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君と異界の空に落つ2 第16話

 そうなると人の流れも増えて、耀は初めて寺に来た集落の人間の姿を捉えた。その時は墓地の奥に居て、梅と柑橘の木の枝を剪定しようかと、枝ぶりを確認している時だった。
 兎に角この時代は道具が少なく、善持の畑の小屋の中にも、相応しいものが見当たらない。仕方なく自分が持たせて貰った鋏を使い、ばれたら善持にも貸し出そう、と腹を括った耀だった。その鋏は師匠が持たせた裁縫道具の中にあり、大きさから裁ち鋏の方の用途だろうと思ったが、他に鋸も無いし小刀じゃ危ないし、手入れだけすれば良いか、と思い立ったものだった。
 一応、善持にも確認したが、剪定? と首を傾げられただけ。何かしたいなら好きにすれば良い、と、さして好みではない作物の所為か、自由を与えられた耀である。偶に善持を見ていると、緩すぎて心配になるけれど、自由にさせて貰えるならばそれはそれで良いのか、と。歳の割にしっかりしていた為に、あいつなら変な事はしないだろう、と。信頼されている事を知らない耀は、自分より善持の事を心配している洒落である。
 そんなこんなで鋏を持って、墓の奥で枝を触りつつ、どれを切ったら良いのかと具合を探っていた時だった。視界の奥にちらつく人影があり、目を凝らしたら見た事のない人だった。
 きっと善持を呼んだのだろう、少しして家から出てきた人は、見慣れない人と話し込んだ後、お辞儀をされて別れを告げた。多分、別れを告げたのだろう、相手が平身低頭なので、頼まれ事を快く引き受けた事が察せられた。
 鋏を持ったまま止まっていた耀だけど、坊主に頼み事と言ったら亡くなった人の埋葬だ。初めての仕事だな、と身が引き締まる思いを抱いて、この枝にしようかと鋏を跨がせた時だった。

 ”だめ”

『え? 何か言った? 瑞波』

 枝に刃を通したままで、後ろを振り向く耀である。
 いつも通りに控える瑞波は、ふるふる、と綺麗な否定を示す。
 そう? と返して指に力を入れた時、もう一度小さな声で ”だめ” と聞こえた。

『…………』
『耀?』
『うん……』

 そっと別の枝に変え、鋏を添える。
 少しだけ緊張したが、徐々に力を加えても、小さな声は聞こえなかったから。ぱつん、と枝を落として、一つ前の枝に戻れば、矢張り小さな声が響いて”切って欲しくない”という意思を感じた。
 ならば、と、駄目と言われない枝だけ落としたら、瑞波が『凄い』と言うくらいには見違えた梅である。すっきりとした梅の木もどこか嬉しそうであり、だめ、以外の言葉は無いけど感謝されているような気配がするのだ。

『俺、才能があるのかも』

 ちゃらけた顔をして瑞波に言うと、心から信じたような尊敬の眼差しだ。いや、違う、俺は突っ込みが欲しかった……と。訂正出来ず焦った耀であったが、彼が嬉しそうなので「まぁ良いか」とそのままにする。
 梅の木には”今年は良い実をつけてくれよ”と、ぽんぽんと幹を撫で頼んだら、隣に生えた別の梅へ、それが終われば柑橘の方の木に動く。小さな声は他の木からも聞こえるようで、切られたい枝、切られたくない枝と、鋏を当てれば答えてくれるようだった。本人が良いのなら、と木を人に見立てたように、平等に扱う耀である。
 瑞波は口には出さないけれど、そんな所も素敵です、と。うっとりとするように未来の伴侶を眺め遣る。無意識なのだろうけど、耀のそうした”ものの見方”が、瑞波にとっては好ましい。この世界には少ない人だ。耀にとったら”時代”だけれど、長い時を生きてきた彼には時代ではなく”人柄”と映る。
 それぞれ数本ずつの木の剪定を終えた耀は、しれっと鋏を葛篭に隠し、本堂の掃除を始めた。きっと数日中に葬式があり、使うかなと思ったからで、入り口から見た時に汚れて見える所から、丁寧に拭き掃除を始めたのである。冬の間も気になった場所から清めていたから、それ程、汚れてはいないけど。綺麗に保っていても埃は積もるものだから、取り敢えず此処と其処、と、黙々と手を動かした。
 そこへ善持がやってきて「よう働いてくれるな」と、かっかと笑いながら事情を零してくれたのだ。耀の勘は当たったようで、今朝、死人が出たと言う。少し腰の曲がった客人だったから、順当に考えて更に歳上の人だろう。何気なく考えたそれも当たりだったようであり、奥巳(おうみ)の”おとと”が亡くなったから準備をするぞ、と。

「分かりました」
「うん。場所を教える」

 付いて来いと言われた通り、耀は善持の後を追う。一旦小屋へ向かってから、耀に鋤(すき)を示し持たせて、墓地へと動いた善持は「此処だ」と教えてくれた。
 この時代、地方の庶民の死体は風葬(ふうそう)が主である。風葬とは風晒し、曝葬(ばくそう)とも言って、死体を処理せず野晒しにして自然に返す葬制だ。但しこれでは野犬や野鳥が死体を啄みに来るもので、骨になっても見るも恐ろしく、少しでも心があるならば、亜慈がそうしていたように土を掛けてやる事をする。
 火葬をするのは貴族だけで、遺髪や遺骨を徳の高い寺院へと、納める事をするのも貴族だけだったよう。此処では遺体に土を掛けてやるものの、耀がしたように掘って埋めるのではなくて、遺体を置いた上から土で隠してやる方だった。これなら肉が分解された後、山が小さくなる筈で、次の死人が出た時に前の死人の骨を掘り、一族の骨を集めた隣へと、一緒にしてやるのである。空いた場所には次の死体を置いて、また上から土を掛けてやる。
 一緒にすると言っても骨壷がある訳じゃなく、目印に立てた卒塔婆の前の土を掘って入れてやる。耀はこの作業を頼まれ、前の骨をどかしておいてくれ、と。はい、とは答えたものの、僅かに怖気付いた彼だった。
 善持は「頼んだぞ」と言い、墓地を抜けて坂道を降りていく。なら、もう直ぐにでも持ってくるのだろうかと思い、怖気付く間を惜しむようにして作業に掛かった耀だった。
 運び込む方向を考えて、土を奥へ押してやる。もう完全に骨になった人の体を隠す土は、思ったよりも少なくて、直ぐに露わになってくる。鋤(すき)の先に当たる骨を丁寧に拾い集めて、一旦、横に穴を掘り、そこへ一つずつ加えていった。
 実際に人骨を見れば怖いかなと考えてもいたが、物言わぬそれらを見れば、怖いと言うより悲しい、か。誰もがゆく道と思っていても、寂しさは拭えない。頭は最後にしようと考え、足の方から掘り返したが、最後、頭を掘り返しても”怖い”とは思わなかった耀である。
 人だったものの骨を一つずつ拾ううち、尊厳とは何か、を考える。人だったものへの尊厳を示す為、綺麗に揃えて再び埋めた耀だった。掘り返した土はまた、埋めるための山にして、一つ前の死人の骨へ合掌をする。土に汚れた両手だけれど、汚いとは思わなかった。それはひと繋がりの大地、自分たちを育む土である。
 もの寂しい気分だけ振り切るようにして、畑を流れる小川の方へ手を洗いに行った耀だった。善持はおよそ二刻後に帰って来た。戸板に老人を乗せ、集落の人達が四隅を担う。駆け寄った耀を見て驚いた顔をした村人達だが、善持が「山で拾った。俺の息子だ」と”しれっ”と言うので、どういう事だ? と一様に困惑したような空気が流れた。

「ヨウ、と言うのだ。よろしく頼む。こいつは俺より良い坊主になるぞ」
「お前ぇ、狸に化かされているんじゃないか? 子供を山で拾ったって? この辺じゃあ、子供は山神に喰われるもんだ。第一、お前ぇに育てられるものかよぉ。”かか”だって来ねぇのに、どうやって育てんだ?」

 馬鹿にするでもないけれど、馬鹿にされているような善持である。だけどその人はあっけらかんと「こんなに育っとるんだ、今更俺が何かしなくても、勝手に育ってくれらぁ」と、あっさり返す。
 目をぱちぱち瞬きながら黙っているしかないけれど、耀は男衆にじろじろと上から下まで眺められながら、「ど、どうぞよろしくお願いします」と、無難な挨拶をするしか出来ない。

「喋ったぁ……!」
「だっから、狸なんかじゃねぇってば」
「坊主、どっから来たんだ?」
「都の方だとよ。俺より文字も知ってらぁ」
「そうなのか?」
「何だよ、疑うのかよ? 言っとくがなぁ、俺がなんにも言わなくてもな、隅から隅まで掃除してくれんだぞ?」

 耀が聞かれた筈なのに、全て善持が返すから、男衆も様子に呆れて閉口しだす。随分持ち上げるじゃねぇか、と、余程”嬉しい”事を知り、あの善持がな、善持がなぁ、と、想いを馳せる空気まで漂った。
 耀はどうしたら良いのか分からなかったから、あの、墓まで案内しましょうか? と、下から聞いてみたのだが。男達は漸く思い出した顔をして、そうだった、奥巳(おうみ)の”おとと”を埋めに来たんだったな、と。

「こっちだ。ヨウ、鍬(くわ)も持って来い」
「はい」

 良い子じゃねぇの。
 男達は善持を揶揄いながら、墓場の方へ歩き始める。
 耀はそれを眺め遣り、善持と集落の人間の関係を、それとなく感じ取って過ごすのだ。
 埋葬はあっさり終わってしまう。埋めたらもうする事は無いらしい。通夜のようなものも無ければ、夜通しの読経も無い。奥巳さんと言う方の息子さんが残ったくらいで、その人と一緒に善持の後ろで経を唱えた。
 それくらいのもので、奥巳さんも帰っていく。

「あの人の”おとと”も長生きしたもんだ」
「大往生だったんですね」
「だいおうじょう?」
「天寿を全うして安らかに死ぬ事です」
「そうだな。だいおうじょうだ。難しい言葉を使うじゃねぇか」

 いえ、と恐縮した風の耀を、かっかと笑った善持である。

「後は、もし奥巳の家で”おとと”が夢枕に立った時、俺達が精魂込めて経を読み聞かせてやるくらいだな」
「そんなもので良いのですか?」
「滅多に無い事だがな。二、三日は墓場の方で人魂が飛ぶかも知れねぇが、経さえ唱えていれば怖くはないからな。それでももし怖くて眠れねぇなら、俺んとこ潜って来い。遠慮しなくて良いからな」

 そうさせて頂きます、と、耀は丁寧に返したが、耀も善持も全くその情景が浮かばぬのだから仕方ない。
 何とも言えない空気が漂って、お互いに誤魔化すように笑って流す。

「よし。遅くなったが、昼飯にするか」
「はい。何か手伝いましょうか?」
「特には無いな。あ、鶏小屋の卵だけ確認してきてくれねぇか?」

 分かりました、と動いた耀を目で追う事も無く、善持は井戸水で丁寧に手を洗って食事に掛かる。
 耀は鶏小屋へ移動しながら、そうかぁ、この時代は衣類も貴重だものな、と。おととさんを埋める時、その人の息子さんが、着物を剥いで素っ裸にして驚いたのを、思い出すように頭で考えた。
 それから、折角、仏僧をさせて頂いているのだから、せめて四十九日でも、経を読み上げさせて貰おうか、と。自分の朝の予定に組んで、瑞波にもその旨を伝えていく。


 こうして丘の上の善持の寺に、小坊主が住み着いた話が集落に広まった。
 これで耀を連れての移動もしやすくなるだろう。善持は単純に考えていて、実際、その通りに動いたようだ。
 梅の花が咲き、大分暖かくなった頃、明日は川遊びに行こう、と耀を誘った善持である。

「おぉい! 行くぞぉ!」

 準備を終えたらしい人が、梅の花の香りを楽しむ耀を呼ぶ声を張り上げた。
 川遊びと言われても頭に浮かばなかった耀は、魚籠(びく)のようなものを持たされて、機嫌の良い善持の後ろをひょこひょこと付いていく。
 畑仕事をしている人等がそれを遠目に見たようで、顔を合わせれば挨拶をして、頭を下げながら、初めての集落の中を通り過ぎた耀だった。
 田畑の面積はそれなりにあり、子供の数もそれなりに居るようだ。じろじろ見られるのは居心地が悪い部分もあるけれど、初めて会うからそりゃそうだろう、と納得する事にする。
 ぽかんとしたような子供達の視線より、その親、とりわけ母親の視線が、痛いように感じられた耀だった。理由を知るのはもう少し後になるけれど、それだけの意味が籠った視線であったのだ。
 善持はそこそこの幅の川に着くと、一旦、その近くで耀に水筒を差し出した。

「綺麗な川ですね」
「おう。夏になったら子供等の遊び場よ」
「そうですね、浅瀬ですし、溺れる心配もなさそうで」

 良い所ですね、と耀は感想を口にする。

「此処からもう少し登るぞ」
「はい。でも、何をして遊ぶんですか?」

 今頃聞いてくる耀に、善持の心は愉快に染まる。

「蟹だよ、沢蟹。今日は沢蟹を獲りに来た」

 沢蟹……と復唱する耀は驚いた顔である。
 それを見た善持は益々愉快になった。

「何だぁ? お前ぇ、沢蟹を知らんのか?」

 名前は聞いた事がありますが、と、如何にも都育ちのような回答で。かっかと笑った善持は楽し気に耀を誘(いざな)った。

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