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君と異界の空に落つ2 第42話

 開ききったつくしの芽、頭を丸めた蕨の芽、湿った場所には”こごみ”が集い、蕗の薹も薹が立つ。足元には丸い蕗の葉が広がり始めた様子であって、畠中の家で出された食事を思い出した耀だった。
 水を飲みに整えられた水場へと降りていけば、清流のあちこちに芹が腕を伸ばすようだ。芹は寺の畑を通る小川に生えると知っているので、此処で採っては帰らぬけれど、此処にも食べられるものがある、と記憶した。
 耀は清水で喉を潤しながら、帰りは”さえ”の足に合わせずに済む訳で、行きより早く戻れるだろうと考えた。まだまだ子供の足だけど、大人になりかけている子供である。山歩きにも慣れているし、山登りもしている足なのだ。平坦な道を行くのなら、当然、さえの足より歩みは早い。肌感覚でも良いペースで戻ってきている印象で、寺で待つだろう善持の顔が思い浮かんだ程だった。
 集落へ続く道に戻ると、踏み固められた道端に、踏まれても強い野蒜(のびる)が生えている。少し離れた所には野蒜より細い葱の仲間、浅葱(あさつき)が身を寄せ合って生えていた。誰も採らなそうな場所、良いかな、と思った耀は、土をかき分けて半分を根元から抜き取ると、持たされた背中の籠に入れていく。
 他の集落の近くの場所では気まずいが、どちらからも離れていて見えない場所ならば。まだ山の権利だ何だと煩くない時代であるので、他者の為に残していけば問題もないだろう、と。
 余裕のある時代である。その先を知っている耀だから、不便で未発達な時代の事を、そのようにも感じてしまう。どちらが良いとか悪いとか、そういうものでもないのだろう。土地の全てがきっちりと管理されるのは理想だろうが、使いもしない豊かさを他者に与えたくないというのも、何処か”さもしい”感じがしてきて、気持ちの良いものじゃない気がするのだ。異界のあの時代、あぁなってしまった背景に、何処までも貪欲で遠慮を知らぬ人達が、際限なく増えてしまったのだろう事があるのも分かる。事足りるだけ、で済まない人の気持ちが分からないから、そうした人達とは永遠に平行線のままになるのだろうが。
 しかし、今は自分には関係無い事。異界とは違う豊かさに、恵まれている場所である。この時代を生きる特権と思い、耀は辺りを見渡した。賑やかしい景色には、沢山の息吹が満ちる。何かおこぼれに与れないかと善持への土産を探していると、様子に気付いた瑞波が、あれも食べられますよ、と告げた。

『漉油(こしあぶら)と呼ばれていたと思います。そちらの斜面にも。藪萱草(やぶかんぞう)と言ったと思います。よく人が好んで採っているのを見かけますので、美味しいのではないですか?』

 と。
 採取するにはやや伸びてしまった感じはあるが、楤の芽のように比較的若そうな新芽を採って、瑞波が指差した藪萱草も、若く緑の薄いものを特に選んで採っていく。

『有り難う、瑞波。善持さん喜んでくれるかな?』

 自分の返事にふんわりと微笑んでくれる彼を見ると、耀は”その笑顔が好き”と自然と思う。早く触れ合いたいと思うが、今生では無理だろうか、と。ただ、瑞波の気持ちが揺るぎなく自分に向いているから、持てる余裕の部分というか、焦らずに済む気持ち。
 味見のつもりで程々の量を籠の中へ入れたなら、耀は道へ戻って、集落を目指して歩き出す。
 天候は良好、他に人は見えないが、一つ隣の集落まで戻って来たら、数日前と変わらずに農作業をする人々の姿があった。さえの家を出たのが午前中の早い時間。さえの歩みに合わせずに済み、さくさく歩いて来たけれど、途中で山菜を採っていたから十時に近いだろうか。この時代では巳三刻。おやつの感覚はないけれど、人に寄ったら水休憩が恋しくなる時間だろう。
 大分、南の土地なのだ。動けば肌も汗ばむ季節。次の峠で飯を食べよう。そう考えた耀だった。

『玖珠玻璃(くすはり)に挨拶もしていきたいけど、そうすると遅くなっちゃいそうだよね』
『よいのではないですか? 彼なら夜にやって来そうですし』
『何か土産に出来ればいいんだけど……竜神様の好きそうなものが思い浮かばないや』
『気にしないと思いますよ。土産話で十分でしょう』

 そんなもん? と見上げれば、瑞波は『ええ』と澄まし顔。

『土地から離れられない神も多いですから。遠くの話が聞けるだけでも喜ばれるものですよ』
『そうなんだ』

 そういえば瑞波には故郷のようなものはある?
 何気ない質問をして、何気ない答えを聞いた。
 目覚めた土地はありますが、守る土地は無いですよ、と。

『じゃあ、自由な立場だね。俺と好きな所へ行ける』

 始めの言葉を聞いて口を結んだ瑞波だが、続いた言葉を聞いて気を持ち直したようだった。

『私はこの世に縛られ続ける神ですが……貴方とならば自由に、何処までも行けそうです』

 そこにどれだけの意味があったか耀は知らないままだけど、瑞波の頬が緩んでいたので、喜ぶ気持ちは伝わった。
 峠で”さえ”に持たせて貰った飯を食べ、水場の近くの木陰で並んで休みを取った二人だ。坂を降りたら平坦な林になって、行きで”さえ”と話をした道に戻る事になる。あと少しだから頑張ろう、と、腰を上げた耀に倣って、瑞波も”しゃん”と付いていく。
 平坦な林に戻り、玖珠玻璃の山が見えてくると、行きで”さえ”と話した事が耳の奥に蘇る。どうせ生贄に出すのなら、神を祀るようにして、それらの子供を祀ってやれば良いのに、と。気持ちの良い話では無いだけ、胸に痞えるものがあるが、呟いた”さえ”の横顔までも思い出されるようだった。
 耀は瑞波を連れながら、山神の山を見た。寺に戻ったら隣の山へ風呂入りにも行きたいが、もう一度そこへ赴いて様子を見たいとも思う。
 人霊が視えれば一番良いが、願っても得られるような才能では無いだろう。気配で逃げられてしまうのだから、視える以前の問題かも知れない。逃げられる原因は……思い当たる事が多過ぎる。この国の神々さえ、恐れる穢れ神を宿す事。後ろには祓えの神。神代の時代、高天原で神を殺した凪彦の、大太刀も持っている。
 どれか一つでも”怖い”と思う。自分が思うのだから、そんなものを身に纏う自分という存在は、この世に留まっていたいと思う人霊からしてみると、もっと怖いだろうな、と。
 それでも、会えるものなら会いたいと思うのだ。子供の霊が居ないなら、大人の霊で構わない。数年に一度、あの山で一体何が起こるのか。原因を知れたなら、やめさせる事が出来るかも知れないからだ。理由が知れないなりに、集落の女達の視線の意味を、薄らと感じ取っている耀だった。
 程なく集落の入り口が見え、耀は漫然と、川幅の狭い場所に掛かった三本の丸太を見遣る。玖珠玻璃の沢を起点とする浅い川。帰って来たよ、と告げるつもりで、水に手を差し入れた。
 流れてくるうちに温(ぬる)くなっている水温だけど、それでも他所の川より冷たい気がした。気温も上がってきたので、濡れた手に触れる風が丁度良い。集落に入る頃には昼食の準備の匂いがしていて、畑には男衆ばかりが出ている雰囲気だ。
 目敏く耀を見つけた人が「帰って来たのかぁ!?」と遠くで叫ぶ。大声で「はい!」と返したら、ちらちらと向いてくる他の視線だ。うっ……とは思ったけれど、頭を下げる。引き続きお世話になります、と、耀なりの挨拶だった。
 まだまだ気まずい集落である。視線を向けてくるものの、耀の挨拶には返事をくれない。これも修行と思うし、こうした仕事に就くならば、慣れなければいけない事だと思う。
 皆と仲良く出来るのを期待している訳では無いけれど、他の集落の人よりは距離を縮めたい気持ちがあった。
 もし、山の神の問題を解決出来たなら……そう思ってしまうのも仕方ない事なのかも知れない。

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