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君と異界の空に落つ2 第26話

 さえに貰った銭をしまって、畑仕事を手伝いに行く耀だ。
 広い畑の殆どに新しい苗を植え終わり、残った僅かな土地で土を混ぜる作業をする。善持はいつも通りゆっくり作業をして見えて、後から来た耀を見ると「別に休んでいても構わねぇぞ?」と。

「拝み屋の仕事って、疲れるんだろ? あいつ、いつも仕事終わりは暫く起きて来ねぇから」
「あぁ、俺は大丈夫です、横で視ていただけなので。でも、さえさんは疲れるでしょうね。あのような力の使い方をして……体を壊さないと良いのですけど」
「うん? あいつ、そんなに頑張ってんのか?」
「頑張っていると思いますよ。今日のお客様は、そんなに難しくない人だったので、もしかしたら”さえ”さんも神仏に頼らずにやったのかも知れないですが。誰からの助けも無しに自分の力だけで事を成すので、集中力も要りますし、体力も……」

 善持さんが”いつも”というなら、頼らない方が多い人なんでしょうね、と。

「へぇ。そういうもんなのか」

 興味があるのか只の会話か、もう少し続いていきそうだったので、耀は浄提寺の事を思い出しながら、善持へと”そちらの仕事”の説明をする。全てを受け入れる事は出来なくても、そうした世界がある事に、興味を持ってくれるなら話し易いのも確かな事だ。

「自分が前に居た寺ですと、大人達が束となり、御仏に祈りながら仕事に就いていたのです」

 と。いくら簡単な客とはいえ、それに近しい事をする訳ですから、一人きりで行う分、負担が大きいと思いますよ、と。
 聞いた善持は「ほぉ」と感心した様子を見せる。

「ヨウが世話になってた寺は、凄ぇんだな」
「凄かったんだと思います。外に出てやっとそれを知りました」
「良い場所だったんなら、帰りてぇだろ?」
「いえ、それは……」

 苦笑した耀は、もう其処には居られないので、生きる為に此処に来たのです、と。
 今日の善持は、やや踏み込んで聞きたいらしい。

「追い出されちまったのか?」
「いえ、住めなくなってしまったのです」
「住めなくなった、って……よく分からねぇ言い方だな」

 それは確かに……と思った耀が、これから暫くお世話になるし……と。情報と信頼関係の、重さを天秤に掛けていく。
 大僧正様に迷惑は掛けられないし、かといってこれほど離れた土地である、遡って都にまで自分の話が届くだろうか。そうまでして自分を利用したい人は居るのだろうか。先程、さえに手伝って貰い、やっと霊体を視る事が出来たばかりの人間だ。
 神憑きである事と、整った容姿である事。まだ子供である事も、欲しい人間には”欲しい”ものだが、平和な異界での記憶しかない彼は、人の汚濁には疎いのだ。
 むぅん、と耀は悩んだ。
 けれど、彼の陽の性格が立つ。
 ま、多分、大丈夫だろう。駄目な時はまた瑞波と一緒に、何処かへ流れて行こうか、と。

「善持さん」
「何だ?」
「此処だけの話にして欲しいのですが」

 いずれ誰かの耳に流れていく話だとしても、一応という約束で、情報に錠前をつけていく。善持は分かってか分からいでかで、内緒の話か、と頷いた。

「一番は、寺があった山が崩れてしまった事ですね」
「あぁ、それで。そりゃ確かに住めんわな」
「それから、俺のお師匠様が亡くなってしまいました」
「…………」
「土地が穢れてもしまったので、暫くは誰も踏み込めない……行き場がないとはこういう事で、俺は冬を越すために、南を目指して来たんです」

 と。

「そりゃあお前ぇ……」
「あ、でも、会おうと思えばお師匠様には会えるのです。穢れた土地の浄化と、時間が要る難物の相手をしながら、もう一人の方とその地に留まって下さっていて」

 死して尚、仕事にあたる。
 この感覚はこちらの人間にしか理解出来ないかも知れないが、一応、耀は「その人には会える」と説明をする。自分の眷属だとは言えないけれど、会おうと思えば会えるので、大丈夫ですよ、それほど重い話ではないですよ、と。

「待て待て待て。頭が痛くなる。お前の師匠とやらはどうなってんだ? 死んだのか? 生きてんのか? 死んでも”さえ”みたいな仕事をしてんのか? いつ休めるんだよ? 何だか可哀想じゃねぇか」
「あぁ……可哀想……とは思いませんね。好きな方とご一緒ですし……」

 きっと仲良くされているかと。耀の顔は、きょとん顔。
 此処でやっと善持も分かる。耀も”さえ”も結局同じ、普通とはズレた世界に生きる住人だという事が。同時に、これは思ったよりも難儀な奴だな、と、憐れむような気持ちになった。
 それでも”さえ”よりは器用だし、上手く生きて行けそうだけど。こそこそと銀杏(いちょう)の木を拝んでいるくらいだから、矢張り変な奴かも知れん、と善持は思う。
 この男の良い所は、程々にどうでもよくなる所。耀は”さえ”ほど攻撃性が無いのもあって、難儀な奴だな、で話は終わる。

「それで、もう一つ先に、お伝えしておかなくてはと思うのですが」
「まだあるのかよ?」

 げんなりとする善持だった。

「はい。実は、俺のこの体質ですが、希少な部類になるらしいのです。逃げてきた訳では無いのですけど、偉い人に見つかる訳にもいかなくて……ですので、善持さんが黙っていてくれないと、俺はまた何処かへ流れていくしかなくなるという……」
「それは困るぞ。寺(うち)を継いで貰わにゃならん。誰も成り手が居ないんだ。居なくなられたら皆が困る」
「では、黙っていて頂けますか?」
「当たり前ぇよ。子供の頃から寺に預けられていた、その師匠が死んじまった、で終わりでいいだろう」
「そんなものでいいですか」

 いい、いい、と善持はもうどうでも良さそうで、耀がくすくすと笑うのを”強い子供だ”と眺め遣る。

「さえとは仲良く出来そうか?」
「案外と出来そうです。良い人だという事が分かりましたし、あれで優しい所もあって」
「生きてる人間に優しく出来なきゃ、意味無ぇと思うがな」
「ははは。あ、でも、凄く詳しく、人の恋路への助言をしていましたよ」

 あいつがぁ!? と驚く善持の顔は、見物だったのかも知れない。

「そういえば、お二人は一体何処で知り合ったのが始まりですか?」
「俺と”さえ”?」
「はい。少し気になります」

 少しどころか小指の”縁”が耀の気を引いていくが、この歳になってもくっついていないのだから、さえの言う通り、きっかけが要るのかな? と。何も子を成す事だけが夫婦ではあるまいに。耀の感覚はあちらの世界のままで、それが良いのか悪いのか。
 二人の”縁”がどうなるのかを見届けたい気持ちが湧いてきた耀は、先ず出会いから聞いていき、どうして今が”こう”なのか。嫌じゃなければ教えて欲しい、そんな気持ちで頼み込む。
 善持は鍬を畑に刺して、休憩がてら教えてくれるらしい。

「都の方は知らねぇけどよ、こっちの方は、寺だ何だ言ったって、つまりは骸の置き場所だ。あっちこっちに捨てられたんじゃ、獣も来るし虫も湧く。何処だって一箇所に集めるもんだがよ、それは集落ごとの取り決めで、他所の土地に捨てるなんざ争いの元になるし、まぁ何が言いてぇのかというと、別の集落の骸の埋葬を頼まれた」

 理由は知らねぇ。大方、血族同士で喧嘩したとか、集落の恨みを買ったとか。同じ墓地には入れたくねぇ、そういう単純な人の怨(えん)。

「その先導で”さえ”が来たんだよ。今のヨウより、もう少し育った位かな。若かったよ。いや、今も、十分若いと思うがな。俺の”おとと”が話を聞いて、銭と交換で埋めてやった」

 あっちの端だ。桜の木があるだろう。善持は墓地の奥、梅や柑橘がある方の、端の土地を指差した。

「埋めたはいいが、おととが言うにはな。暫く人魂が彷徨っていたらしい。俺は昔から寝つきだけは良いもんで、見た事は無いんだが。気味悪がった”おとと”が”さえ”に文句を言いに行って、お祓いっつうのか? 清めみたいな事をして。桜の木を植えて収まったらしいんだが、そっから何だかんだで付き合っている」

 腐れ縁だなぁ、と善持は呟いて「おかげで俺ぁ他の女とは縁が無くてな。ありゃあ”さえ”に運の類を全部持っていかれたんだろうな」と。
 全く困っていないように続けて語るから、「なら、さえさんと一緒になれば良かったのではないですか?」と。素朴に口にしてしまった耀である。
 途端に胡乱な視線を向けた善持だった。

「ヨウ、俺はな、淑やかな女が好きだ」
「…………」
「それにな。分かっているとは思うが、俺はこういうだらしない性格だから、家の事をなんでもかんでも熟してくれる女が良い」
「…………」
「だけどな、俺みたいな男は女からも人気が無い。俺が”さえ”は無理だと思うように、さえも俺みたいな男は無理なんだ。分かるだろ? 俺と”さえ”が一緒になる所など、想像も出来ないし、無理だろう?」
「…………」

 淡々と説明するようで、”嫌”とは言っていない善持である。益々、耀は分からなくなり、首を傾げてみるのだが。

「ま、お前も好きな女が出来たら分かるだろ」

 善持は此処でも淡々と処理をして、この話は終わり、と持っていく。
 太陽が真上に動き、汗ばんだ頃である。川で手を洗い仕事を終わりにした二人だった。善持は先に戻り、昼食の準備をする。耀はお堂に寄っていき、寝ていた”さえ”を起こしにかかる。
 さえは相変わらず、善持の飯をよく食べた。ただ、疲れが抜けきらないのか、口数は少なかった。そのまま床に寝そべると、今度は家の中で昼寝を始めたようだ。こいつ……と呆れた善持だが、いそいそと寝床へ動き、綿の入った着物を持って”さえ”の体に掛けてやる。
 優しいじゃないですか……言いかけた耀は言うのを止めた。
 二人はそういう関係ではないのである。互いの小指の糸が繋がっていたとして、二人の”縁”はそういうものじゃないのかも、と。
 悩んだ耀は午後の畑仕事を終えてから、梅の花を見に行って、膨らむ桜の蕾を見遣る。

『人の縁って難しいね』
『何かあったんですか? 耀』
『うん。あの二人、男女の縁がありそうなのに、話を聞いていると違うような気がしてくるんだよ』

 『?』と思った瑞波は少し黙った。
 それから『男女の縁?』と問いかける。

『そう。左手の小指と言ったら、運命の赤い糸じゃないか。赤くは見えないけどね。二人で繋がっているのになぁ、って』

 沈黙した瑞波は、恐る恐る問いかける。

『耀、あなたまさか、視えるんですか? 人の”縁”が』

 うん? と顔を上げた耀は『瑞波にも視えるでしょ?』と。

『何を言っているのです。視えませんよ、そのようなもの』
『え?』
『悪縁を祓う時、繋がりが視えたりはしますけど』
『…………え』

 それは貴方の”才”ですよ、と、言われて漸く気付いた耀は『え、あぁ、そういうもの……?』と、狼狽えて瑞波に返す。

『人の縁が視えるなんて……もし結んだり解いたりできれば、それはもう大神様の階級の方ですよ……?』

 狼狽えた耀よりも、狼狽えていた瑞波である。
 まさか自分の未来の伴侶がその階級……と思った所で、寒くなるものがあったのだろう、腕を抱いて黙った神だ。
 耀は耀で頭を掠めたものがあり、黙った瑞波に倣うように、自分も黙って流す事にした。

『気の所為かも』
『そうですか……』

 これで暫く話は終わりだ。

 さえは夕方まで眠りこけ、結局この日は泊まって行った。
 善持に”こそり”と夜の姿を見せられながら、人霊が視えない、と語った弟子の能力を、推し量るようにして黙るのだ。


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