君と異界の空に落つ2 第49話
近所で一番の栗の木を見て、栃の木の場所も教えて貰った。どんぐりも色々な種類が山の中にあるらしく、去年の名残のものが半分朽ちた様子を見遣り、へぇ、此処のは丸い形か、此処のは細長いやつなのか、と。耀は密かに楽しみながら栄次の後を付いて行く。
どんぐりがあるのなら、懸巣(かけす)や栗鼠(りす)も居るのだろう。多くの木々が覇権を得ようと青々と茂る枝を伸ばし、動物や虫達が賑やかしくしている森を見ると、良い場所だよな、と耀は思う。
天から降る雨を蓄えられる力があって、多くの生き物を内包できる包容力。山の神は女神として語られる事が多いけど、包容力と豊かさは女性性が司るものであり、古から人々が山々に抱いてきたのだろう、印象と畏敬が読み取れる。
食べ物を与えてくれて、豊かさを分けてくれるとなると、男神ではなく女神の領分……そう、耀には感じられた。この場所も一応は山神の祠がある山の裾であり、耀がお湯入りに向かう”山”は隣であるけれど、そちらも影響を受けるように、割合豊かな山である。
神の力がどの程度、範囲を持つのか謎ではあるが、玖珠玻璃は玖珠玻璃の山で生まれている訳で、ざっくり”山ごと”くらいの認識で良いのかな? と。後ろの祓えの神に聞くのが一番だろうけど、耀にはまだ小さな疑問で、彼に質問するまでもない。だから今は”山ごと”くらいの認識で、栄次が教えてくれる恵みの多い場所を行く。
もう彼は耀を置いて駆け出す事はなかったけれど、気を許すには危ういような気配は滲んで見えた。例えば、どんぐりを拾う耀の後ろに、わざとらしく立ってみたり、小川があればニヤニヤ笑いを浮かべて、押してやろうという意気を見せたりと。
呆れた気持ちはあったとしても、気を抜いたらやられてしまう。じろりと睨めば栄次も気が付いて、何? と恍けた顔をするので、いちいち睨みを利かせていた耀だ。それでも景色に見惚れたり、良い山だなと気を抜けば、小さな体でどつかれて、窪地に落ちてしまったり。
体格差があるので踏ん張りは利くけれど、小さい体でも全身で力一杯押されると、耀とて体勢を崩して転びそうになるのである。それは無意識に重心が偏っている所為であり、武術を習い始めた耀が気付いてしまった未熟な部分。どんな相手でも気付きを貰うだけ有難い存在だけど、そうだとしても「やめろよ。危ねぇだろ」と、栄次に対して怒りを見せる。
瑞波も『危ない!』と先に教えてくれるけど、力負けしてしまううちは、自分の修行不足とも思う。冷静に考えるだけ怒るのも一苦労なのだけど、どこ吹く風の栄次を見ると、自然と怒りも湧いてくるか。純粋な子供の相手など久しぶりの事であり、忍耐力を養う時間……そう思えば頑張れる。
「じゃあな! また誘いに来るからよ!」
昼頃、喜色満面で帰って行った栄次である。全てではないにしろ、何度か耀を嵌める事が出来、満たされた顔をして去っていく。
またという言葉の”また”は、昼過ぎなのか、明日なのか。
疲れた顔と汚れた姿で山から帰った子を見ると、善持は「おぉ……」と思ったようで、大丈夫か? と掛けてきた。
後ろの瑞波は怒り心頭。次に悪戯をされた時、栄次の草鞋(わらじ)の紐を切ってしまいそうな意気である。超常現象と言われるものを起こす彼の怒りを知る耀は、善持が飯を作る間、宥める方に心を割いた。
如何に童子の所業とはいえ、貴方を傷つけるのは許せません。耀の体には押された時についてしまった引っ掻き傷や、近くの岩にぶつけて赤くなった打撲跡、乾いた土に手を付いた時、頭を出した小石によって切ってしまった切り傷があり、小さなものだが数を思えば、瑞波が怒り狂うには十分な様相だった。
着物だってそんなに直ぐには洗えないものだから、土がついて汚れた事への瑞波なりの怒りがあった。綺麗好きな神である。耀ならどんな姿でも構わないという気持ちはあるが、故意に汚されたのを側で見ていた訳だから、あの人間をどうしてくれよう……穏やかじゃない気迫が上る。
怒っていても美神である。
威を振りかざす必要が無いので、日頃は素朴な姿をしているが。
器用に結われた純白の髪。異界で耀が贈った簪(もの)は常に挿してあるけれど、その他にも季節に合わせて花で飾っている神だ。少し前には似合うと思った藤の花を挿していて、耀の目を楽しませ、惚れ直させてくれたもの。
衣も初夏に合わせたようで、薄着をして見えていた。異界で初めて会った時に纏っていたような、絡子(らくす)も今は脱いでいる。
涼しいお堂の縁側で、ぷりぷり怒る伴神を見る。瑞波は真剣だろうけど、耀はまだそれ程じゃない。俺の為に怒ってくれてる……それは勿論なのだけど、美神な方に気を取られ、見惚れていた耀である。
あんなに酷い事をされてきたのに意に介さない耀を見て、何故……? と、むくれた気分になった瑞波だった。只静かに自分の姿を眺めているのも不思議だし、どうして怒らないのです? と楯突きたい気持ちも浮かぶ。仕返しをしろと言われたら、直ぐにでも実行するのに。お優しい未来の伴侶は穏やかに自分を見上げるだけだ。
『貴方はもっと怒るべきです』
『何故? 別に大きな怪我もしてないし』
『怪我をしてからでは遅過ぎます。もっと強く釘を刺さなくては』
釘のようなものはあったとしても、まだ無いだろうと逸れた耀だ。自分が理解できる言葉に変換される”異言(いげん)”である。面白い……と逸れつつも、瑞波の言いたい事にだけ誠意を以て対応し、考えている事を示すのだ。
『あれは未だ無理だよ、時間が要る。俺も根気強く”やめろ”とは言うけどさ。怒った姿を見せたって理解出来ない”子供”なんだから、自分が何をしているのかを、分からせる方が先だよね』
勿論、怪我はしないように、俺も気を付けていくけどさ、と。
腹を決めたら、この程度の擦り傷、と、数に入れない耀である。
『正直さ、俺も修行不足な部分があると感じてさ』
『?』
『同じくらいの体格の奴なら未だしも、だよね? 小柄な奴にやられてちゃ、俺も直すべき部分があると思う訳。梁籖(りょうせん)様なら上手に受け流すだろうし、豊輝(とよあきら)様ならぶつかられても平気な姿勢を取ってると思う』
勿論、二人ともそういう攻撃を受けないように避けると思うけど、避けられない時は、それなりの対応を取れると思う。じゃあ、小柄な栄次にぶつかられてふらつく俺は、まだまだ姿勢も筋力も整える余地があり、気配を読むのも下手だから上手くならなきゃ駄目な訳。
『だとしたらだよ、瑞波』
耀は真面目な顔で言う。
『栄次には分からせなきゃいけないけれど、俺も勉強しなきゃならない。なら何時迄も怒っている場合じゃないし、これも修行と思わなきゃね、と』
座って気が付いた汚れを払い、何でもなく耀が語るので、憤慨しながら怒りの先が降りてきた彼である。
『それにさ』
『それに……?』
『もう瑞波が怒ってくれたでしょ』
『…………』
それで十分だよ、と、しれっと瑞波を惚れさせた。
よく使われる気逸らしだけど、瑞波には効いたらしい。
『〜〜〜っ、貴方は優しすぎますっ……!』
『瑞波にだけね』
『あの子供の方にでしょう!?』
『違うよ。まぁ……深さとか。怒った瑞波も綺麗だけど、笑ってる瑞波の方が好きだしね。俺が強くなるのをちゃんと見ていて欲しいんだ。それで、いつか頼りにして欲しいなぁ。甘えさせたいんだよね。だから瑞波には特別に、誰よりも優しくするよ。心配してくれて有り難うね。このくらいの怪我は大丈夫』
『よ、耀っ……あ、貴方は……っ』
ぱくぱくと口をあけ、返す言葉を探す瑞波も、いじらしい顔をしていて愛らしい。よしよし、もう怒ってないなと感じた耀は、自分の中で改めて反省をした。
最初に追い付いた時の顔は、良い顔だと思ったんだけどな、と。追い付いた耀を知ると、衝撃を受けた顔をしていたか。お前となら色んな事をして遊べそうだと喜んで、それはそれで心から、つまり本心に見えていた。
実際、嘘では無いのだろう。栄次は悪戯を仕掛けてきながら、耀の反応を楽しんだ。怒られても、呆れられても、嫌な顔を浮かべられても、止めようとは思わぬようで楽しげにしていたか。
悪気なく”子供”なのである。実年齢には合っているか。浄提寺の小坊主達は、あれはあれで大人だったのだ。視える者が多かったから? 幼い頃から視え過ぎて、子供では居られなかったからだろうか、と。
兎に角、栄次は一度の”衝撃”じゃ直らない。何度も何度も教え込まねば無理なのだ。骨が折れる。時間が掛かる。それこそ最初の読み通り。瑞波が代わりに怒らぬように、俺も”修行”をしなければ。耀の脳裏には何の脈絡も無く瓔珞(ようらく)が落ちてきた、あの日の事が思い出された。
程なく善持が昼飯に誘ってくれる声を聞き、返事をしながら家の中へと入って行った耀だった。昼を大分過ぎても栄次が来る気配が無くて、また遊ぼうの”また”というのが明日以降らしいと悟るに至る。午後は善持と仕事をしたか。仕事をしながら待っていたのだが、嫌なら断れ、と、背中に語った養い親だ。
「嫌という程じゃ無いんですけどね」
「それでもお前ぇ、そんなボロボロになってまで」
「これは俺の修行不足です」
「しゅ……」
「修行不足です、大丈夫」
「……お、おぅ」
善持は黙る。
子供同士の遊びの事だ。どうして修行なんぞいう話になるのか、と。耀が養い親を理解していくように、養い親の方もまた、耀の知らぬ一面を見るのである。
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