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君と異界の空に落つ2 第44話

『此処までどうやって登ってきたの?』
『水を辿って』
『あれ? でも、この川、寺の川まで続いていたっけ?』

 玖珠玻璃(くすはり)は湯に浸かる耀を見ると、地面の下の水路も辿れる、と。相変わらず”きりり”とした顔で呟いた。
 それから、『町はどうだった?』と聞いてきて、外の様子に興味を示したようである。耀はのぼせぬように、一度、温泉の外に出て、丁度良い岩に腰掛けた。

『人が沢山居たよ。お店もあってね。縁結びの手伝いをしてきたんだけど、望み通り上手くいったらさ、剣術と武術を習わせて貰える事になったんだ』

 凄い神様にも会ってきたよ。この国の神様と縁を結んで貰った。自分じゃあんまり分からないけど、受け入れて貰えると思ったら、何だか安心するよね、と耀は笑った。
 聞いていた瑞波は複雑な顔をしていたが、こちらに身を置くつもりなら、あった方が良い”繋がり”だ。この国の民として生き易くなるのは勿論の事、その先に繋がる”縁”が生じ易くなるかも知れない。
 天津神の階級に組まれて欲しくは無いけれど……と、瑞波の不安は尽きないが。それは耀が決める事、私が言う事ではありますまい、と。気持ちに蓋をするように胸元へ手を添えた。
 対して、素直に嬉しい事を嬉しそうに語る人間は、玖珠玻璃から見たら好ましい人間だ。帰ってきたと知らせてくれたし、何をしてきたか実直に、裏表無く教えてくれるのだから、親しいものと感じられる。隣山の……と、言っても遠いが、距離がある知り合いの神に比べて、一歩、懐に近付いた関係だ。
 彼は通常、微笑むような竜神ではないけれど、気持ち、柔らかい表情で、耀に続きを聞いていく。自分も近くの岩に腰掛け、祓えの神の方も向き、互いに顔が見えるように円になった。

『剣術か。良いな。共に習ってみたいものだが』
『あ、じゃあ一緒に練習しようよ! 始めは素振りだけだけど、百、振れるようになったなら、続きを聞いてくるからさ』

 俺も練習相手が居ると思うと身が入る。語った耀の顔も言葉も真面目そのもので、やる気まで見えるとなると玖珠玻璃も、『そうか?』と前向きな気持ちになったようだ。では共にやろうか、と思った顔をして、そのうち近くの知り合いに剣(つるぎ)が無いか聞いておく、と。

『剣……そういや俺、まだ使わない剣(けん)、持ってるよ? 貸そうか? やれないけれど、貸すなら出来ると思うから』
『耀、多分、無理ですよ』

 入ってきた瑞波である。

『無理かな? 玖珠にもまだ大き過ぎる?』
『大きさの問題ではなくて、穢れ過ぎているのです』
『穢れ……』
『丁度良いですね。玖珠玻璃にも祓えの才があるかも知れぬので、見せるだけ見せてみましょうか』

 そう言って懐から大太刀を出した瑞波だった。
 神故の不思議さで、体の中から出したように見え、耀は目を瞬きながら、瑞波が玖珠玻璃にその太刀を、見せる様を窺った。
 反りのない直刀の、漆黒の刀身に、本紫の縄が鮮やかに映えている。
 簡素な造りだが、非常な豪奢さは健在だ。
 ひと目見た玖珠玻璃が魅入られるように動いたが、浮きかけた腰は固まって、次第に怯えた顔になった。
 それを確認した瑞波が耀に、『耀』と声をかけて掴ませる。

『耀、持ってみて下さい』

 と、言われて柄を取った耀だった。

『────何故』
『そう思うでしょう? 私も触れずに持つだけで精一杯の業物です』
『何故そんなものを持てるんだ……?』

 玖珠玻璃の声には怯えが滲む。
 耀は二人の様子を見ると、急に自信が無くなった。

『え……だ、だって、普通の太刀(たち)でしょう?』

 多少、後ろ暗い経歴を持つ、太刀であるかも知れないが。
 人霊ではない神々が恐れ慄く様を見て、そんなにまずい太刀なの? と太陽に照らしてみせた。貰った時と同様に、自分の背丈程もある太刀である。重さはそれなり。これだけ大きいなら重いだろう。
 そもそも金属の希少な神代の時代、これだけのものを作れる事が凄いのだ。異界で瑞波に奉納したピアスや簪、それらのように既にあちらのものだけど……と。それは過去、誰かが凪彦に奉納したものであり、それまでは人の世にあったものの筈だから。神が血を流すのか不明だが、殺したと言うのなら似たようなものは流れたのだろうと思う。
 今はもう綺麗になっていて、錆も汚れも無いものだ。神話だと大抵、剣(つるぎ)。つまり両刃剣なのだけど、これは太刀なんだよなぁ、と思っただけの耀だった。
 瑞波は不思議そうに太刀を手にする耀の事を、怯える玖珠玻璃も視界に収め、無言で見ていたようだ。怖い顔というよりも、太刀を手にしても発狂しない、耀の強さ、理性の強さを、純粋に”凄い”と思ったからだ。
 その性質は見た事がある。凪彦に通じるものである。
 だから凪彦は耀を好んで、面倒を見てくれたのかも知れなかった。
 同じ性質。呑み込む者だ。
 主に荒御魂(あらみたま)の気性を示した凪彦に対すると、耀は主に和御魂(にぎみたま)、柔和、精熟の気性である。
 表に現れ出るものは、これだけの差になるけれど、根本は同じなのだろう、穢れさえも”呑み込む”神。それでいて、瑞波には時間を掛けなければ視えない”縁”も、するりと視えている気配があるので恐ろしいものである。
 私が清めの念を巡らせ、やっと包み込めるものを……何の負荷もなく手に取って、陽にかざしてみせるのだから……と。
 加えて、呑気な耀は気付いていないようだけど、冬の間に背が伸びた筈の彼と”まだ同じ長さ”を持つ大太刀だ。伸びた……それもきっと、これでも”本当の姿”では無いのだろう、と。空恐ろしい想像をして、腕を抱きにいく瑞波である。
 しかし、このまま怯える玖珠玻璃を、そのままにしておくには忍びない。見た目の魅力に騙されて、手に取ろうとしたけれど、ちゃんと”質”に気が付いて止(とど)まった。
 立派な事である、矢張り才があると見た。だから”祓え”の触りだけでも身に付けさせてやろうかと、珍しく……と、いうより初めて、瑞波は神(どうぞく)に歩み寄る。

『普通の太刀ではないですね』

 まずは耀に伝えてからだ。

『玖珠玻璃、この太刀が怖いですか?』

 こく、こく、と頷いて、青い顔で固まる竜神だった。

『貴方の勘は正しいです。貴方には祓えの才がある。望むのならば折を見て、祓えの”感”を教えようと思うのですが……』

 聞いていた耀の方が、おぉ、と瑞波に驚く場面。

『瑞波、俺も習いたい』
『貴方の才は私や玖珠玻璃と同じ方向のものではありません』

 思いがけずピシャリと言われて、『え……えぇ……?』と。
 困惑している耀を置き、瑞波は玖珠玻璃の方を見た。まだ少し青い顔をしているが、玖珠玻璃は憧れの先輩……瑞波に、祓えの教えを請えると聞いて、気を持ち直したようだった。

『私にも出来るのですか……?』

 彼が瑞波に問いかけた声音は、自信がなさそうな音だけど、瑞波が頷く顔を見て、すっと真面目に戻った風だ。先輩がそう言ってくれるなら、俺も頑張ってみようか、の類。
 相変わらず瑞波の前では丁寧になる玖珠玻璃を、可愛い奴と思うような、そうした気持ちを抱いた耀だ。
 それから耀は、瑞波が初めて自分以外の存在に、微笑むような気配を感じた。

『あれは私でも無理なので、貴方にも無理な類でありますが、少なくとも才があるようなので、小さいものなら祓えるように修練をつけてあげましょう』

 あれ、と指差されたものは、耀が持つ太刀である。
 祓えの神が”穢れている”と口にするのは仕方ない。
 無理、と言われたら、へぇ、そうなのか。
 だけど耀は続きを思った。そんなにこれ、穢れているのか……? と。
 むしろ耀には神性を感じる程に、芯が通った太刀と受け取れる。穢れているというよりも、濃い力が宿ったものだ。
 まだ呑み込めるよな? と同意を求めたい程に、手元の太刀が余力を残しているのが分かる。

 分かる────。

 あれ? そういや俺、あちらの世界の太刀を掴めてる……? と。
 ふっと凪彦の声音が響き、最後はよくよく話を聞いてやれ、という文言が蘇る。
 耳元に蘇る。太刀にか? 太刀にだ、と。
 自分の目の前で瑞波と玖珠玻璃が距離を縮めて、師弟関係を結ぼうとしている姿を暫し眺めた耀だった。
 瑞波は耀という存在が居るから、やっと他の神、小さな神へと、持ち前の気を利かせてやれる余裕が出来たけど、それを知らない耀だから、ほんのり妬ける気持ちが浮かぶ。
 自分以外に心を開いた瑞波はふわりと可愛いが、と。まぁ、楽しそうなら良いか、と目を瞑る気持ちになるけれど、握った太刀にも意識が向いているから、流せたような所がある。
 二人を横にして、耀は習った通りに柄を握る。
 重い。それはそうか。自分と同じだけある大太刀だ。
 振り上げる。重い。まだ扱えないか、と悟るのだ。
 剣先を真っ直ぐ見ると”足りない……”と囁き声がした。

『足りない?』
『え? どうかしましたか?』

 拾った瑞波が耀を見る。

『あ、いや。空耳かな?』

 玖珠玻璃と瑞波の距離が近い。
 どちらかというと、そちらに気を取られた耀だから、滲んだ囁き声の事は横に置く事にした。

『玖珠、素振りの話をしていい?』

 そちらも約束が終わったようで、話が落ち着いたようだから。
 耀は自然に話を振って、今度は自分が玖珠玻璃と近付いた。習ってきた素振りの事を、あれこれ教えて世話を焼く。聞いていた瑞波も加わり、耀が忘れていた事を、補足するようにして二人に教えてくれた。あぁ、そうだった、と思った耀は、素直に補足を聞いていく。
 玖珠玻璃は一通り素振りについて学ぶと、耀の”怖い太刀”を眺めて、使えそうなものを誰かに譲って貰ってくる、と言う。やる気は十分。耀は練習相手を得られた。太刀を再び瑞波に預けると、慎重に抱きながら身に隠していく彼を見た。
 もう暖かい季節であるので、湯に浸かった体は冷えないが、お湯の温かさを思い出すようにして、もう一度浸かった耀である。程よい所で湯を出ると、師匠の袖に腕を通す。裾は腰紐で調節し、暑いので袖は肩まで捲る。
 じゃあ帰ろうか、と降りた裏山は、まだ昼の陽光に照らされていた。

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