて、嘘ではないと感じたら、納得はしてくれるらしい。

『では明日来るか?』

 それにしても気が早い。
 耀は呆気に取られたが、付き合い方が分かった気がした。勘が働いたようであり、『善持さんに伝えて、良いと言われたら向かいます』と。

『でも玖珠、雨が降ったら濡れてしまうので、晴れた日に参りますよ?』
『分かった。それで構わぬ』
『あれ? もう帰ってしまうんですか?』

 玖珠玻璃は自分の用件が通ったと思ったら、くるりと踵を返し、川へ戻ろうとする。全く清々しい程に行動に無駄が無く、耀が後ろ姿へ掛けて、もう少し居ませんか? と。

『邪魔になるだろう?』
『そんなに気を使わなくても』

 それに、今日は善持さんが団子を作ってくれたんですよ、と。平たい器に乗せられた、団子を指して言う。
 嫌でなければ気兼ねなく召し上がって下さい、と。
 側で瑞波も気兼ねなく摘んでいると気付いたら、彼も彼へと『どうぞ』と言うので、腰を下ろした玖珠玻璃だ。

『失礼します』

 玖珠玻璃は瑞波の前に来ると、不思議と礼に厚くなる。
 耀とは友のようだが、瑞波は少し違うらしい。
 それを見た耀は、憧れの先輩って所かな? と。神の世界にも色々あるな、と眺めたようだった。

『そちらはお変わりないですか?』
『無いな。山が賑やかしくなったくらいだ』
『鶯も随分、鳴くのが上手くなりましたよね』
『気にした事はなかったが、帰ったらよく聞いてみよう』

 玖珠は普段、清水の山で何をして過ごしているのですか? と、耀が聞けば『うん』と唸って、見回りを少しだな、と。

『見回り……』
『そうだ。山をぐるりと』
『あちらの山を抜けると何かありますか?』
『暫くは山が続くな。先には別の神も居る。渦を巻く海を挟んで、島が見えると言っていた』
『へぇ。玖珠には他の友神もいらっしゃるんですね』
『友……と呼べる程、仲が良い訳ではないが。悪気なく話し掛けられたなら、挨拶くらいはするだろう?』

 それもそうか、と耀は思う。瑞波は最初から喧嘩腰で行ったから。そりゃあ怖かっただろうなぁ、と今更に。その恐怖を乗り越えて、美神に声を掛けたのだ。玖珠は凄い奴だな、と、耀には同性同士が持ちうるような、尊敬が湧いていた。
 此処で、そういえば、と思い出す。
 見かけは子供でも、目の前の神は数百歳だ。裏山の先に居る、生贄を好む何者か。此の方ならば、その存在を、知っているのではないのか、と。

『玖珠はあの山に住む神をご存知ですか?』

 一番初めは”神”と言う。違ったら訂正して貰う。違わなかった場合の”保険”で神と言う。
 玖珠玻璃は耀が指差す方向を見て、あぁ、と呟き教えてくれた。

『何年かに一度、気配はするな』
『神ですか?』
『否、そこまでは分からない』
『妖怪に近い?』
『それも分からぬ』

 ふと、視線を交わらせた耀と瑞波だ。

『神気か妖気かくらいは分かるのでは?』

 少しだけ瑞波が呆れて聞いた。
 えぇ、そうでしょうけど、と、玖珠玻璃は矢張り瑞波には弱い。
 彼は”参ったな”という顔をして、ばつが悪そうに呟いた。

『混ざっているのです』
『神気と妖気がですか?』
『それが分からぬくらい、混ざっているのです』
『……?』
『そうですね……耀の気配に近いと思います。色々混ざっているでしょう?』

 言われて、目を合わせた耀と瑞波だ。

『それは……』
『穢れだね』
『穢れ……あぁ、そうか』

 目から鱗が落ちるように、腑に落ちた顔をした玖珠玻璃だ。
 耀に混ざっているものは、穢れというのか、と。

『耀を前にすると、力をぶつけたいというか、押し流したいような気分になっていた。美しい方を得ている事への艶羨だと思っていたが……そうか、私は穢れを厭うていたのか』

 と。

『玖珠、怖いです』

 そんな事をされたら死んでしまいます、と。
 俺は未だ人の子です、と返した耀だ。

『だから何もしないでいただろう?』
『そうですね、有り難う御座います』
『しかし、どうしてそこまで穢れが混ざっているのだ? お前の魂魄とは繋がっていないようなのに』

 誰かの肩代わりをしたのか? それとも何か、穢れた宝具でも持つのか? と。玖珠玻璃は興味が出たようで、瑞波の事を忘れたように問うてくる。
 何と返したら良いものか……と一瞬迷った耀の横で、ぐつぐつと煮えたぎる何かを思い出したらしい瑞波だった。

『呑まされたのです、凪彦に』

 ちょ……瑞波さん、目が据わってる……と、恐れ慄く耀だった。
 玖珠玻璃は『ナギヒコ?』と分からなかったようであり、頷く瑞波の様子を見遣り、こちらも僅かに慄きを。

『世話になったのは分かります。助けて頂いたのも星の数ほど。ですが私は許せませぬ……耀にこれほどまでの穢れを呑ませた事……』

 ぐつぐつと煮えたぎる瑞波の怒りである。

『そ……そうなのですね……』

 玖珠玻璃も”たじたじ”だ。
 怒れる美神を前に、童子二人が慄いて、『み、瑞波、でも……』と、耀のか細い声がする。

『俺が頼んだんだ、凪彦に。知らぬ世界に叩き落とすなら、そいつごと呑ませてくれよ、って』
『────え?』
『凪彦がくれた太刀は、この世に亀裂を入れられるらしい。そいつごと切って捨てろと言われたから、俺は……』

 なんか、そんな事、出来なくて……苦笑するより笑ったように、何でも無さそうに耀が言う、から。
 聞いていた瑞波も玖珠玻璃も、数瞬止まり、やっと息を吐くようにして。声を揃えて『自ら……?』と。

『どうしてそのような事……』

 呆然とした瑞波である。

『死ぬぞ、って言われなかったし、何となくね』

 異界から紛れ込んでしまった神が、可哀想になったんだ、と。

『お師匠様の中で目が合った。苦しくて、助かりたくて、手を伸ばす沢山の人も視た。でもね、その奥で、もっと悲しんでいた神が居た』

 体が重くて昇れない。想いが重くて動けない。食べたくないのに人が来る。人よ、何の恨みがあるのか────と。
 其れが耀を見た時に、光明を見たような顔をした。亮凱(りょうがい)は焦って離したが、其れには悪意が感じられない。むしろ……と思った耀は、右手で自分の腹を撫でた。

『俺、思ってしまったんだ。これが俺の”仕事”かも、って』
『仕事……?』

 玖珠玻璃に『そう』と言う。

『瑞波を巻き込んでしまうけどさ。誰にもどうにも出来ないものを、俺だけが受け入れて、元に戻してあげられるなら……と。いや、何でか分からないけど、呑み込める、って思ったんだよね。凪彦の言う通り、今此処でこの神を、太刀で切り捨ててはならない、と』

 因果が増えるような気がした。俺は”これ”と一つにならなきゃいけない。耀は此処だけ口にしなかった。言うのは少し怖い気がして。どうしてそう思ったのか、自分でも説明出来ないからだ。

『えぇと……それでね。無事に俺は其れを呑み込めて、瑞波に朝晩祓って貰って生活してる。穢れとかより人間として生きる方が大変だけどね。神様になるまで時間はたっぷりあるだろうし、逆にこの仕事が終わったら、何か、認めて貰えるような気がする』

 此の世界。此の国の神々に。
 そうして耀は『玖珠、きっと、これからも暫く、穢れで嫌な思いをさせるかも知れないけれど、どうぞ宜しくお願いします、仲良くして下さい』と。
 頭を下げる人の子を見て、玖珠玻璃は、何とも言えない気持ちというか、負けたような気になった。
 神に”情け”という気持ちは無い。自分より位が上の神に慮る気持ちはあったとしても、人が抱くような情、可哀想という概念は無いのである。
 けれど、耀が神に対して情けを掛けた事は分かった。そうして、それは自分には出来ない類である事も。神は神を救えないのだ。戦って下す事は出来たとしても、もう消える、という状態にある神を、持ち直させる事はできない。狂ったものを元に戻す事も出来ない。救う事は出来ないのである。だから其の神、ナギヒコが言う通り、手に負えないのなら、他に捨てるしかないように。
 尤も、界を切り裂くという事象も想像出来ないが、出来る神が居るかも知れない、その程度には、此の国には力を持つ神が多いのだ。何故なら、此の国の民は、神と共に生きてくれるから。願い、誓い、成し遂げて、改めて感謝をしてくれる。それは国を豊かにし、神の威を高めてくれる。そうした”約束”が脈々と受け継がれてきたように、それだけ此の国の神々は、威が高いという事だ。
 玖珠玻璃は緊張した面持ちの瑞波を見遣り、仲良くして欲しいという人の子を見る。思わず、はぁぁ、と深い息が漏れ出たが。

『相分かった。覚えるのは難儀な事だが、何故、耀が此の地に来たのかは理解した。ところで、そのような堅苦しい言い方はしなくて良いと思う。楽な話し方の方が良い。長い付き合いになるのだろう?』
『え。でも玖珠は瑞波に丁寧になるよね?』
『うっ? そ、それは、だな……惚れた欲目と言うか……仕方ないではないか。私は此処まで美しい方を目にした事が無い』
『…………』

 沈黙した瑞波と、瑞波が美しいのは分かるけれどもね、と。
 答えた耀を見るものの、無理だ、と語る玖珠玻璃だ。

『じゃあ俺とだけ軽い口調?』
『うむ。うむ、それで頼む』
『変なの』
『変で良い』

 無言の瑞波に”じぃっ”と眺められるものだから、顔を覆いたそうにして視線から逃げる玖珠玻璃だった。
 逃げるように『邪魔したな』と水路に歩を進め、あっという間に水に乗り、領分である山へ帰る。

『照れたって瑞波が美神なのは変わらないのにね?』
『えっ……?』
『それに、あげないしね』

 だから照れたって仕方ないのに。
 耀は素のまま呟いて、俺もそろそろ眠るかな、と。
 瑞波がどう返せば良いのか悩んでいる隙に、『あ、瑞波』と呟く耀は、立ち上がって彼の側に行く。

『?』
『ん』

 掬われた顎。

『!?』
『好きだよ。ちょっと妬けた』
『っ……!』

 ん、と寄せられた唇は、触れ合えないながら、重なった。重なった場所を押さえる瑞波は、予想した通り桃色だ。それを見れば、耀は少しだけ胸がすく。悪戯が成功した時のような気持ちに近いだろうか。
 気持ちは通じ合わずとも、同じ神である玖珠玻璃が、どこか羨ましく思えたからそれをした。瑞波に伝えた通り、ささやかな嫉妬である。堂々と惚れた欲目などと言うから……全く、神様には敵わないなぁ、と。
 眠る準備をするために動いた耀を見て、格別に愛しく思った瑞波であった。それを見ていた者が居た。未(いま)だ眠れる虎の子なれど、確かにその場所に息づいていたのである。

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