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君と異界の空に落つ2 第36話

「こんな事があるのだな……」

 憤りを通り越し、驚愕に染められて、憔悴した気配を滲ませ男が言った。

「我々、占者は先ず、それを占なって良いものか、可否を聞くために伺いの占いをする」

 不思議そうな顔をした耀に対して、父親はもう少し分かり易く教えてくれるらしい。

「占わない方が良いとする占いがあるのだよ。だから我々は占う前に、占って良いものか、道具に、その先の神に、必ず聞く事にする」

 聞いて、成る程……という顔をした耀に向けて、だからな、と父親は続けて語る。

「君が言う事が正しいか、占うべきかを聞いたのだ。それこそ、先の言葉の通り、卜占に示してくれるなら。我が家が占術に用いる道具、全てに聞いて”是”であれば、それは神の言葉に等しく、占うまでもなく”是”だからだ」
「そして、父の結果を見るに、これら全てが”是”であります。ヨウ殿、もう一つ我が家には門外不出の書があるのですが、これは日時や時間を組んで読み解くものになります。この国で使われている文字ではないので、私達しか読めないものになりますが、そこに何と書かれていたと思います?」
「え? ……と」
「信じよ、で御座います。その者を信じよ、です」
「え?」
「ヨウ殿……もしや本当に、神の御姿を見られましたか……?」
「あぁ……はい……」

 と狼狽えるものの、父親が出した文箱(ふばこ)である。
 半紙を添えられて、覚えているだけでも御姿を、と。
 戸惑いながら筆を持ち、特徴的だった”みずら”頭に、着物とも少し違う衣を描いていく。異界でも社会の授業において、教科書の端にあった人物が、着用していたようなものである。
 男神でありました、と筆を止めて伝えると、半紙を持った父親が「むぅん……」と唸る。

「これは凄い……」
「凄いですね……」
「伝えられている通りの御姿だ」

 偶像や人形に限らずに、写し絵にも悪魂が宿るとされている。だから口伝でしか伝わらないが、我が家が祀る神の姿はこのように伝えられている、と。ふ、と神棚の方を見て、黙礼をしたその人だ。

「九坂様との縁談は大神様のご厚意だったのか……」
「私、都で暮らすのも、父上に二度と会えぬのも……子供を会わせられないのも嫌で御座います」
「桜媛……」
「近くで可愛がって頂きたいです。男児(おのこ)を五人も観て頂けるなら、豊輝(とよあきら)様も一人くらい、この家に譲って下さるでしょう」

 私、頑張って育てますから。お嬢様の意気は強かった。
 最後は娘に押されたように無言になった男だが、先に打診してみよう、と文を書く気にもなったらしい。元々、耀がそちらの家へ文を届けるつもりだったと聞くと、娘に打診の文を持たせて送り届けるように指示をした。
 占いの道具を元の場所に片付けると、自室で文を綴る為、先に出ていく父親だ。桜媛が持ってきた道具箱を腕に抱き、客間で待て、菓子も出してあげなさい、と。
 初めに見た時よりも随分優しい面差しで、信じて貰えるなんて思っていなかった耀だから、信じて貰えた上にこんなに良くして貰えるなんて……と、驚くよりも恐縮するようお嬢様に付いていく。
 客間に通され所在なさげに足を折って待っていると、対面の彼女でさえも驚く程に、女房達が持ってきた菓子はてんこ盛りになっていた。それも、耀に出すための皿ばかり菓子がてんこ盛りなので、桜媛は”くすり”と笑い、女房達も笑って見えた。

「殿の仰せの通りです。あれもこれもと申しつけられまして」
「父上の好きな豆大福が乗っているので分かりました。余程ヨウ殿の伝言が嬉しかったので御座いましょう。自分の分まで譲るくらいですから」
「それは申し訳ないような……」

 耀が会話を拾って返すと、良いのですよ、と彼女が笑う。

「父は男児が欲しかったのです。勿論、私も大切に育てて頂きましたけど。ヨウ殿のような男児の事が好みでもあるのですよ。柔らかい物腰ながら、恐れず意見出来る所など。そういう意味では九坂様の事も、好ましいと思って下さっていたのでしょうが……あれは矢張り心のどこかに、婿入りしてくれる殿方が欲しい、そうした気持ちがあったのでしょうねぇ」

 お嬢様はしみじみと言葉を零し、そうとしか考えられないでいた耀の方が驚いた。ヨウ殿に言われてからあれこれと考えていたのですが、二郎君を譲って貰えるかも知れないと聞いた後の父の目の輝きよう……文を認める早さからして、そこが気掛かりだったので御座いますね、と。

「私も他の殿方と縁を結ばれても困りますし……慣れない都で生きていける気がしません。大神様がヨウ殿の前に現れて下さって良かったです。優秀なお弟子さんであらせられるのですね」

 微笑まれて少しだけ照れた耀だった。

「いえ……あの、自分はまだまだ修行中の身でありますので、相談されても解決出来ない事の方が多いと思います。ですので今回の事は、どうぞ内密に。さえさんにお墨付きを貰ってから、改めてお願いに参りますので」
「まぁ。謙虚でいらっしゃる」
「いえ、本当に。私も詳しくはないのですが、こういう仕事に就く者の間では、商売敵と言うように、何処で恨みを買うのかも分からない話と聞いております。未熟な自分では対処も出来ぬ為、目をつけられたりするだけで恐ろしい。ですので、極力、内密に。できるだけ長生きしとう御座いますから」

 瑞波の為にも、と頭に浮かべた耀である。長生きしたい。自分が今の生を終え次に生まれてくるまでを、彼が耐えられるくらいには。
 上京された大僧正様の恩義にも報いたい。沢山の手を尽くし、自分に自由をくれたのだから。
 耀の想いが届いたのかは不明だが、童子が”長生きをしたい”と願うのである。秘密、が好きな女達でもある訳で、このまま育てば見目麗しい男になるのも分かるのだ。そんな男に、姉さん、と慕われたい欲もある。
 桜媛には豊輝が居るし、女房達にも夫があるが、それとこれとは別、というように口を噤む事を誓った彼女達だ。いざ彼が一人前になった時、頼れる口があるのも貴重な事と考えた。ならば今ここで構築出来得る関係性を持つのが大切だ。黙っているだけで良いのなら。この時代の女性は頭が回る。
 ささ、遠慮せずに菓子を召し上がって下さい、と。次には純粋に子供をあやす大人になった彼女達である。そうは言われても遠慮がちに、耀は手を伸べて食べるのだけど。
 父親が文を携えて客間に入ってくるまでに、拝み屋の弟子を一目見ようと集まっていた女房達だ。ちやほやという表現がピッタリ合うように、男児一人を囲んで女達が姦しい。
 見習いとはいえ愛想の良い拝み屋も珍しいだろうから、気持ちは分からないでもないが、気の毒に思った人だった。此処だけは同じ男として、耀の気持ちを察した風だ。女達に囲まれて嬉しいというよりは、圧を感じて困惑している方である。
 耀にその気が無くたって、後ろの瑞波は面白くないから、彼が無言で耐えている”圧”を感じて、困惑しているのは正解だった。

「名前は何と言ったか」

 現れた殿を見て、波が引くように女房達が散っていく。
 ほっとした顔を確認しながら、名を問うた桜媛の父親だ。

「耀、と申します。宿曜の曜の字の左に、光をあてます」
「それは珍しい……何処(いずこ)かの名のある家の生まれか?」
「いえ、この名はお師匠様が」
「師匠……隣町の、さえ殿と言ったか」
「さえさんは二人目のお師匠様です。授けて下さったのは、一人目のお師匠様の方で……」

 拾われ子で御座います、と、微笑を浮かべて語る童子に、その人から”さえ”殿を紹介されたのか? と根掘り葉掘りした人だ。
 親身に聞いてくれるというなら、守ってくれるのだろうか? と。耀は駆け引きをしたい気分になったが、釘だけ刺せればいいかな、と。気を持ち直し、その人に向き直る。

「元々世話になっていた寺でお師匠様に不幸が起きて、その場に居られなくなってしまいました。山を彷徨っているところを、山向こうのお坊様に拾って頂いたのです。さえさんはそのお坊様の知り合いで、私に才能がありそうなので面倒を見て下さる、と」
「では、元は坊主の見習いか」
「はい。見習いですから、少しの字と経文が読める程度で御座います」
「すると、坊主でありながら、神の姿が見えるという事か」
「そうなりますかね? ですが、共に修行をしていた小坊主の中にも、神が視える者が御座いましたし、神仏より妖怪に詳しい者もおりました」

 似たような才能なれど、色々あるようですよ、と。他人事のように語る事で、男の意識を薄めにかかる。
 別に自分は”特別”ではない、他にも才能豊かな者が居る、と。
 耀は名を売りたい訳ではないし、売らずに済む方がありがたいから。
 桜媛の父親は「成る程……」と興味を持って、もっともっと耀と話をしたいという顔をした。

「話は戻るが……他に大神様は何か、欲しいものや、して欲しい事など、おっしゃってはおられなかっただろうか?」
「はい。特には。あ、そうですね……私の事になりますが、お館様に面倒を見て貰えと言われたくらいで……」
「!」
「こうして美味しいお菓子も頂いてしまいましたし、十分に見て頂いたと思いますけれど」
「分かった」
「はい?」
「今夜は泊まって行きなさい」
「え?」
「おぉい! 耀殿の夕餉の準備と、寝床の用意を!」
「え?」
「遠慮せず泊まって行きなさい。桜媛、九坂様の家に文を届けたら、耀殿と一緒に戻ってきなさい」

 では、私は書き物の仕事に戻るから。

「はい」
「え……?」

 すっくと立って足早に奥へ消えた父親を、ぽかんと見遣り、微笑するお嬢様の顔を見る。

「気に入られましたね、耀殿」
「そ……え……と、良いのでしょうか?」
「良いのです。宿代は父の話し相手という事で」
「そのようなもので良いのなら、いくらでもお付き合いさせて頂きますけれど……」
「ふふっ。矢張り、父が好みそうなお方です」

 さて、では遅くなりましたが、九坂様の家へ参りましょうか。
 あちらでも引き留められてしまいそうですが、父の方が先なので、断って来なければなりませんね。
 桜媛は微笑しながら女房を伴って、まだ少し困惑しているような耀を連れて家を出た。細い通りを抜けた先、大通りを渡り終え、さえが示した家の方角へ誘(いざな)って。
 やがて帯剣している御仁とすれ違う事が増えてきて、いちいちお辞儀をされるから、礼を返す桜媛だ。彼女が次のお方様と目されている理由から、挨拶されるのかと思いきや、違うらしい。この町の武人の多くが九坂家に仕える人達で、昔から儀礼には厚いと聞いていく。この時代の武士というのはもっと野蛮だと思っていたから、それなりに驚いていた耀だった。
 桜媛の家の塀より長く、立派な作りのそれが見えてきて、彼女に説明されずとも、これが九坂家だと理解も出来た。中にあるのだろう道場らしい館から、稽古の声も聞こえてくるのでよく分かる。魂の籠った気迫のある声である。びりびりと響くような破魔の声。
 これは凄い……と尊敬しながら彼女の後ろで戸口を覗く。桜媛の訪れを知った門番は、奥へ若殿を呼びに行ってくれたらしい。直ぐに九坂家の女房が現れて、彼女と耀と女房を客間に迎えてくれた。
 そうして数日ぶりに対面した”客人”は、桜媛の笑顔を見ると成功した事を察したらしい。彼も彼らしくない程に喜んだ顔を浮かべたらしく、彼の家の女房が驚いた顔をした。

「ご無沙汰しております、クサカ様」
「これはこれはヨウ殿。今日はどのような御用で参ったか」

 互いに姿勢(ポーズ)であるが、必要な工程だ。
 耀は頭を下げながら、胸から文を取り出した。

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