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君と異界の空に落つ2 第31話

 まぁ、分からないでもない。
 さえは耀を子供と見做し、体力を鑑みて、行きと帰りで一泊ずつ家へ泊めてやると口にした。客人の屋敷は”さえ”の家より尚遠く、雨だの都合だのをつけているうちに、あっという間に数日が過ぎてしまうと聞いたから。
 帰りは一人で帰れるね? と聞かれた耀は、瑞波の為に「勿論です」と返しておいた。共に聞いた善持は耀を哀れんだ目で見遣り、寝る場所もねぇから気を付けろ、と。何の悪気も無いように、平気ですよ、と返した耀は「野宿には慣れています」と笑って二人を黙らせた。
 流石に屋根くらいあるわよ、と、反論したい”さえ”だけど、善持の家に比べたら荷物も多いし埃臭い。野宿の方がマシかしら……? と思ったから黙るので、黙る”さえ”を横目で見ながら善持も黙った風だ。
 我の強い”さえ”に食い潰されるような気がして、絶対に耀を渡してはならぬと思っていたが、こうして見ると耀は案外さえにも強く、黙らせる事も出来るのだから驚きだ。善持には今も昔も矢鱈大きい態度で来るので、こいつ、人を見てやがる……と脱力するような気持ちもあった。
 そんな二人の内心などはちっとも通じぬ耀だから、黙った二人を見ると”それでも心配されている”と、相変わらず良い人達だ、などと違う方向に考えた。
 その日は掃除をしたり、梅や柑橘の花芽を摘んで、疲れていない”さえ”の相手もこなした耀だ。大きな梅や柑橘の実にしたかったから、木の声を聞きながら摘花を行った。そもそも、そのような作業があるのを知らなかった耀だけど、善持と”さえ”に気を遣い、外で暇を潰そうと、そちらに来てみれば声がしたから。
 落として、花を落として、と、囁くような声である。近付いて指をかけていけば、落とされたくない花は”いや”と言う。成る程、枝の時と同じように、落とされたくないものばかりを残してやれば良いのだな、と。無心で作業をしていると後ろに”さえ”がやってきた。
 何をしているんだい? と聞かれたから「花を落としています」と。
 何でそんな事をするんだい? には「落として欲しいそうなので」と。
 銀杏の木と話をしていた弟子の事を思い出し、さえは少し緊張しながら「あんた、木の声でも聞こえるのかい?」と。
 耀は「多分」と答えただけで、本当にそうなのかまでは分かりません、だ。あの銀杏もお喋りなのかい? 聞かれてやっと気が付いた。
 来たばかりの頃、瑞波の事を、隠す目的で始めた事を。善持は何も言ってこないが、さえが聞いてきたのなら、とうにばれていた事で、正しく誤魔化しが出来ていた事。
 耀は「はい」と軽い気持ちで嘘をつく事にした。さえが側に居る間、作業を続けている訳で、梅も柑橘も幾度となく”いや”と言葉を発している。彼女にも聞こえるのなら手伝ってくれる筈で、彼女にも聞こえるのなら”お喋りかい?”とは聞いてこない筈だから。遠いとはいえ境内の中には存在する瑞波である、それを聞いて来ないのは、さえが”視えない人”だから。
 さえには神は視えぬのだ。水羽(みずは)や綺世(あやせ)や樹貴(たつき)のように、光の玉としても感じる事が出来ぬのだ。そう考えれば二人目の師匠もそれなりに頭が回る人で、自分の得意分野が”神”かも知れないと、勘付いたから、神様関係で困っている客を、わざわざ連れて来たような気になった。
 さえさん、やるなぁ、と。彼女からの質問に答えながら、耀は尊敬するように彼女の方を振り仰ぐ。急に振り返られた”さえ”の方が、耀の瞳に僅かに怯んだようで、それでも”負けまい”と師匠風を吹かせたようだ。

「あんた、都の近くで小坊主をやっていたんだろう? 神様の声が聞こえるのなら、神職に就いた方が良かったんじゃないのかい?」
「あぁ……そうなのかも知れないですが、これに気付いたのは寺を出てからでして」
「へぇ。じゃあ、山を歩くうちに身に付いたって事かい?」
「そのようなものだと思います。寺は結界が強固だったので、私も他の小坊主達も修行中、霊を視る事等もありませんでしたから」

 あ、でも、結界が壊れた時だけ、障子戸の向こう側に人霊の姿が視えたかな? 人霊というよりも、色々と混ざってしまった怪異のような感じでしたけど。他に、上の方が私の事を”人霊の方が逃げる”とおっしゃって、笑われた事があるくらいで……山の中でも町の中でも視えた例(ためし)がありません。
 耀が語る話を聞いて、「人霊の方が逃げる、ねぇ」と。さえは懐疑的に呟くも、神の方と相性が良いならそういう事もあるかもね、と。

「山は異界だ。神も妖怪もわんさか居なさる。そこを一人で来れたんだから、やっぱり大したものさ。あんたの後ろには守護さんが視えないが、もしかしたら神様が憑いていなさるのかも知れないね」

 その方が相応に強いのだろう。だから無事に此処まで来られて、勘だけが冴え渡り、聞こえるようになったのかも知れないね、と。
 ひゅっと息を呑んだ耀など置き去りで、さえは一人で結論を出し、近くの桜の木に寄った。

「残っていたら手伝って貰おうと思ったが、此の人も無事にあの世へ渡ったらしい。憎い憎いと思っていても、人は時に癒されて、花や何かに癒されてあの世へ渡っていけるんだから……」

 続く言葉は無かったが、耀はそこまでの言葉を聞いて、さえの中に広がっている世界観を観たようだ。耀乃(あけの)の世界なら、沢山の解釈が生まれた後で、さえの事も理解出来る人達が居たのだろうに、と。
 ただ何気なくこの時の耀は「それ、何人かに言われました」と。後ろに守護霊が居ないのは、問題だったりしますか? と。居ない、居ないと言われても「だから何?」へ繋がる気持ちの先を、彼女に教えて欲しくて聞いていく。

「別に居なくても問題ないさね。変な場所に近付かなけりゃ。そも、神や妖怪や、よく分からない存在が、元居た守護さんを喰っちまっている場合もあるんだよ。それが守護さんより強ければ、次の守護さんも近付けず、守れない状態になるけれど、そいつらが守ってくれるから」

 あたしも色々視てきたけどね、よく分からない存在は、目的があってその人に憑いてんのさね。だから、宿主であるその人が死んだら困るだろう? 自分の手を下せるような似たような悪鬼悪霊ならば、ずばっとやっちまうのさ、宿主をやられたら困るから。
 気持ち悪い奴も何個か視たが、あたしじゃ手に負えないからね、そういう時は帰って貰う。ただで銭を貰ったら、あたしの方が地獄に落ちる。

「地獄……」

 なぞった声に頷く”さえ”だった。

「陰陽道の奴らはまた独特な規律を知るが、あたしの肌感覚だと、この世に掛かった因果は凄い。どう凄いのか、都の人等のように、上手に説明してやる事は出来ないが、生きているうちにやった事っていうのは、ぜ〜んぶ、見られているんだよ」

 それが全て因果となって、返ってくるように作られている。抜け道がある、なんて呪う奴等は言うけどね、抜け道に掛かる因果の部分がこの世じゃ視えなくなっているだけ。きちんと乗せられているんだろうなと感じる時があるからね、あたしは呪いはやらないよ。

「呪術をやった者、やってくれと頼んだ者、返ってきた時の身代わりとして小さな動物や、ヒトガタなんかも使ったりするようだけど、それが一々点数として足し合わされている訳だ」

 これをしたら何点、あれをしたら何点、とね。確かに許される範囲もあるんだろうさ。それのおかげで何百人が助かった、なんて話で。感謝する人が多いのならば、罪が軽くなるように。現世や来世で負う業の深さも、人によったら耐えられる量が違う。もしかしたら呪術師達は、その計算も出来ているのかも知れないけれど、あたしが思うに”正道”を生きた人間達の方が、きっと”終わり”が早いのさ、と。

「この仕事は”成り立ち”を知るには良いけどね、抜け出すのは物凄く大変だ。何も視えなくても、感じることが出来なくてもね、正道を歩んだ人間の方が、結局、合格を貰えるのが早いのさ」
「合格……」
「そうさ。人の終わりさ。人が終われば……もっと良い存在になれるんだろうね。それこそあんたらの領分である、極楽浄土とか。飢えも苦しみも悩みもない、安住の地に生まれられるんだろう」
「いえ……俺は道半ばで山を降りてしまったので、自分の領分かと問われれば、違う気もしますけど……」
「ちっとでも齧ってりゃあ、あたしからしたらおんなじもんさ。坊主は極楽って言葉を使うが、そうじゃなくても似たようなもんがあるんだろうと思うんだ。たまにそういう気配を感じる。まだまだ届きそうにないけれど、いつかその地を踏めたらいいなと思ってね」

 あたしはこの世で幸せになるのは、諦める事にしたのさ、と。
 さらりと語る”さえ”の後ろ姿は、拝み屋として生きる道を選んだ、女の決意の姿、あるいは”業”だったのかも知れない。
 当然、彼女も自分の科白に返事が欲しかった訳じゃない。何を言えば良いのか迷ったらしい弟子の姿を、久しぶりに年相応と見たようだ。ひひっと独特の笑いを浮かべ、今度から神関係はあんたを頼りにするからね、と。

「え。いや、流石に俺でも全部対応出来るかは……」
「そんなのあたしも同じさね。でも、ヨウが少しでもそっちを担ってくれるなら、あたしも大分(だいぶん)楽だから」

 あんたの生きる糧にもなるだろう、あたしが死んだら、お客は全部ヨウのものになるんだからね。そのくらいなら残してやれる。拝み屋としての生き方と、少しばかりの客ならね、と。
 耀は自分が拝み屋になるなんて、少しも思えないけれど、その道もあるんだ、と理解した顔をした。さえが欲した弟子の形は雪久と同じ、育った暁には互いに協力出来る形だ。能力者の師弟関係が、そればかりじゃない事を、伝聞で、肌で、感じてきただけに。あぁ、俺は結局、恵まれているのかも知れない、と。
 さえの気性の荒さはこの際、目を瞑れる範囲だろうから。
 それに、変な声も出すけれど、笑顔は可愛い人である。
 自分と真面目に師弟になろうとしてくれている訳だから、彼女の仕事の手伝いくらい、神様関係の仕事くらいは、手伝ってもバチは当たらないのじゃないかな、と。
 うん、と頷いた耀は此処でも、新しく決意した。
 いつか役立つかも知れない拝み屋としての仕事や知識を、少しでも多く、この人から学ぼう、と。
 それから……。

「ところで”さえ”さん、さえさんの幸せってどんな形だったんですか?」
「へ?」
「諦めたなんて言うから……気になっちゃうじゃないですか」

 あぁ、と気が抜けるように呟く”さえ”は、僅かに恥じらうように「そりゃあ、あたしだって、嫁にくらい行きたかったもの」と。

「でも諦めた。あたしじゃ無理だもの」
「何故?」
「雑だし、可愛くないし、善持の言う通り。飯(まま)も作ってやれないんじゃ、子供が出来ても飢えさせてしまう」

 ふぅん? と聞いていた耀である。
 やっぱこの時代だと、それが女の幸せなのかな? と。

「なら、善持さんでいいじゃないですか」
「?」
「相手。駄目なんですか?」

 善持さんならご飯を作るのがとっても上手だし、さえさんが苦手な事も全部やってくれますよ、と。
 本当に底抜けに、驚いた顔をした”さえ”だった。
 目をぱちぱちと瞬いて、少ししてから、不思議な顔を。

「善持は可愛い子が好きだから、あたしじゃ無理だよ?」

 と。

「雑な女も嫌いだしね。迷惑にしか思っていないと思う」

 そんな事よりあんたさね。世帯を持つつもりがあるのなら、あたしがそのうちに、見積もってやっても良いけどね、と。
 うん? と聞きながら思った耀は、銀杏の木の方で、瑞波が殺気立つのを感じた。

「俺は世帯は持たないです。心に決めた神が居るので」
「うん? 心に決めた神?」
「はい。いつか並び立てたら……と」
「あんた……もしかして、その神に憑かれてるんじゃないのかい?」

 ははっと笑った耀は「それだと嬉しいですけどね」と。
 さえが呆れた顔をしながら家へ戻っていくのを見遣り、近付いてきた瑞波の事をそっと見る。

『耀……』
『ん?』

 瑞波の頬は桜色である。
 客人が浮かべたものより少し薄い桃色だけど、満更じゃなかったらしい彼の気持ちを推し量る。
 それから伸びた指先で、ちょいちょい、と。
 顔を寄せた瑞波の頬へ触れるようにキスをした。

『待っててね、瑞波』

 耀……っ、と無音で滲んだ声は、きっと彼の耳に届いたのだろう。
 散り始めた桜の花が、二人を包んだ昼下がり。
 穏やかに夜を迎えて、賑やかな夕食を取り、つまるところこの二人、すれ違っているだけだな、と。子供の顔で善持と”さえ”を見つめて過ごした耀の頭は、結べるかも知れない、などと、大それた事を考え始めていた。
 大それた事を考えながら、迎えた翌朝の事。
 善持が作ってくれた弁当を持ちながら、耀は初めて”さえ”と一緒に、集落の外へ出た。

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