見出し画像

君と異界の空に落つ2 第18話

「お前ぇ、見ない顔だなぁ。この辺の子供か?」

 それは耀が次の獲物を狙い、善持に背を向けていた時だ。聞こえてきた声の訝しさから、気を引かれてそちらを向いた。
 善持は火おこしの最中らしく、積んだ杉の葉の前に居る。視線の先には小さな男児。小さな、と言っても耀くらい。地方に居るには小綺麗な格好で、藍染の着物を着て見えた。
 それで善持は相手の事を、どこかの武家の子と見たらしい。山での火おこしは狼煙(のろし)と思われる事もある。止ん事無い事情があるのかも、と勝手に思った顔をした。

「付き人は?」

 ふるふる、と。男児は首を横に振る。
 意志の強そうな顔を見て、耀は”男前な子供だな”と。善持が付き人の有無を聞いていたので、耀も勝手に”貴族かな?”と。思った顔をしながらも、何となく善持の横に来た。
 藍色の着物を纏う男児は、彼をじっと見つめた後に、上へ視線をずらしたようで顔を上げる形になった。その顔に恐れは無かったけれど、しっかりと見定めてから礼をする。

『姿を見せて申し訳ありません。ですが火を焚かれるのは困ります。此処は私の領分です。不快な事はしないで欲しい』

 視線が善持とも耀とも重ならないので、誰に対して語っているのか直ぐ分かる。耀は不思議そうにする善持の視線を受けながら、自分にも重ならない視線、その先の瑞波をそっと見上げた。
 対する瑞波は『…………』と無言の様子。無表情のまま無言になって、冷たい視線で彼を見下ろしていた。耀は少々”ひえっ……”と思うが、男児の方はそんな瑞波を目にしても、慌てる素振りもなければ引くような気配も無い。
 強いな……と、男児を見ていると、男児も察したのだろうと思う。

『この方を害するつもりはありません。ただ、火を着けないで欲しいだけ。沢蟹が欲しければいつでも獲りに来て構いません。暖が欲しければ山を降りれば良いでしょう。貴方が守護しているそちらの方に、そのように伝えて頂く訳には参りませぬか?』

 あくまで話し相手は瑞波のようだ。
 不思議そうにする善持を見れば、口元が動いて見えるのは、自分と瑞波だけのようである。最初の言葉以外は善持の耳には届かずに、互いに見つめ合っているだけに見えているようだった。
 瑞波は相変わらず怖い顔で男児を睨むだけ。そう感じた耀は、善持の前だが、腹を括る事にした。

「善持さん、彼はこの場所で火を焚かれたら困るだけのようです。それなりに蟹は獲れましたし、そろそろ山を降りませんか?」

 暫く水に浸かっていたので、体が冷えて寒いです。
 耀が善持の着物を引くと、善持も”はっ”としたらしい。身なりの綺麗な男児が言うこと、誠に武士(もののふ)の家の生まれなら、大人に言いつけられて、後で処分されても敵わない、と。

「そうだな。すんませんなぁ。直ぐ帰る準備をしますんで」

 頭を下げた善持に習い、耀も男児に頭を下げて、沢から帰る準備を手早くやった。やる事は魚籠を持つ事だけだが、鉄と石を戻した善持と、もう一度頭を下げて、川の始まりを降りていく。
 耀には自分達の背後で男児が佇む気配がしたが、瑞波も黙ったままであるので詳しい事は分からない。怒っているのか、それとも怒りは済んだのか。今日は余り見た事の無い瑞波の姿をよく見るなぁ、と、冷えた体を温める為、日向を選んで降りていく。

「花見には早いだろうにな……」

 ぽつりと呟く善持を見遣る。
 気付いた彼が耀を見下ろし「たま〜に、あるんだよ」と。

「偉い人達は春になると、野山の花の盛りをな、楽しみに出て来る事がある」

 そんでもこんな辺鄙な場所には来た事が無ぇんだが……偉い人達が考える事は分からん、と。
 あれだけ違和感のある状況だったのに、目の前の人は怪しまず、凛とした童子の事を生身の童子と思ったらしい。ぱちぱちと音が鳴りそうな程、瞬きをした耀も見ず、一人で首を傾げながら「分からん」で纏まった。
 そちらの才がある事を、聞かれたら答えるしかないかな、と。腹を括った自分は一体何だったのだろうか……と、呆然とする位には善持の見解は”陽”である。
 善持は多分、そうした才能は無いのだが、無いなりにあちら側からの干渉ならば、受け取れるだけの才能はある。だから見えたのだ、と耀は思うが、人と人の形をするものの差異に気付けないというか、人じゃないという想像に、そもそも結びつかないらしい。
 そんな事はあるのか……? と、瞬きしながら見てしまうけど、既にその人の頭の中には童子の事は無いようで、捕らえた蟹の調理へと気持ちが移っているようだ。
 括った腹の手前である。肩透かしの耀は無言だ。突っ込まれたら「実は神が……」と、絞り出すつもりが確かにあった。あの童子もきっと神だろう。瑞波が睨んでいたから……なんて、それは口には出来ないけれど。
 神。久しぶりに見た他の神。凛として覇気があったな、と彼の事を思い浮かべる。見た目は自分と同じ位の歳だ。けれど、意志の強さが尋常じゃなく感じられていた。だから瑞波が警戒したのかと、理由が垣間見えたように。自分より格上の神の意向に逆らってまで、自らの意志を通そうと出て来た訳だから、そりゃあ強気の姿勢じゃないと負けそうで辛いかも知れない、なんて。耀は先の瑞波の姿勢を顧みた。
 水神。水神か。確かに澄んだ清らな男児であった。端正で、指の先までくっきりとした幼体である。不思議と耀は童子の姿を”子供の姿”と捉えたようで、大人になったらさぞ強かろう、美丈夫になるのだろう、と無意識に考えた。線の細い瑞波とは真逆の神である。どちらかというと凪彦に近いか。この国特有の、美形、といった風である。
 全く、この国の神々は、見た目が良い者が多いのだな、とも。天菱様もどちらかと言えば、煩悩を引く顔というよりは、人の意識を目覚めさせ、はっとさせる類の美。瑞波に至っては不浄を寄せ付けぬ美貌であるので、この国の神に限っては煩悩とは遠いらしい、と。詳しくは夜の祝詞を捧げる時に瑞波に聞こうと考えて、春の野山を楽しみながら善持に続いて降りていく。
 対する善持は耀が思う程、呑気な男では無かったけれど、初めに決めた事である、耀が言い出してくるまでは問うのを待とう、というやつで、触れるのはやめておいたやつだった。多少の不自然さがあったから、人じゃないかも、とは思う。ただ、あそこまではっきりと姿を見た事が無かった為に、武士の家の子供かも、という考えも捨ててはいなかった。
 付き人は居ないと返してきてから、黙ってしまった童子である。耀も困惑したようで、童子の視線を追っていた。それはまるで耀の後ろの何かに話しているようで、その何かに対して気持ちをぶつけているような。耀にもその姿が見えたのか、あやふやなれど、気持ちは聞こえてきたのだろう、やけに詳しく説明するので、言葉に従う事にした善持である。
 銀杏の木と話せるのであるから、他のものとも話が出来るのかも知れない。こりゃあ知り合いの拝み屋よりも頼りになるかも分からん、と。善持の意識も少し進んで、耀を見る目ももう少し、進んだような時だった。
 耀にそうした力があっても、善持は何も困らないから、呑気でいられる所もあるけど、これがこの男の良い所。耀の事を不気味とも、利用してやろうとも、全く思わないのであるから綺麗な奴なのだ。耀が居心地の良さを感じているのは尤もで、他の地域の坊主より、集落の人間に好かれている男である。誰も好きとは言わないけれど、好ましいから弄られもして、距離が近いし、それなりに頼りにもされている。
 そうした一端を感じられた帰り道。善持はどこかの家の男に声を掛けられ、数匹の沢蟹と交換で、干し柿を貰って見えた。もう春だから保存食の心配も減ってきて、残ったものを譲ってくれる気になったらしい。とはいえ、干し柿は貴重な甘味である。干して小さく萎んだ柿でも、四粒もくれたのだ。
 隣で聞いていて知ったのは、その家の”おとと”が沢蟹が好きだという事。この間の老人のように、もう殆ど体を動かせない高齢らしい。昼間は畑仕事で獲りにいく暇も無く、息子の嫁はまだだと言うので、幼子も無く無理らしい。死ぬ前に食べさせてやりたいと、親孝行を見た訳だ。
 善持なら絶対に譲ってくれる確信があり、だからこそ声を掛けたという風である。子を育て始めたなら尚更で、甘味は主に耀の為に持って来てくれたのだ。きっと善持なら拾い子の為に、快く交換してくれるだろう、と。それまでの人柄を知っていて、思われたからだった。

「得したなぁ」

 寺までの緩やかな坂道を登りながら、その人の思惑通り喜ぶ顔をした善持である。

「夜に一緒に食べよう」

 と、明るく耀に声掛ける。

「俺、食べた事が無いのですが、美味しいんですか? それ」
「馬鹿やろ」

 と。珍しく間髪入れず返ってきた突っ込みだ。

「美味い。だから楽しみにしておけ」
「は……はい。分かりました」

 癖のある味がするなら善持に譲るつもりだった耀だから、返ってきた言葉を聞いて、どうしても食べさせたいらしい事を知る。美味い、と言われても見た目が真っ黒だったから、食べなくて済むならば食べたくないな、と思った耀だ。黒い煙は出ていないけど、黒い食べ物には忌避感がある。
 家に帰ると沢蟹の下処理をして、一思いに揚げられていくそれである。善持がわくわくと揚げ上がりを取っていき、粗塩を振って机に置いた。赤く染まった沢蟹は、万歳をして耀を見る。あんなに足が早かったのに、もう彼らは動かない。早々に善持が「食ってみろ」と笑うので、頂きます、と小さく零して、恐る恐る一匹を口にした。
 味は流石、”蟹”である。小さくても蟹である。甲羅はカリカリと音を出し、香ばしく鼻を抜けていく。

「美味しい……」

 と、驚く顔でまじまじ見下ろす耀を見て、善持はカッカといつも通り笑って見えた。

「そのうち肉も食わしちゃる」

 罠師を忘れていた耀である。
 善持の技と懐の深さを知るのもこれからで、耀の才能を知るのもこれからだった。黒い食べ物、干し柿も、想像以上に美味しくて、もう一つは好きな時に食べろ、と渡されたものを持ち帰る。
 耀はそれを銀杏の前で瑞波にも奉納し、一転、機嫌を直した彼へ昼間の事を聞いていく。

『あの男の子、瑞波が言ってた水神様だよね?』

 瑞波の答えは是であって、気に入らない事を思い出した顔をした。

『まだ若い竜神ですが、育てば強くなりますよ』
『え。あの子、竜神なの?』

 目を丸くした耀の後ろで、『失礼します』と声がする。

『え?』
『…………』
『昼間は助かりました』

 水路の水から音もなく、端正な童子が現れた。

お洒落な本を作るのが夢です* いただいたサポートは製作費に回させていただきます**