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君と異界の空に落つ2 第46話

 腹が膨らみ、会話を楽しみ、そうして空いた腹の中へと残りの飯を詰め込んだ。耀は瑞波の世界に来てから、初めて満腹になるまで食べたのだろう。どれも野菜や野草であるので脂肪は付かないが、野菜が殆どの中に鶏の卵が入るので、卵の旨みが引き立つようにも感じた耀だった。
 好きな時に好きなもので満腹になるまで食べられていた、異界の時代とは違うのだ。こればかりが豊かさという訳ではなかろうが、食べ物に困らないというのは間違いなく豊かさの一つであって、いつか皆が同じように、気持ちよく享受出来るようになればな、と。甘い事も考えた耀である。
 見ず知らずの男と自分、それがこうまで仲良く出来るのだから、人との出会いというのは悪い事ばかりでは無いのだろう。一つ前に居た寺での事を、思い出してはそう思う。上手くいかない事も多いが、残念な事も実は多いが、偶に、本当に偶にであるが、こうして穏やかな時もある。
 さて、今頃お師匠様と亮凱(りょうがい)様も、寺で仲良くされている頃かな、と。もう組み敷かれたあたりかな? と頭で想像した事は、意外とえぐい内容だった。
 表面上は清廉潔白、優しさと柔らかさの塊に見える未来の伴侶の事を、好ましく微笑しながら見ていた瑞波である。此の時代、耀のように大人より大人びて、心に余裕のある男というのは、そうそう居ないので貴重と映る。実際はそうでもないのを未だ知らない瑞波であるから、好ましい伴侶の事を、輪をかけて好ましく、うっとりとするように見ていた神だ。そういう甘い所が彼の可愛い所であるが、元来持ち得る甘さを出すのは耀の前のみである。
 耀は自分がどのように瑞波に映っているのかを、何一つ知らぬまま伸びをした。時刻は申(さる)二刻頃か。養い親は思ったよりも早く寝た。善持は酒に酔っても機嫌の良い男らしい。終始楽しく飲み食いが出来た耀だった。
 近頃は大分暖かくなってきたので余り心配はしないけど、お堂に大の字に転がった養い親を見て、苦笑しながら布団代わりの着物を掛けてやる。それから自分達が食い散らかした……と言っても、存外、綺麗に食べる二人である。散らかっているのは空になった皿、料理を作った器くらいだ。だから、耀は酔って寝落ちした善持をそっとして、お堂の反対側の雨戸を閉めていく。それから空になった皿を集めて、汁気を川で濯ぎ、井戸の水で綺麗に洗って片付けをした。釜代わりの器も同様。善持は鉄製の釜じゃなくても、上手に米を炊くのである。
 異界の此の時代、平民が米を炊いたのは甑(こしき)という蒸籠(せいろ)の前型だったそうである。湯を入れた釜の上に、米を入れた甑を乗せる。甑には小さな穴が空いていて、下の釜から登る蒸気で米を炊くと習ったか。御強(おこわ)のような飯だから、強飯(こわいい)や”こわい”と言って、粘り気のない硬い飯であるのが特徴だったそうである。それを精米されていない玄米でやるのだから、硬い飯はより硬くなり、食べにくい。
 だが、善持は料理が上手く、食べにくさを気にした事はなかった。浄提寺(じょうだいじ)では粥が普通だったから、粒がはっきりしているだけで美味しいと感じるものだ。噛むと玄米の薄皮がぷちりと弾ける食感で、香ばしさまで楽しめる。きっと善持なりの工夫があって、美味しく炊き上がるのだろうと思うが、そちらも習っておきたいな、と感じた耀だった。
 全く時間が足りないのである。それに気付いて苦笑する。
 畠中の家には月一回、九坂の家にも何度かお世話になるのだろう。その為に毎日素振りの練習をして、畠中の家で習った受け身も忘れぬようにせねばならない。ついでに、二人目のお師匠様に師事する話もあって、拝み屋としてやっていけるように修行をつけて貰う時間も要るか。
 朝晩は瑞波に祝詞をあげる。暫く出来ていなかったから、今夜からまた捧げたいと考えた耀だった。玖珠玻璃とも剣術の練習をする。昼間は善持と畑仕事も。自分が増えた分の冬の食い扶持を作る為、畑を広げなければならない大事なものである。
 その合間にお堂や家の掃除もしたい。忘れぬように経文を読む”お勤め”も続けなければならない。真言の唱え方や印の結び方も練習を続ける。人霊とは縁の無い自分かも知れないが、使わないかも知れないものを覚えておくのも修行である。次に一人目のお師匠様や亮凱様に会った時の為にも。同じ寺で学んだ小坊主同士、何処で出会うとも知れないし、また皆に会えた時、恥じない生き方をしてきたと、誇りを持って彼らと対峙出来るようにしておきたい。
 庭の鶏の世話を焼き、梅と柑橘の世話も焼く。集落の人間が亡くなったなら、墓に埋めてやるのも大事な仕事だろう。せめて四十九日の間は墓の前で経文を読んでやりたいし、置いて貰っているお礼の意味でも、丁寧にしたい事である。
 三日に一度のお湯入りも、夏の間は毎日か、二日に一度は行きたいものだ。登っていくだけ体力作りが出来るけど、その分、時間を消費する。上手にやりくり出来ねば無駄にするだけである。異界での平和な生活を頭に思い浮かべながら、高校生をやっていた時よりも大変な生活じゃないか、と笑う。大学受験を控えた高校二年の夏休み。進学校故の課題の多さ、問題レベルの高さはあったが、こなせばいいだけのものに対して、高レベルの自己管理を課されるこちらこそ、難しい人生であり、”不便”が輪をかけて、人生の難易度を上げてくる。
 夜の時間を読書に充てたいが、暗くなったら何も出来ない時代である。なら読み物をあさるのは昼間の時間が良いだろうか、夜を受け身と素振りの時間に充てたらいいのか、と。洗い物をしながらぐるぐる考えた耀である。
 物置の書物から山の神の痕跡を探す事。次に玖珠玻璃が来たのなら、彼の知り合いの神様に、この山の神について知っている事は無いだろうかと、教えを乞うのを一番にやろうと思った耀だ。長い時を生きられる神達である。人を飢えさせない程の豊かさを齎す神だ、無名であるという方が、実は無理な話なのでは無かろうか。きっと誰かは知っている筈、そう思うから頼むのだ。手掛かりでも十分なので、何か得られればと願った耀だ。
 あとは、この地方を統べる名主の家にもお邪魔したい。善持さんが何か”おつかい”でも頼んでくれたりしないだろうか、と。願望の方も湧き上がる。
 銭も貯めたい。九坂(くさか)の家で、馬術と弓術もいずれ身に付けたいと思う耀だ。やりたい事が多過ぎる。圧倒的に時間が足りない。それでもやらねばならぬと思った。村人の為でもあるが、結局は自分に返る、自分の為でもあるからだ。
 ちら、と瑞波の方を向く。
 にこ、と微笑む神である。
 この美しい、美しい男神の全てを、手に入れたいと思うから────。

 夜も更けて寒くなる頃、のっそり起き上がった善持である。
 少し離れた銀杏の木の下で、耀が祝詞を上げるのを、それと知らずに聞いていた。そのうち目が覚めてきたらしい、また”のっそり”と動き出し、畑の奥の肥溜めに向かって歩き出したようだった。
 用事を済ませて川まで戻ると、善持の方を向いていた耀だった。彼は銀杏の木と話をするらしい養い子の方を向き、俺は寝る、と言い置いて”のそのそ”と動いて行った。
 おやすみなさい、と聞こえただろうか。全く、丁寧な養い子なのである。俺が育ててしまうには勿体無い程の子供だよ、と。微笑する善持の顔は、誇らしさが少しあった。もう何百年と変えられないでいた集落の悪習を、変えようと思ってくれるのだから、有り難い事である。きっと親父も嫌だっただろう、自分も役目をこなすのは、実は”嫌”なのである。子を持つ忌避感もあったのだろう、だから善持は無意識に”妻(かか)”を持つのを躊躇った。自分の子を山神に取られるのは嫌だから。自分の子に”役目”を受け渡すのも嫌だから。
 耀が”変えたい”と思ってくれて、ほっとした心もあったのだろう。幽霊が見えない自分であるし、まして神など意味も分からぬ。少しばかりか”さえ”よりずっと冴えていそうな耀なのだ。ひょっとしたら本当に、何かを変えてくれるかも知れない、と。
 善持が眠った少し遠くで、耀は瑞波との時間を過ごした。玖珠玻璃とは昼間に会ったから、暫く来てくれる事は無いだろう、と。たわいもない話をしていた。そのあとは素振りも少し、した。長距離移動の後に山も登った耀だから、それなりに疲れもあって早めに寝たが。
 自分の寝床に寝転がる頃、自然と考えた耀である。瑞波にも気配が読めないのでは、大国主様よりも高位の神かも知れないな、と。彼を強張らせないように、その話題を振るのはやめていたけど、過去、服(まつろ)わぬ神々を禍神とした神宮だ。禍神とも呼ばれたくなかった神々は、姿を消したり、気配を消したりしたのだろうから。
 そんなものに相対出来るだろうか、という心配はある。出来る限り調べる事が、身を守る事に繋がるのだろうと思う。
 でも、まぁ、今日は疲れた。
 おやすみ、瑞波、で寝入った耀だ。
 それから数日は、それまで通りの日々を過ごした。
 死人が一人、出て、父親に付いて来た子供を見た耀だ。亡くなったのはお爺さんらしく、その子の父親は、善持の後継を見せるつもりもあって、男児を連れてきたらしかった。
 相手は作業中、まじまじと耀を見ていて、何か言いたそうに滲ます気配を、父親の前だから、押し込めるようにしていたか。善持の後ろで行儀良く経文を唱える耀を、お爺さんが亡くなって悲しい、の次に、好奇心で見ていた彼だった。
 帰りしな、門の所で見送った善持と耀は、男児が自分の父親に何事かを質問する様を見て、まさに話題に出したのが耀であるとするように、何事かを返されてから、頭を小突かれる様を見た。頭のてっぺんを両手で押さえながら、最後にもう一度、振り返って耀を見上げた童子である。

「ありゃ、栄作(えいさく)の二番目の息子でな」

 耀の方には善持がそれとなく教えてくれる。

「悪童でいかん。二人きりになったら気をつけろよ。何されるか分からん。怪我でもさせられたら大変だ」

 と。
 ふぅん、と眺めた耀だった。
 彼の背は春の間も静かに伸びて、日々の素振りのおかげで腕に筋肉がついてきた。筋肉痛に悩まされもしたけれど、入りに行くお湯の効果だろうか。いつも程よい痛みに治(おさま)って、もう続けられないという程にはならなかった。
 そもそも、山の木の枝を使って懸垂をしていた事もあろう。小坊主をやっていた時、同じ小坊主仲間の風雅(ふうが)が助言をくれたのだ。腕の力もつけとけよ、鍛えておけよ、と教えてくれた。彼は、いつか山を降りる、つまり、還俗(げんぞく)すると決めていた。まだ平和だったある日の事だ、俺が説法をするような人間に見えるか? と。辟易とした顔をして、他の小坊主を素のままに納得させていた記憶が返る。
 耀はそれらの思い出を胸に、美神を横に置き、黙々と鍛錬を重ねる日々を過ごした。その間、やってきた玖珠玻璃(くすはり)に、山の神の事について知り合いを頼れないだろうかと、知っている事があれば教えて欲しいと頼み込む事もしていたか。
 二人は友神同士であるので対価など要らないが、玖珠玻璃は玖珠玻璃で耀に剣術を習う約束があったので、その代わりという事で、と引き受けてくれたのだ。
 後は待つだけという頃に、畠中の家を訪ねて、ついでに”さえ”の家も訪ねて行く耀だ。然りげ無く嬉しそうにする”さえ”の仕事ぶりを眺めながら、感覚を身に付けて、次の日には畠中の家を訪れる。ひと月のうちにずれてしまった受け身を正しい位置に戻して、続く武術の気配を示され、夜は易占の授業を受けて布団で眠る。また”さえ”の家に戻ると、客の悩みを聞いたりと。拝み屋のあり方を新しく刷り込んで。
 帰ってくる頃には数日が過ぎているが、二度目ともなると余裕が出来る。腰には鍛錬用であり護身用の木刀だ。子供とはいえ、姿勢が良くて様になる。それを木陰から眺めている存在に、気付いた瑞波が背後から教えてくれた。

『耀、人間の子供が居ます』

 うん? と示された方を見て。
 あ……この間の……と思い出した耀だった。

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