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君と異界の空に落つ2 第41話

「その木刀はどうしたんだい?」

 拝み屋のお師匠様が言う。

「あ、これは九坂(くさか)様が譲って下さいました」

 ふぅん、という顔で眺めた”さえ”は、習うのかい? と聞いてくる。耀は少し緊張しながら「そのつもりです」と返すのだけど、こっちの修行はどうするんだい? と咎められる事もなく、むしろ「その方が良いだろうね」と返してくれたのだ。

「毎日通うのは大変だろう。うちに住むかい?」
「あぁ、いえ」

 と。
 そうか、さえさんはそっちの”つもり”か。
 苦笑を浮かべた耀だけど。

「素振りを百本出来るようになってから、また来いと言って頂きましたので」
「百!? その細腕で、かい!?」
「細腕って、さえさん……流石に太くなりますよ……」

 俺、男なんですよ……? と、弟子も漸く胡乱な目つきを。

「あ、でも、出来れば、ひと月に一度ばかりは、泊めて欲しいような気もしますけど」
「うん?」
「畠中様にも弟子にして頂きまして、そちらは、ひと月に一度は通って来い、と」
「畠中様にもかい?」
「はい」
「喧嘩にならないのかい?」

 喧嘩? と耀が顔に出したら、さえは腰の木刀に指をさす。彼女は同じ”武家”である九坂の家と畠中の家が、耀を巡って喧嘩をするのではないのか、と心配したらしい。

「なりませんよ。同じ武術でも、武器を使うのと、使わないのと。全く異なるものを習うのですから、喧嘩になりようがありません」
「ふぅん?」

 そういう事ならば、と”さえ”は納得したらしいけど、あんたも忙しい子供だね……と呆れた気持ちが湧いたらしい。

「まぁ、良いよ。好きな時に泊まりにおいで」
「良いんですか?」
「構やしないよ。あたしだってそっちに行って教えるよりも、こっちに来た時に教える方が楽だもの」

 成る程……と耀は考え、有り難く世話になる事にする。

「それよりあんた、腹が減っただろう? それは持ったままで良いから、飯だ。飯を食べに行こう」
「いえ、大丈夫です。朝飯を頂いてきましたから、腹はまだ減っていません」
「煩いね! あたしの腹が減ったんだよ!」

 付き合え、と言わんばかりに”さえ”が癇気を滲ませるので、耀の都合など関係無かったのかも知れない。
 けれど、飯屋に連れて行かれると、そこの店主が「よぉ」と言う。

「何だ、やっと坊主が帰ってきたのか。良かったな、さえ。こいつなぁ、坊主が戻って来なくて、随分心配していやがった」
「煩いね! 余計な事を言うんじゃないよ!」
「腹の心配ばかりして。こういう所は”おかか”みたいだな」
「黙りな爺! ヨウの分は大盛りだよ!」
「お〜、照れるな照れるな、お”さえ”。直ぐに大盛りで作ってやらぁ」

 耀は、あぁ、そういう事ですか、と”さえ”の癇気を理解する。彼女は耀の身の安全を心配したに留まらず、ご飯を食べていたかさえ心配していたのである。
 語尾の強い”さえ”であるから、勘違いしてしまう。全く、さえさんは……と。店主が気の強い彼女を、簡単に扱う様を見て、耀も彼女の扱い方が段々分かるようだった。
 分かったら”可愛い人だな”という、気持ちも浮かぶ。此処が耀の無意識の”女誑し”の部分であって、普通はそう思えない性格(もの)でも受け入れてしまうのだ。人は自分を受けて入れてくれる人を好きになるから。そして、耀は受け入れずによいものまでを、受け入れてしまうから。
 気を取り直した彼は、店主に向かって待ったをかけた。

「あの、俺、朝飯は食べているので、大盛りだと食べきれません」

 普通か少し少ないくらいでお願いします、と言えば、さえは悪態をつきながら「遠慮するんじゃないよ」と。

「遠慮という訳では……」
「どうせ大した量を貰っては来なかっただろう?」
「そんな事はありませんよ。十分食べさせて頂きました」
「そうは思えないけどね。あの家は質素だし」
「多分……質素じゃなくて、堅実なんです。必要な所には不足なく対処して下さいます」

 なので本当にお腹は空いていないのですよ、と。

「大丈夫です”さえ”さん、心配しないで下さい」

 耀が微笑むように返すと、しぶしぶ「そうかい……?」と。
 聞いていた店主の方が「へぇ……!」と感心したようだ。さえと対等な立場で彼女を納得させられるとは、将来が楽しみな童子である。

「じゃあ普通で良いな?」
「ヨウがそう言うのなら……」
「か〜〜〜! さえは往生際が悪いな!」
「違いますよ、さえさんは優しいんです。腹が減ったらちゃんと言います。今は大盛りは入りません」

 さらりと”優しい”なんて言葉を挟むから、さえは急に気恥ずかしくなり、もういいよ! という雰囲気だ。それに、腹が減ったらちゃんと言う、のも、信頼されているようで”さえ”には嬉しい。頭がおかしい、嘘つきめ、と言われ続ける人生だから、人並みに頼りにされるのはくすぐったい感覚だった。それは霊障に困った客が頼りにしてくるものとは違う。もっと近くで、肌が触れ合うような、家族や身内の距離である。
 彼女の人生で、ついぞ触れる事が叶わなかった、当たり前に得られる筈の、家族としての信頼関係。例え弟子という立ち位置だとして、報酬の受け渡しが無いうちならば、人と人との契約ではなく無償で成り立つ愛だから。
 益々、善持にくれてやるのは惜しい子供なのだけど、九坂の家ばかりではなく、畠中の家も可愛がってくれるなら、自分だけでは与えられないものも与えてやれる訳である。取り分は減るだろうけど、それは所謂”我欲”である。この際……と思った”さえ”は占有欲に蓋をして、耀に対する自分の気持ちを一段広く取る事にした。
 さえは自分が偏屈である自覚があった。人には視えない世界が視える、そういう理由もあるだろう。人間の大人は嫌いだが、子供はもっと嫌なのだ。なのに耀を”可愛い”と思うのだから、自分のように偏屈ではない普通の人は、もっと彼を”可愛い”と思うだろう、と。
 皆が可愛がってくれるなら、皆で可愛がった方が良い。好きな子供が沢山の人に可愛がって貰えるものも、先に自分が見つけた分だけ誇らしいものなのだ。
 こうして耀は知らぬ所で、人をまた一人、大きくした。
 素直じゃない人間を、柔らかく変えられる。それがどれだけ稀有な才能か、知る者は居ないけど、それが彼の才能であり、存在意義になるのである。
 出されたものは前と同じ餺飥(はくたく)だ。同じ味を作り続けられる才能も”才能”である。食す度に”あぁ、これだ”と心地良い気分になれるのだから、腹が空いているだろうと心配してくれた”さえ”も勿論、この店の店主の事も大事に思えた耀である。
 きつい事を言う”さえ”にも優しくしてくれる所など、弟子として嬉しく思った事もある。強引だし、困った人だし、困らせられる事もあるけど、根は悪くない人なのだ。職業柄、変わり者に見られるだけで、あと千年と半分も生きたら彼女を理解してくれる人が、沢山居るだろうと思うから。
 ただ、この時代には少ないだけである。人が人を迫害するのも見たくない耀だから、善持や飯屋の店主が”さえ”をめげずに構うのを知って、安心した部分が大きいのだろうと思う。
 なんだ……さえさんはそんなに孤独じゃない。数は少ないだろうけど、理解してくれる人は居て、と。
 思えば、一人目の”お師匠様”である雪久は人気があったけど、人気があるだけ敵も多くて、遠巻きにされてみたりして、心から想ってくれる人は少ない人だった。二人目の”お師匠様”である”さえ”は好かれない性格だけど、本質を分かってくれる人には恵まれるようである。
 等量だ、と気付いた耀は、多分、賢い方である。蓋を開けた時、何があっても、理解して側に居てくれる人の数。この世は”まやかし”がごまんとあって、それを増幅させて見せるもの、思い込みや誤解を促すものも無数に存在するのである。けれどそれに”掛からない”、真実の目を所持する人がいて、それらの人は人の傍に、必要な人の傍に、ちゃんと配置されてもいるし、その数は”等量”なのである。
 皆、誤魔化されているだけ。気付かずに居るだけだ。気付く必要のない人も居る。気付かず死ぬ人が殆どだ。意地が悪いとも思うけど、それが人の”力”ともいえる。何に気付いて何を信じていくのか、そうしたものが、人の世の醍醐味で、生きる楽しさなのかも知れない。
 さえが一回り大きくなるように、耀も大きくなっていた。腹の中の神に通じる彼の”神性”なのである。内側に向くものだから誰も気付く余地がなく、近くに控える瑞波にも感じ取れないものである。着実に力を養う耀だが、或いは本人も、何も知らないままでいて、いつも通りの様相だ。
 耀の心がほかほかと温かくなるのを知らず、さえは豪快に飯をかき込み、店主も他の客の料理を作る。
 ご馳走様もそこそこに、早足で去ろうとする”さえ”に続いて、頭を下げた耀はその先で店主の笑顔を受け取った。その顔は善持と似たような顔で、仕方ない奴だけどよろしくな、と。さっさと家に帰ろうとする”さえ”について、親しみを浮かべた顔なのだ。
 耀の顔にも自然と笑みが。笑みは”さえ”の家に着いたら苦笑に変わるけど、相変わらず雑然とした汚部屋を前にして、まぁ、今日の所は黙っておいてあげるか、と。弟子の心を溶かすくらいには、親切な笑みだった。
 さえが帰って来たのを知ると、何処からともなくお客さんが。下働きだから気にするな、と、耀の事を紹介すると、耀は下働きの下男らしく、しれっと”さえ”の部屋の片付けにかかるのだ。
 働いている師匠の顔は見た事のないものもあって、次々とやってくる客の願いも様々だった。最近また肩が痛くなってきて……や、大事なものを無くしてしまった、どの辺にありそうか分かるかい? 等、様々だ。
 都度、さえは除霊をしたり、失せ物探しの為に念を辿ったり。野菜を買ったり物を買ったりよりも高いだろうに、客は文句も言わずにそっと銭を出していく。さえは自分の仕事量が銭より安いと感じたら、ちょっと待ちな、と言い添えて小銭を返す様子も見せた。
 あぁ、これが以前、寺で、説明してくれた”業”の話かな、と。偉いなぁ、さえさん……なんて、横目で見ていた耀である。下男のように”さえ”の部屋のごみを密かに片付けながら、仕事に対する値段の相場を頭に入れていた弟子でもあった。成る程、これはこのくらい、この仕事ならそのくらい。さえも弟子が覚えられるよう、然りげ無く見せていた節もある。
 そうこうしながら過ごしていると、あっという間に日が暮れて、近所の”かか”さん達が差し入れを持って来てくれるのに、袖の下で銭を支払っていた”さえ”を見た。皆、さえが家事をしないのを知っている様であり、ご飯におかずに汁物に、と、被らない差し入れを持ってきた。見ないように見ていた耀は感心した顔をして、あぁ、こうして密かに”さえ”さんは、ご近所さんに銭を分配しているのだろう、と。
 多分、女同士の、へそくりのような物だろう。旦那には知らせずに、貯金をする奥さんなのだ。人柄の良さというより、これは”さえ”の作戦勝ちか。表向きは仲良くする様子を見せないが、裏ではちゃんと取り引きが成立している訳である。きっとご近所さん同士、今日は誰が何を担当するかなど、そちらでも取り引きが成立しているだろうと思うのだ。
 どうして拝み屋という職業で町の中に溶け込んで、忌み嫌われもせずに生活が成り立つか。大いに感心すると共に、小技を見せられた気がした耀だった。女には女の世界があって、きっと男にも、男同士の付き合い方があるのである。
 食事を取りながら、畠中様の”呪い”についてやっと首尾を確認すると、さえは「ふぅん」と言いながら、嬉しそうにもして見えた。耀の顔色が良かった為に、成功したと思っていたらしいのだけど、詳しい話を耳にすると”流石、あたしが見込んだ弟子だね!”と、どこか誇らしそうな雰囲気なのだ。じゃあ九坂様も畠中様も上手く行くだろうね、と。口にした”お師匠様”は得意顔。
 瑞波はまた立ち尽くすように部屋の隅に陣取って、耀をこのような場所に寝かそうとする……と、さえを怖い顔で見ていたが。一晩を耐え抜くと清々した顔をして、さぁ、寺に帰りましょう、と澄まし顔に戻って見えた。

「昨日の飯の残りだよ、持ってきな」
「良いんですか? さえさんの分が無くなってしまうのでは」
「あたしは爺の店に食いに行くから。あんただよ。足りるかい? 爺にもっと作って貰おうかね……?」

 腰を浮かしかけた”さえ”を制して、耀は瑞波の為に、早々に発つ流れに変えていく。

「大丈夫です、善持さんへのお土産にするのと合わせて、その辺の山菜を採って帰りますから」

 そうかい? と不安そうな顔を浮かべた”さえ”に対して、笠と旅装を整えて、木刀を腰に差した耀だった。

「また来ます。その時はよろしくお願いします」

 良い顔で挨拶をすると、さえも渋々。

「分かったよ。土砂降りになったら戻ってきて良いからね?」

 と。
 全く、この人も蓋を開けると大分過保護な人だな、と。その落差を面白く感じた耀はそのまま、そうします、と礼を述べて町を出た。
 顔を上げれば相変わらず鮮やかな季節である。

『それじゃあ、帰ろうか』

 少し後ろを歩く彼に対して。
 耀は大人びた顔を向け、瑞波に微笑んだ。

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