君と異界の空に落つ2 第10話
大切な事を語らうように、昔話をするように。瑞波からの説明で、耀は彼のこの国での立ち位置を把握する。
社を持たぬ祓えの神。
とはいえ、神々の世において、瑞波はそれなりに有名な神らしい。
力もそれなり、大神には負けるだろうが、準じるくらいの力はある。弱い神ならねじ伏せられるし、虫も一拍で消し去れる。動物も同じ。圧を掛ければ遠ざけられる。
女神にモテるというよりは、男神にモテる方。
それが嫌で瑞波は神を、避けるように生きている。
友神は凪彦のみ。顔見知りは居るそうだけど、さして仲が良いという訳ではないようだ。頼れるのも、信を置けるのも、凪彦だけだと思えば良い。
その凪彦はあれ以来、何処かへ行って行方不明だ。
彼の社は、彼が異界の神を封じるという任に就いた時、畳まれたそうなので、今も残るのか不明だそうだ。戻ったという感じもしないから、行きたい所へ飛んだのでは、と。それだけなら感じられる”縁”を瑞波は持つらしい。
あれだけの神でありながら、凪彦は気配を綺麗に消せる。
ある意味、血を吸いすぎた大太刀が、彼を彼たらしめる”器”であったらしい。故に、それを手放した事により、より気配が追えなくなったのでは、と。瑞波は瑞波なりに考えるそうである。
それは俺が持っていても良いのか? と、心配した耀の顔だ。
彼は凪彦から大太刀を譲り受けた。瑞波と末長く仲良くな、と。餞別の品だった印象だ。今は錫杖諸々と、瑞波に持って貰っているけれど、折角貰ったものならば使えるようにならないと。そのくらいの意識はあるようだ。
体力的な部分も然り。最低でも瑞波の背に並ぶまでこの世に生きていたいけど、その次に肉体的な強さが欲しくて、贅沢を言うなら武術も身につけたい。山の中なら瑞波の勘で山賊からは逃げられるけど、町に降りた時、何かの拍子に争いに巻き込まれないとも限らない。
あの時の陽岬の眼差しが、耀の気持ちを引き締める。
御仏がその身に代えて仏の世に連れ去ったのだ。これ以上、現世(うつしよ)で、業を増やしてしまわぬように。難しい人生だったかもしれない。貴方は傷付き過ぎた。良いのです、もう休みなさい、と許された。
ただそれを見ただけで、全てを理解するのは難しい。けれど、少なくとも耀の目に、残酷ではない慈愛が見えた。御仏はその身に代えて、彼の死を許したように思う。そうでなければあれで済まされない、生き地獄が待っていただろうから。
ある意味、陽岬の業と命を使い、耀は道理を説かれた訳だ。自分は御仏に連なる存在(もの)ではないのだろうが、彼らは平等に皆を見守り、望めば力も貸してくれる。そうした深い慈愛と知慧を象徴するものであり、だからこそ延々と信仰されてきたのである。
但し、その慈愛や加護に頼り切ってはいけないと思う。それは神である瑞波にも同じ。あの寺に世話になる前に抱いた気持ち、まずは自分の足で立つのが大切だと思うのだ。
少なくとも耀は今生、瑞波の背を追い越したい。今はだらだらと山に守られ、瑞波に守られているけれど。いつかは瑞波を守ってやりたい。そして並び立ちたい、と。そんな願望もあるからだ。
ならば自分の肉体は自分で守れる方がよく、あちらの存在になった時、凪彦から譲り受けた太刀も使えるようになるのが理想である。陽岬の視線を忘れないのは、日が浅いからというよりは、戒めにしたいと思うから。
山の中で幸せそうな瑞波を眺めつつ、耀は黙々と考えた。
それ程高さの無い山を一つ越え、二つ越え、山の空気が少し変わって、食べ物が増えていく。同じ山だと思っても、全然別の景色に見えて、耀は足元を見下ろしながら”不思議”と思ったようだ。機嫌の良さそうな瑞波は何も言わなかったから、耀は”所変われば、か”と、その日は豊富な山菜を食べた。
夜も心なしか暖かく、居心地が良いのである。程よく肥えた月が遠くに見える、頂きを振り仰ぎ、気が付いた。
『瑞波……もしかしてこの山、温泉があったりしない?』
『おんせん……?』
『お湯が出る泉。湯治場なら通じるかな?』
『あぁ。えっと……探してみます』
あ。そこまでじゃなかった……と、呼び止める前に瑞波は動く。すうっと暗闇の中へ消えていき、ぱちぱちと爆ぜる焚き火の前で、止めようとした耀の手がそうっと降りた。
それなりに深い山に来たから山賊も居ないとの事で、数日前から小さな焚き火を楽しんでいた二人だった。冬は汗をかきにくいから、それほど臭くはならないが、温泉があるのなら入りたいし着物も洗いたい。そんな耀の願いが届いたのか知れないが、火の前でうとうとし始めた時、戻った瑞波が嬉しそうに言う。
『耀! 耀! 凄いですね! ありましたよ、温泉が。暫く歩きますが、あちらの方に』
『え。本当に?』
ぱっと目を覚まして、瑞波が指差す方を見る。
細い指が山の背の奥を指すので、それなりに歩かなければならないだろうが、本当にあるなら有り難い。わざわざ探してくれて有り難う、と伝えると、瑞波は恥じらいながらはにかんで、しゃなりと大人しく鎮座した。ただ其処に居るだけなのに聖然と見えるので、拝みたい気持ちになった耀だった。
南に来た為に、冬を迎えても、雪の白を被らない地面だが、北より落葉する木々が多く、枯(か)ら寂しい景色が広がる深山である。無い訳ではないけれど、緑も少なくて、地面は土色に占められる。そこに薄ぼんやりと真っ白な瑞波の姿があると、あぁ、神様なんだなと思う、というか……再確認するような意識が浮かぶ。
其処だけはこの世に在ってこの世に在らず。季節の介入を受けない超然とした存在が、静かに腰を下ろすのみ。美しい羽織もの。美しい顔(かんばせ)と。矢張り、彼がこの世のものとは”違う”のが見て取れる。
じっと見つめてしまった所為か。瑞波が耀に向かって形の良い口を開く。
『何ですか?』
首を傾げる瑞波も愛らしい。
こんなに綺麗な存在なのに、汚れを受け付けない顔をして、その言動、所作の合間に、耀が手を出せる隙を作る。
彼が男神にモテたのが、何となく分かった耀だった。上品な所作の合間に、付け入る隙を見せるから。それも完全に無意識だ。意識してやるのとは違い、嫌らしさの部分が無い。それでいて本人は完璧なつもりでいる。誰にも隙は見せません、という、きりっとした顔をして、その実、隙だらけであるのだから……堪らん、というやつだ。
よくぞ無事だったな……と、呆れた気持ちも湧いてくる。それが瑞波の願いだったから、聞き届けられたのだろうと思う。神をも生かすこの国の、総意という名の見えない愛に。神とて愛される。それを、御仏に教えて貰った耀だった。
さて、そんな姿を見せる瑞波が可愛かったから、耀の心にむくむくと悪戯心が湧いてくる。どうやって揶揄ってやろうかと考えて、『今日は隣で寝てくれない?』と大きく出た耀だった。
『腕枕させてよ』
『うでまくら?』
奈良か平安か鎌倉の世に、跨るような時代である。腕枕……そうか、まだ、この国の文化に無いのか、と。拍子抜けする気持ちもありつつ、ちょいちょいと瑞波を誘う。
焚き火はそのまま自然と消えるだろうから、そちらに背を向けて、此処に来て、と。自分は葛篭に頭を乗せて、堂々と腕を伸ばした耀だった。
『た、手枕(たまくら)ですか……っ?』
『たまくら? へぇ、そう言うのか』
成る程、と冷静な耀を前にして、あたふたしたような瑞波である。耀が譲らぬ様子を見せれば、おずおずと近づいて、最後の抵抗を。
『あっ……あの、でも、その……っ』
『良いから。ほら早く』
偶にこうして強引に勧めてくる部分があるのを、素直に”困る”と考えながら、またおずおずと体を伏せて、叶えようとする瑞波である。
ちょ……どんだけ従順なの……? と、呆れた気持ちもある耀だ。自分でお願いしたくせに、客観的に突っ込むものだから。内心に”瑞波は従順”と文字を刻んでいきながら、他の奴には従わぬよう教育しないとな、とも。
ただ子供が葛篭を枕に腕を伸ばしているだけだけど、二人が見ている世界では若く甘いものが漂う。瑞波の体に比べたら耀は本当に小さいが、大人に腕を貸す様は歪というよりも、妙な漢らしさが滲むのだ。
触れられないけれど、耀は瑞波に触れていく。前髪の生え際に手を這わせると、愛おしむように額に口付けた。体温も重さも感じられないが、此処に存在する事を信じるように。
慈しみは女性性が混ざらなければ現れない。耀は具合良くそれらが合わさって、瑞波の”理想”を叶えてくれる。遠慮して口に出せない瑞波には、強引なのに優しいという堪らない人柄で、今までの孤独など吹き飛んでしまう位には、愛しい人の子、未来の旦那様である。
瑞波は人の子のように、耀を”あなた”と呼びたくて、もし彼が社を得た時は、洒落て”殿”などともお呼びしてみたいと思う。自分も”お方様”と呼ばれてみたいけど、其処までは望むまい、と胸にしまった。
耀の方は恥じらう瑞波に満足すると、すうっと自然に寝入ったようだ。どうしてこの人はこんなにも無防備に……と、弱い人の子の体を心配する瑞波であった。焚き火が消えた頃、耀の師匠の袖を引くと、彼の体に掛けてやる。
透き通ってしまった彼の師匠ではないけれど、一度、瑞波が持ったものには縁が結ばれるようである。ある意味、それは耀からの奉納品なので、影響を及ぼす事が容易い訳である。
世界は重なるものの、影響を及ぼしにくい物体へ、繋がる事が出来るからなのだろう。耀も瑞波もそんな事は考えないが、出来る事を自然とやっていた。二人は互いを思い遣っているだけだから、出来るならやるし、出来ないならやらないし、至極単純なものなのだ。
瑞波は寝入った耀の隣で、自分が視ていた未来の伴侶を想う。この国で最も美しいとされる黒髪の、端正な男神の姿である。長髪の凪彦とは似つかぬけれど、雰囲気は似ていたと思うのだ。当然、瑞波は耀の方が好きだけど、二人が並んだ姿は女神を並ばせるより華やかだ。遠くから見るようで、そんな二人の面差しを、誰より”うっとり”と眺めていた彼である。遠くで静かにしていた筈なのに、話が終わると耀が真っ直ぐ自分の方に来て、お待たせ、瑞波、と笑うのだ。
全体的に面影がある……と微笑して夜を明かす。瑞波の未来の伴侶は、まだ小さい子供だけれど、いつか太い腕を持ち、簡単に自分の事を抱き隠してしまうのだ。
それまでは私が貴方を抱きましょう、と。透き通る腕を回して小さい耀を抱きしめる。真っ白な神の腕は、慈しみを抱いたのだろう。優しく、懐の深い、私の幽玄(ゆうげん)……と。永遠の玄(くろ)を抱いたのだ。
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