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息子の強敵、作文……(*´∇`*)

 作文……それは新手の拷問……
 息子の感覚としては多分、そんな感じだろうと思う。
 趣味で小説を書いている母ちゃん。
 子供の頃から作文は難しいという感覚はなく、長くしようと思えば長くできたし、短くしようと思えば短くまとめられていた。
 あらゆる才能を持つ人たちが、人気が出るかどうかはさておき、呼吸をするように黙々と続けていたりする創作活動。
 それが私の場合は「作文」。
 多分。
 多分だよ。
 いまだに自分の才能の最たるものが何なのか分からんもん。
 あらゆる事がどーでもいい、って流せる事が最大の才能かもしれんもん。
 人って総合力だと思うんだけど、それすら当たりか分からんもん。
 売れてるものが素晴らしいとか思った事も無い人だから、売れる=素晴らしい人とか、才能の塊とか思わんもん。
 書籍化の話を貰った時も、こんなものが?? と思っていたから捨てるのに躊躇なかったもん。
 本当に才能のある人って「売れない」と思っている人だから、売れる=大衆の感覚に最もフォーカスを合わせるのが上手い人、という認識かなと思ってる。
 だから小話を挟むとしたら、あらゆる才能がある人へ、売れなくても気にすんな、とエールを送るくらいかな。
 売れたいなら作品レベルを何段か下げるしかないと思う。
 それができるなら売れると思う。
 どちら側の人が読んでも嫌な事を書くだろう? 仕方ない。それが私。どこまで行ってもフェアでしか居られない業を持つ。
 ま、その辺の話はおしまいにして。
 息子の強敵、作文、の事。
 ちょっと思うところがあったので、書いていこうと思うです。


1 作文が苦手な子供って……

 自分の意見があんまない。
 伝えたい事とかもぶっちゃけ、ない。
 私は悪い事ではないと思っている。
 他の人に付き合うような生き方をする人だと思うから。
 ある意味、心が広い人で、誰にでも合わせられる人だと思う。
 それをよしとするかどうか……どうしてもガツガツ生きてる人のが発言力が強いから、自分の意思を持てぇぇぇ!!! みたいな、煩いやつ……おっとスマン。私は「煩ぇ、その人の好きにさせろ」って思う方だから許して欲しいんだけど、まぁそういう人らの発言力がある社会だと、どうしても「駄目なやつ」って思われがちで気の毒だとは思う。
 社交性の民でもあると思うんだけど……だからこそ日和見的というか、絶対ココ!! みたいな縛られる所属がない。
 要は「何でもいい」。
 何でもいいから意見がない。
 何でもいいから「考えを述べよ」とか言われても「困る……」って感じ。
 作文が苦手、の前に、まずこういうマインドがある。
 私の息子の場合ね? 他のパターンも当然あると思う。
 だから何を書けばいいのか本当に分からない。
 求められている事もぶっちゃけ分からない。
 何でもいいから。
 題目を指定されたとしても、その題目に興味がないともっと意味が分からない。
 これについて書けって言われてもなぁ……って。
 でも学生だから仕方ない。
 書かなきゃいけない。
 なぜならそれが「宿題」だから(笑


2 作文が苦手な子供に作文を書かせる方法

 なんだかんだマインドの話をしても、結局は作文を書かなきゃいけない。
 それは将来の「報告書」の練習であり、職種によっては「表現力」の基礎力で、企画、営業を成功させ、契約を取るための、人への「伝え方」の練習になるからだ。
 少し前に文字が読めない人たち、ディスレクシアが話題になったが、世の中には逆に「文字じゃないと分からない人たち」も存在している。
 文字にされないと頭に入らない人たち、だ。
 それを何というのか分類を知らぬので、そういうのは専門家に丸投げするが、文字で説明する事(口頭説明ではなくチラシを渡すだけ)で理解してもらいやすい状況にもなる事があろうと思う。
 だから作文って割と大事だと思うんだけど、小学生とか中学生の時分の自分でも、考えた事が無かったというか、いまいち結びつかない事だった。
 大人になった今だから「割と大事(すごく大事ではない)」と思うけど、作文嫌だ〜、俺には無理〜、とか言っている我が子を見ると、それでもやらねばならぬのだ、と心を鬼にしなきゃいけない感じ。
 とはいえ、私も面倒である。
 自分の興味以外の文章を書けと言われると、めちゃめちゃ萎える。
 だから表題を聞いて、流れを設定し、彼の気持ちと文字を引き出して、それっぽく仕上げる作業である。
 ぶっちゃけ作文もテンプレートだと思ってる。
 それは小説にも使えるもので、短編だろうが長編だろうが基本は変わらないと思ってる。
 テンプレートを知ってるかどうか、使えるかどうかだけの差だと考える。
 古代からの人類の叡智、起承転結、ただそれだけだが、伏線の置き方、引っ張り方、こちらも「ただそれだけ」のスキルであると考える。
 何も難しい事はなく、どこに配置するかの差。
 つまり、誰でも身につければ使える技。
 絶望するまでもない。
 それは誰でも使える書式だからだ。
 とまぁ、長々と説明したが、以下にまとめる。


 作文の表題を聞く: Aとする
 ↓
 Aについて何を思うのかを会話で引き出す
 (連想されるものが多ければ多いほど良い)
 ↓
 Aについての導入部分と、結論部分をその中から拾う
 ↓
 残りの「Aについて連想されたもの」を近い順で紐づけてやる
 (話の流れとして違和感がないように、話題が飛び石にならないように間を埋めてやる)
 ↓
 Aの導入、間の話題を繋ぎ、結論部分に誘導する
 (本人が納得いくように、話題が前後する事くらいは許してやること)
 ↓
 出来上がり


 終わり。
 終わりである。
 なんて簡単な作業だろうか(笑
 あとは「てにをは」の間違いを正してやって、接続詞が正しく使われているかを見てやるだけだ。
 作文は口頭言語ではないため、口語調で書くとよろしくない。
 それから。

 〜だ。
 〜だった。
 〜と思う。

 と、

 〜です。
 〜でした。
 〜と思います。

 を混ぜないように気をつけるだけ。
 どっちを使ったってかまやしないと思っているが、統一するのとしないのは全く違う、とは思う。
 だから混ざっていたら訂正してやるだけである。気をつけるのはここだけだよ、と。今書いているような「うんちく」を持ち出すと、作文が苦手な子供はもっと作文が嫌いになるから。
 伝え方は簡潔に。
 話が長い大人は嫌われる(笑


3 つまりのまとめ

 上で書いたことのまとめに入る。
 作文が嫌いな子供に作文を書かせる方法。
 1、引き出す。2、最初と最後を決める。3、違和感ないように残った話題を繋いでやる。

 こういう話の流れにしようか、ここの接続詞はこっちの方が自然だよ、終わり方はこっちに統一すると綺麗だよ、だけ。

 まさか入賞作品を作ろうとは思っていないと思うが、入賞作品を作りたいなら、ただの作文にフラグを入れる……そして回収、立派なことを書く、と、考えられるあらゆる装飾をしたら良いと思うんだ。
 年齢に見合わない考え方をする人に、審査員はまんまと引っ掛かってくれると思う。そこから先は心理戦……文章力ではなく感情力である。ある程度の文章の正しさがあるのなら、あとはいかに審査員を引き込むか。
 理解できたご子息様、お嬢様の武運を祈る(笑


 役に立つとも思えないけど、役に立ったら良いなと思う。
 需要があればファンタジー小説の書き方マガジン作ろうかな、と。
 思うけど、面倒だから……そのうちね(笑


ノシ

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