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君と異界の空に落つ2 第35話

「客?」
「はい。知り合いです。お疲れのようでしたので、お水を差し上げようと、私が中へ招いていたのです」
「…………」

 桜媛が父親に伝えると、父親は彼女の手に乗った菓子の皿を見たようだ。知り合いの子供に菓子まで出そうとしたようで、そんなに仲が良いのかと不思議にも思ったが。
 つ、と視線を戻した先で、大人しく伏せる子供を見ると、行儀は悪いが悪いなりに、無礼くらいは知るらしい、と。

「何をしていたと言ったか」

 老齢ながら伸びた背筋で、厳しく耀に問いかけた父親だ。
 耀は、まずいぞ、と考えながら、もう一度「はい。こちらの神様にお声を掛けて頂きまして、御言葉を賜っておりました」と。
 声の質からお嬢様の父親は、小細工が効くような人には思えなかった。それ程、覇気があったと表現すれば良いのだろうか。細身で攻撃的な部分は見えないが、佇まいが玄人のそれなのだ。
 特殊な武道を習う、と、お嬢様は言っただろうか。体の内側の筋力が、しっかりとした人である。まずい、と思った顔を見せないように、ひたすら額を床につけ、落ち着こうとした耀だった。

「こちらの神……とは……」

 聞かれて誰も答えない。
 自分に問われているのだろう、と、感じたけれどこれにも困る。
 瑞波も名前は言わなかったし、師匠に書記やら何やらも、勉強させられていた身としても、ヒントも何も無いのでは。
 仕方ないかと耀は思って、彼が答えてくれた通りに「名を申し上げるのも、恐ろしい方です」と。

「体が動かなくなる程の神威をお持ちの神様で、直ぐに下がれば良かったのですが、結果としてこのようなご無礼を……」

 申し訳ありません、と、耀はひたすらに謝罪をし、それを演技だと思った桜媛の方が、この辺りで助け舟を出せば良ろしいので御座いますね、と。全く無意識に善意を持って、父親に対して語るのだ。

「この間お世話になった方の、お弟子さんなのですよ」

 と。
 ちら、と振り向いたらしい父親だ。この間、世話になった、弟子、とくれば”拝み屋”か。勿論、この人物は拝み屋などは信じていない。家には自分達の先祖が脈々と積み重ねてきた卜占(もの)がある。延々と祀る神は居るので事象を否定はしないもの、拝み屋という不誠実さが付きまとうものに対して、抱いている感情は”負”しか無い。
 どうしてそのようなものを信じているのか娘の情緒を疑うが、拝み屋に弟子入りさせられた子供を”救う”と思えば、暫し相対しても良い、相対すべきなのだろう、と、大人を出した人だった。
 話の中から矛盾点を探し出し、目を覚させてやらねば、と。
 男は娘の後ろに控える女房達に仕事を渡し、耀を見ていた女房と、娘を連れて床へ上がった。耀が草履を脱いだのと同じ縁側から入り込み、一礼をして部屋へ入ると奥の方へ移動した。自分の頭の横を通り過ぎる足を感じて、はらはらとしていた耀だった。
 神棚を右手にし、正座をした父親だ。女房は縁側に、桜媛は父親の少し後ろに配される。そこで耀に声が掛かって向き合うように指示された。左手に神棚が向くように、座らされた彼だった。

「顔を上げなさい」
「はい」

 緊張の瞬間だ。
 向き合った父親は、白髪の多い頭であった。
 そういえばお嬢様が、自分は遅くに授かった子、と。目と鼻の横の皺を見て、成る程、と感じた耀だった。
 顔つきは面長で、樹貴(たつき)のような覇気がある。浄提寺の大僧正や他の僧正達とは違い、神職に就いている人等の顔は、独特の覇気がある。
 そして、床に座っていても姿勢が良い。自ずと正されるように、耀の背も伸びていく。元々、良い姿勢を心掛けている耀だから、辛くは無いけれど、圧は中々のものである。
 内心が弱っている事を顔には出さないが、そんな耀の印象は相手に取って、そう悪いものでも無かったらしい。桜媛の父親から見ても、彼はひ弱な男児ではなく、どうして拝み屋の弟子などやっているのか、皆目見当が付かなかった程だから。
 目鼻立ちも整っていて、負になりそうな観相もなく、努力家で素直そうな男児に思えた。多少”視える”からといって、拝み屋の道なんぞに進むか? と。勿体無い、という言葉が一番に頭に浮かび、そういう意味でも目を覚まさせてやらねば、と思った人だ。

「起きているのに金縛りにあったのか?」

 耀は「恐らく」と素直に返し、私も初めての事に御座います、と。

「それで、我が家が祀る神を見た」
「はい。尊い方で御座います。出来れば頂いた御言葉を、お伝えしたいと思うのですが……」

 言いかけて遠慮がちな様子を見せた、童子を見遣って、何ぞ? と返す。端から信じていないその人だから、内容に重みなど無いと思い込んでいるからだ。

「家長である貴方様への御言葉と思うのですが……まずはご気分を害さずに聞いて頂けますでしょうか?」

 子供の言う事に目くじらを立てる程、若くない自負のある男である。よい、と頷き返してみれば、子供も安心したようだ。
 耀はと言えば初めに自分が画策したもの、クサカ様とお嬢様をオカルトに託(かこつ)けて、それらしくくっ付けてしまおうとしたものが、急に偉い神様が降りてきて、そちらから頼まれてしまうという……不測の事態に置かれたようで座りが悪いというか。
 しかも、目の前の御仁は”興味が無い人”なのである。誰の目にも明らかに耀の話になど興味が無い。その上、齟齬があったら問い詰めてくる気満々なのだ。そのくらいの人の機微、分からいでかと彼は思う。
 緊張もするけれど、嫌だな、という気持ちが多い。それは耀が拝み屋という仕事を理解する過程のもので、皆が知らぬ事、分からぬ事を、理解する気のない人達に言わねばならない時がある、という、仕事の負の側面に漸く触れた時だった。
 ため息と分からぬように小さな息を吐いてから、祀る神に託された伝言を伝えにかかる。

「始めから不躾な伝言になりますが、お嬢様に早く子を成させろ、と」

 むん、と閉じた口を、横に結び直した殿である。

「怒らずに聞いて下さい。折角良い男と繋いでやったのだから、今年の神議りまで決めよ、と仰せです。もし纏まらないのなら、都の男と縁を持たせる、と。その場合は今の男より劣る男である上に、執着の激しい者になるので、娘と孫には会えぬと思えよ、と」

 絶句していそうな男の側の娘だったが、耀の息継ぎを見て、娘の親の方は、続きがあると察したようだ。

「もし近くの家でも嫁に出すのが惜しいなら、二郎君を迎え入れよ、とおっしゃっておりました。その場合、二郎君は必ずこの家に、戻るように仕向けてやるから、と。お嬢様の事は神様が観ておられるので、安産を司る女神を遣わし、男(おのこ)の四人や五人、観ていてやる……とも賜りました」
「ほう」
「信じられぬようならばボクセンに示してやるから、と」

 卜占(ぼくせん)の漢字を知らぬ耀だったから、音をなぞるしか出来ないが、その一言で殿には通じたらしい。

「くれぐれも血を絶やすでないぞ、と仰せです」

 頭を下げた耀を見て、これで最後、と悟った男だ。
 まず文句を言う前に、言われた通り”占い”をする事にした。女房に視線をやってそちらを下がらせる。次に娘に視線をやると、娘も席を立ち、父親と耀ばかりが残された。
 男は神棚の下にある扉を引いて、中から文机(ふづくえ)と道具箱を取り出した。道具箱の中には竹串やら貝やらと、色の異なる小石に札がある。それらの中から竹串を取り出して、何やら念じた後に所作の結果を見たようだ。

「…………」

 耀はそれを見ていたが、どう判断したのか分からない。
 男は竹串を横にやり、次に貝を取り出した。そちらも何やら念じた後に所作の結果を見たようで、視線を下にやったまま暫く止まって見えた。
 ここで戻ったお嬢様だ。手には大きな箱を抱えて、父親が行った何らかの占いの、結果らしい竹串と貝に目を向ける。
 まぁ、と思った顔をしたから何かの結果が出たのだろうが、占いなどには疎い耀だから、何が知れたのか分からない。
 荷物を置いた桜媛の視線を察知して、父親は次に小石を取った。一緒に使うらしい甲羅のようなものも手に取って、今度は何も念じずに占いをしたようだ。

「…………」
「…………」
「…………」

 男もお嬢様も何も口にしないから、耀が口に出来る筈もなく黙って見守るのみである。ここから少しだけ投げやりになった雰囲気で、札を取った男はやや乱暴に、札の山から一枚抜き出した。その結果も分からなかったが、二人が息を呑むように、黙り込んだ気配が漂ったから。
 最後は娘が持ってきた箱を取り、入っていた本の中身に目を通した人である。ちらりと見えた所によると、アラビア数字のようにも見える。数字や日付に関する託宣のようであり、急に手の力が抜けて取り落とす瞬間を見た耀だった。
 その人が顔を上げた時、対面の耀は悟った。
 きっとそれら全ての”結果”が、神様が言う通りになったのだ、と。

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