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君と異界の空に落つ2 第22話

 心配していた事が消えると、心も軽くなるようだ。
 善持はそれっきり、根掘りも葉掘りもしてこなかった。耀としては早めに瑞波の事を説明したかったけど、頼まれていないのに言うのはどうだろう、と。そんな気遣いが変に残って、先送りした雰囲気だ。
 さえの気配が無くなると、瑞波が耀の隣に戻る。嫌いという態度では無いから”苦手”くらいなのだろうけど、そういう話になったから説明しないといけないだろう。耀は善持が夕飯の仕込みをする間、畑仕事の続きをしながら瑞波に経緯を説明した。

『拝み屋に弟子入り……』

 聞いた瑞波の声は”不安”だ。

『そう。だけど、どういう事をするのか分からない事が多いから』

 俺も呪いとかはやりたくないし、動物を殺したりも嫌だしね、と。不穏な修行だったら才能が無いフリをするつもり。耀は語って、瑞波の不安を消していく。

『えぇ、そうですね。その方が良いでしょう』

 無難に返した瑞波の顔は、さえを思い出した風だ。

『瑞波の方にはそういう穢れや悪縁は視えなかった?』
『え?』
『動物殺してそうだなぁ、とか、良くない流れが視えるな、だとか』

 むしろ俺より鋭そう、と、畝(うね)を作っていきながら、何気無く問いかけた耀に『そういう意味ならば』と。

『彼の方は綺麗な方ですよ。そういう意味で言うのなら、善い人、です』
『じゃあそこは安心だね。酷いものは見なくて済みそうだ』
『そうですね。ただ……気が強い……』
『ははは!』
『いえ、あの、笑い事では無いですよ?』

 おずおず語る瑞波を前に、ははは! と笑い続けた耀である。

『ごめん、ごめん。だって、余りにそのまんまでさ』
『そうです、そこが彼女の強みでもある訳で……』

 うん、と一度、笑いを戻し、真面目な話がしたいんだな、と。悟った彼は腰を伸ばすフリをして、農具を畑に刺しながら、真っ直ぐに瑞波を見遣る。
 話して良い、と察した瑞波も遠慮がちな態度を取りながら、『ある意味、女神に近い所が彼女にはあるのですよね……』と。

『覇気って事?』
『それにも通じます』
『いまいち、何が言いたいのか分からないな』
『えぇ……その、ある程度、身綺麗……つまり、妙な因果を紡いでいない人になりますと……力を扱う才能がある場合、枷が無いと言いますか……こう、気持ちや念の部分がですね、全部ぶつかってしまうと言いますか……』
『ダイレクトに、って事?』
『だい……?』
『直接全部ぶつかるって事だもね?』
『えぇ、まぁ』
『そっかぁ。妙な因果で能力値が下げられていないから、その分、気持ちや心の部分の力が純粋で、相手に与えるものが大きくなっている、と』
『はい。そのような想像で合っていると思います』
『だから怖い?』
『怖いです。女神達を思い出すのです』
『強いから?』
『えぇ、そうです。強くて、私には少し怖い……』

 品良く立ちながら、両手を揃え、斜め下を向くもので、その姿を大変愛しく思った耀だった。素直にそうした事を口に出来る瑞波こそ、純粋で綺麗で稀有な存在だけれどな、と。
 そこには耀への信頼があり、僅かな甘えも見て取れる。今までは誰にもそうして甘える事が出来ないでいたのだろう。だから口にするのも遠慮がちにして見えて、煮え切らない態度というのを耀に感じ取らせてしまう。
 そんなの気にするな、全部言ってしまえば良い、と。耀は思ってしまうけど、瑞波には難しいのかも知れない。確かに控え目な瑞波こそ可愛い訳だから、そのままでも良い訳で……極論は、瑞波なら何でも大丈夫なんだけど……と。着地した場所に対して耀は笑いが込み上げて、くっ、と楽しく笑うけど、笑った理由は瑞波には分かるまい。
 耀は、俺も癇気の強い時のさえさんは怖いよと、それらしい事を言い、瑞波を見つめ返した。だから彼女が来た時は、逃げて良いし隠れて良いし、どうしようもない時は俺を盾にして良いからね、と。

『耀……』
『ん?』
『いえ……そうさせて頂きます』

 言いながら、ぽっと頬を染め恥ずかしそうに俯いたから、旦那っぽい事を少しは示してやれたかな、と。
 耀はどこか嬉しそうな瑞波を感じ取りながら、やってきた善持と共に残りの畑仕事を熟(こな)す。作った畝に芽を伸ばした野菜の苗を植えながら、これは直ぐに食えるやつ、これは夏に食えるやつ、これは秋に……と教えを聞いて楽しみに熟すのだ。
 一人暮らしには十分な広さの畑、二人暮らしに変わったとしても足りる広さだったので、今年広げた畑の分は保存食と非常用。気候が安定している此処らは飢餓に見舞われる事もなく、罠を掛けて動物も頂く善持からしてみれば、余ったものは売りに出し銭に変える算段だ。
 これから大きくなるだろう、耀との生活に必要なもの。欲しいと言われたものを揃えてやる為の銭の元。耀はそこまでは気付かなかったが、修行の他はする事も無いので、畑仕事に精を出し、自分の分くらいは……と働いた。
 善持は緩く働くのが上手く、決して無理はしないという風だ。それでも今は春だから、少しは忙しいという風で。苗を畑の一画に植えて、手前の苗場が空いたなら、別の種を植え付けて鳥避けを繰り返す。

「前の年、なすびはそっちに植えたから、今年はこっちにするかなぁ」
「?」
「年毎に植える場所を変えないと、育ちが悪くなるって言うんだよ」

 へぇ、と学んだ顔をしながら、山の土と鶏舎の土とを運び、次に植える予定の場所を耕した耀だった。これは善持もするけれど、適当に、ゆっくりだ。耀にも「そんなに張り切らなくて良いからな」と。腰やっちまうと一生もんだから、そういう理由で程々にと言うらしい。
 そんなに頑張らなくてもこの辺は、山神さんのおかげで作物は良く育つ。畑が駄目なら山に入れ、と昔から言われているらしく、細々とした生活でも集落の人間が減らぬのは、そうした恵みがあるからだ、と教えてくれた。
 山神様。一体何度、その名を聞いただろうか。

「善持さん、山神様って実際どんな風なんですか……?」
「山の神さんは昔から女神様って決まっとる」
「そうなんですか?」
「おう、そうよ。だから子供が好きなんだ」
「子供好き……」

 別に全ての女性が子供好きとは限らないだろう、と、思った耀の感覚はこの時代には無いものらしい。さえの話を聞いた時、仕事の方が出来るなら、主夫が出来る男と番えば何も問題無いのにな、と。さえの小指から伸びた糸が繋がった先の善持を見遣り、思ってしまったものだけど、言ってはいけない気がして黙っている事だ。善持のあの発言は”この時代の男の感覚”であり、女神に対する”想像”も悪気無く”そう”なのかも知れないな、と。
 兎に角、女神様は子供好き。特にこの地域では昔から言われているそうで、数年に一度、集落から”お供え”を出すそうだ。

「お供え物……米とか、酒ですか?」
「違う違う。子供を山に連れて行く」
「子供? もしかしてそれは生贄のような?」
「まぁな。気分は良くないよなぁ。でも”山の神さんは子供が好き”だから、大人じゃあ駄目なんだ。それに、女よりも男の方が恵みを多く返してくれる」

 さあっと意識が冷えていく耀の脳裏に、瑞波が語っていた”生贄を欲する妖怪”の気配がちらついた。まともな神なら人肉を欲したりなどしない。そういう事を瑞波は教えてくれたのではなかったか。ではあの社は彼が可能性を示唆した通り、何か大きな力を持った妖怪への目印か……? と。
 そのまま黙った耀に対して、善持は「だけどな」と。畑の土に鍬を刺し、その、何だ、骸とかは見つかったりはしないのよ、と。

「え?」
「だからな、俺ぁ考えるんだけどもよ。ヨウみたいに上手い事、山の中を抜けられて、反対側の集落の人等に見つけて貰ったりしてよ。どっかで生きてるって話だったら良いのになぁ、と」

 いや、善持さん俺は……言いかけた耀だけど、山の中を歩いてきた自分達だから分かる事。あの山の反対側に出るには延々深山を行く事になり、それは善持の希望的観測で、耀を怖がらせない為に言ってくれている事なのだ、と。少なくとも耀はその程度には頭が回る子供だったから、善持の”気持ち”が見えた分、矢張り此処でも黙るのだ。

「あっ、でも安心しろよ? 坊主の成り手を失っちゃ困るから、お前は候補から外れると思うぞ。俺がお前を差し出させたりはしねぇから、安心しろ。大丈夫だぞ、お前は生贄には選ばれねぇ」
「…………」

 無言になった耀の心は、俺も候補に入る年齢なのか、だったけど、嫌だとか怖いとか思う前、善持の必死の慰めに頷くだけ頷いた。
 善持はそれを見てほっとしたような表情を浮かべたが、微妙にばつが悪そうに頭を掻いて、今日はこんくらいにしておくか、と終いにしようと鍬を持つ。

「今の話で山に入るのが怖くなっちまったらな、小屋にある釜でお湯を作って、勝手に浴びて良いからな?」
「あ、はい。大丈夫です。登る山は別の山なので」
「か〜〜〜っ。ヨウは怖いもん知らずだな。隣の山だって怖かろうに」

 頼もしい、と笑うと、善持はそのまま、小屋に鍬を片付けに行って夕飯の準備をするらしい。耀は彼の背中を見送り、混ぜ残した土をかき混ぜて、夕飯が出来上がる頃、家へ入った。
 大分、日も長くなってきたから、夕暮れも遅くなっているけれど、彼がお湯入りに行くと伝えると、善持は早めに夕飯を作ってくれる。いつも早めに準備を済ませているが、分かっている日は余計に早く作ってくれるのだ。
 それを弁当にする時もあれば一緒に食べる日もあって、本当に伸び伸びと育てて貰っている感覚だ。そういや筍を見てきて欲しいと頼まれていたっけ、なんて。思い出したその日の事だから、握り飯を笹の葉で包んで貰う。

「では、行って参ります」
「おう。気をつけて行って来い」

 まだまだ外が明るい時間、銀杏の場所から裏山に入り、少し登って手前の竹林の様子を見遣る。何本か頭を出した筍の尖りを見ると、あの風味が思い出されて豊かな気持ちになった耀だ。明日は筍掘りかな、と、口元を緩ませながら、日の当たる斜面に生えた”うるい”を採集していく。これによく似た毒草がいくらかあるが、煙で見分けられる耀にとったらお安い御用である。他にも、蕨(わらび)や”こごみ”の柔らかい部分を摘んで、さくさくと登って行く耀だった。
 体力作りを兼ねたお湯入り。山登りを続けていると、足の方も慣れてきて、呼吸も整えられるようになっていく。途中の清水で喉を潤し、あと半分かと斜面を仰ぎ見た。
 隣の山の山神の事もそれなりに脳裏を過ったが、生贄という言葉が重くて気持ちが沈みがちになる。十中八九妖怪だろうと思っている耀だから、もし本当に喰われたとして、亡骸は何処にあるのかな、と。せめて亡骸の場所が分かれば、集めて供養してやれるのに。自然と思った事に驚いて、人の霊を視られない自分が、初めて惜しいような気になった。
 ふと、さえの顔が浮かぶ。彼女の言う通り、何らかの修行をすれば、人霊を視る事が叶うだろうか、とも。

『耀』
『ん?』
『いえ、少し、元気が無い様に見えましたので』

 いつの間にか湯に着いて、浸かっていた自分だから、瑞波の言葉を聞いてはっとするように苦笑する。

『ありがと、瑞波。考え事をしてたんだ』

 考え事、と細い声で復唱する音を聞き、耀は思っていた事を彼に打ち明けていく。瑞波が耀を頼りにするように、耀もまた瑞波の事を頼りにして見えた。これが今の二人の関係。これからも続くだろう、尊い関係だ。


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