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君と異界の空に落つ2 第38話

 エェイ! エイ! エイ! と、気合の入った声が響く。
 天井の”むくり”で、音がよく響く造りであるのだ。
 一際大きな体格の男が木刀を握って素振りをし、伸びた背で綺麗に進むので、型のようなものなのだろう、と目で追った耀だった。
 席を外した若が、見慣れぬ子供を連れて来たのだ。門弟達も興味津々と耀を見て、この道場で一番初めに習う師範の元へ行き、彼が教えられずとも頭を下げた様子を見遣る。
 随分と身分の良い者が習いにきたものだ。一度は思い、着ている着物の”褪せ”を見る。汚らしい訳では無いが、裕福とは言い難い。それで、どういう方向から頼まれたのかと気になった。
 習いたいと言われれば、誰にでも門戸を開く九坂家だ。過去、此処で力をつけて都へ行った者も居る。その後、貴族に気に入られ、下っ端だが警護の兵として雇われたとも聞いている。いくらかの銭か米を納めれば、字や弓も教えてくれるのだ。そちらは、つきっきりで指導して貰える為に、銭でも米でもむしろ安いものである。貴族と付き合いたいだとか、勉強したいとか、そういう物好きが居るかどうかは別なだけ。
 安いもの、誰にでも、そうは言っても弱ければ続かない。体力然り、心の面においても。此の地を守りたい精神力で、武芸を磨く日々である。さて、あの童子はどこまでやれるのか。気が早い”先輩方”は耀を見ながら考えた。
 最初の師範は九坂家の先代だ。齢七十の爺様なれど、太刀筋は半端者より今でも通る。歳を召されて昔より柔和な顔をするようになったが、礼儀作法には厳しく、徹底的に躾けられる。
 若は爺様に童子を預けて、自分の鍛錬を再開するようだ。爺様に預けられた童子は簡単な説明を聞いてから、この道場での礼を身につける為、入り口に戻り、挨拶の教えを受けた。

「宜しくお願いします!」

 直ぐに飛んできた大声だ。
 恥ずかしがる者も多いが、これは比較的出来る者が多い。それでも印象が良い事に変わりはない。やる気がある者になら、教える方も楽しいからだ。
 耀も耀で健全な道場の空気を感じ、期待に胸が膨らんだ。先輩方の練習風景は、規律の見えるものである。無法者は見当たらず、只の暴力を推進している気配も無い。奥には弓用の的があり、習えそうだと目敏くなった。
 確か、異界の此の時代、武士というものになろうと思ったら、馬術と弓術が必要なのではなかったか。意外と剣術では無いのだな、と、思ったから記憶に刻まれていた。馬もなぁ。乗れればなぁ、と思いこそすれ、まずは太刀の練習をしたい、と戻った耀だった。
 入り口を入って直ぐに、道場の番付風に、門弟の名前も連ねてあった。挨拶をしたついでに豊輝の名を目が拾う。あぁ、こう書くのかと思った次に、爺様、と紹介された老輩と目が合った。

「字を習いたいという者には、銭か米で教える事にしている。もしその気が起きたなら、いつでも言いなさい」
「はい。分からない字があった時、教えて貰いに参ります」
「うん? 少しは読めるのか?」
「少しでありますが。知らぬ字も多いと思いますので、頼りにさせて頂きます」

 そうか、と短く返した人は、後で豊輝に子供の出自を聞こうと考えた。
 姿勢が良い、声も張りがある。体も歳の割には立派で、着物の裾から覗く足も、それなりに鍛えられたもの、筋肉がついている。振らせる木刀を選ぶ為、色々持たせてみたけれど、重いものが好みらしくてそれにも少し驚いた。素振りの型を教えながら、何度か振らせてみたけれど、数回程度なら、ぶれずに振れるようである。腕の力を見る為に力瘤を作らせて、着物を捲って見てみれば、こちらも程よい筋肉だ。農村部の子供にしては体が大きくて、逆に裕福な家の子にしてみては、筋力があるようだ。これで文字も読めるとなると、生い立ちが気になる子供だからだ。
 豊輝の爺様は、一先ずそれを横に置き、他に剣を習いに来る子供と同じ、道場の体験をさせてやる。日々の素振りが基本になるから、先ずは素振りのやり方だ。木刀の持ち方、振りかぶり方、足の使い方、視線の行方まで。実は視線が動いたら相手に打つ事がばれてしまうので、打突を隠す為にそこから教え込む。一度で全てが身に付くなど、爺様も誰も思っていないが、最初に教える事が大切で、二度目三度目で”初めに言った事”を、思い出させる為に仕込むのだ。次、また習いに来るとは知れないが、誰にでも一度はただで体験させてやる。時間が許す限り教えてやるけれど、耀は意気があるようでよく耳を傾けてくれるので、気を良くした爺様も少しのコツを、都度、惜しみなく教えてやった。
 その後ろに控える瑞波も、初めの耀と同じ様。門弟達の発する声に心地良いものを感じるらしく、此の場に留まる事を好ましく感じたようだ。神職が打つ”拍”のように、魂の籠った声には破魔の力が宿るから。瑞波は祓えの神、穢れを祓ったり浄化の類を得意とするが、破魔にも近しい側面があり、心地良く感じるのは当然と言えるだろうか。
 無意識に耀が感じた”破魔”に関しては、彼が穢れに穢れた神を呑み込んだ時、元々、破魔を得意としていた此の国の能力者、それらの魂が多くその神に呑まれていたのも、もしかしたら、あるのかも知れなかった。そして、近い所では綺世(あやせ)が教えてくれた、いずれ破魔を得意とするようになるだろう小坊主も。
 皆、今は静かに眠る。穢れた神と共々に。もっと大きな存在である、未来の神、耀の中に。耀が瑞波と自分の力で自らを浄化していく中で、少しずつ少しずつ彼らも浄化され、離れた魄と同化するまで耀の力と成る事を、交わされない約束なれど約束している最中だった。
 耀も瑞波も穢れた神も、過去、呑み込まれた者達も、知らぬ間に”約束”していた事である。
 九坂家での体験は、言うまでもなく良い経験となる。教えてくれた爺様は足を前後に動かしながら正面を打つ素振りを百、踏み込みから正面を打ち素早く足を戻してくり返す、素振りの方を百ほど、ぶれずに出来るようになったなら、一度見せに来なさいと言ってくれた。
 木刀は沢山あるのでくれると言う。豊輝がまた新しいものを彫り出すから良いのだ、と。それもある種の修行であるので、棒の一本くらい構わん、らしい。
 そうして約束の申三刻までみっちりと教えて貰ったら、手に豆が出来ていて少し感動した耀だった。剣の握り方も色々で、教える場所によって違うらしい。まずは九坂流を身につけようと思った耀だ。それを忘れないように出来た”まめ”に指を触れ、木刀のお礼を言って送って貰う。
 畠中の家に着いたなら、送ってくれた人にもお礼を。小柄な体にしてはやけに圧がある人で、去り際、皆に挨拶する時、一目置かれている風だった。隣を静かに歩いていても、何処か振る舞いが違って見えて、隙が無いと言えば良いのか、そんな気配なのである。耀がお礼を伝えても黙礼をするばかり。口数が多い人では無いのかも知れないな、と、ある種の憧れを持ちながら後ろ姿を眺めた耀だ。
 腰帯に木刀を差した彼を見ると、畠中の御当主は「良かったか?」と聞いてきた。良かったです、尊敬出来そうな人が多くて、私もあぁなりたいと憧れを持てました。道場に入る所からきちんと挨拶をしましたし、基本の素振りを習ってきましたが、想像以上に奥が深くて、と。自分の身を守れるくらいは身に付けたい、と伝えたら、桜媛の父親は少し考え込んでから、それならうちにも習いに来なさい、と呟いた。

「え?」
「あちらは剣術、うちは体術を身に付ける。元は古舞踏、天照様が隠れられた折に、天鈿女(あめのうずめ)様が舞ったのは知っているだろうか。鈿女様に限らずに、そも、武道の起りというのは、舞から始まるものであるとする流れを保つ家がある。我が家はそれで、武道とは舞であり、古来の礼法と定めて技を磨く。難所においては神の力を借りる為、武器を持ち神々の前で舞うという────まぁ、そういう小難しい話は耀殿には要らぬだろうが、身を守りたいのであるならばどうだろう? 九坂の家に通うように、我が家にも通いに来ぬか?」

 熱烈な勧誘を受けたかのような耀だった。
 ぴくりと反応したような瑞波の顔には気付かぬが、願ってもない申し出に乗らない訳がない。

「畠中様さえ良いとおっしゃって下さるのなら、是非通わせて頂きとう御座います」

 きっちりと頭を下げて乞い願う童子を見ると、矢張り自分の目に狂いは無かった、と、考えた男である。娘が子を成し、その子に継承させるまで、少し時間が空くので自らの腕が鈍らないか、心配する所もあったのだ。
 使わせて貰うと言うにはあんまりだけど、相手が耀なら、そして互いの為になるなら、教える事も悪くはないと思った故の提案だ。
 頭を戻した耀の顔にはくっきりとした意志があり、本心で、奥底から、技を学びたい意気が読み取れた。真に良い男児(おのこ)だと彼は感じ、もう一晩泊らせて初手を教えようと考えた。

「ついでにどうだろう? いくらか卜占も習っていかぬか?」
「父上……誘い過ぎです……」

 耀殿に負担を作らせては嫌われてしまいますよ、と。
 いつになっても戸口に居るので、呆れて迎えに来た桜媛だ。
 むう? と呆れた顔の娘を見遣り、不安顔で耀を見たその人だった。耀は少し畠中の家の住人の事が分かった気がした。卜占も、教えて貰えるのなら、ありがたいと思える知識である。

「私が身に付けられそうなもので、畠中様の損にならないものなら、是非教えて頂きとう御座います」

 聞いて、ぱっと顔を明るくした男である。
 自然と威厳のある顔を作り直すと、耀に向かって鷹揚に頷いた。

「門外不出の書の事は流石に教えてやれぬが、簡単な占いならばいくらか伝授してやろう。紙をやるから、まずは書き写して行きなさい。読み書きは出来ただろうか?」
「はい、少しばかりなら」
「小坊主をやっていたと言っていたか。経文くらいの文字が読めれば、まず問題はないだろう」

 私も隣で見てやるし、満足そうに言う人を、矢張り呆れた顔をして眺めていた桜媛だった。
 食事の準備が整った事を知らせに来た女房が、楽しそうな殿を見て、呆れた顔のお嬢様を見た。それで色々と察したらしいが、年季の長い女房だ。夕餉で御座います、と彼等を誘(いざな)って、話し足りない殿共々を素早く席につけたのだ。

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