見出し画像

君と異界の空に落つ2 第47話

 直ぐに”ばちり”と視線が合ったが、相手の意は量れない。そのまま通り過ぎても良いのだろうか。緊張した耀(よう)だった。
 じりじりと距離が詰まる程、木陰から強い視線が届く。ぎん、と睨みつけるような、挑戦的な眼差しだ。攻撃的というよりは、挑戦的なそれである。嗜虐性より自身の中の衝動を抑えきれないような……善持の言う”悪童”とはつまり、自我が強くて挑戦的で、集落の子供の中では浮いてしまう存在なのだろう。
 結局、数歩先まで近付いた時、耐えきれず耀の方から「何か用ですか?」と聞いていた。思いがけず男児の目には知性が見えたから。話せば分かる手合いだろうと感じた故で、恐らくそれは正しい”勘”だった。
 目の前に立つ男児の視線は強かった。強いが、よし、と思った顔である。困り顔の耀の前まで”ずずい”と出てくると、「おいお前!」というように真っ直ぐに向き合った。

「俺はエイジってんだ! 名前言え!」

 は、はぁ……と間抜けな声が出そうな自分を押さえ込み、「耀です」と謙虚に答える彼である。

「ヨウ……ヨウ……よし、覚えたぞ」

 対して、耀は、エイサクさんの息子さんなのだから、エイの字を取ってエイジ君なのかな、と。
 互いに名を覚える儀式をしたようだ。

「よし、ヨウ! お前は今日から俺の舎弟だ!」
「しゃてい……?」
「一番の舎弟だからな! 威張って良いぞ! だけど俺の言う事は何でも聞けよ!?」

 威張る……と言われても……素で不思議な顔をした耀だった。
 そもそも栄次は耀よりも、大分、背が低く見える。自分の胸元あたりだろうか。歳は同じか下くらい。言う事を全部聞け、と言われても、聞けない事だってあるだろうに。どうしよう……と次には再び困り顔をした耀である。

「エイジ、遊びに誘ってくれて嬉しいけれど、俺には遊んでいる暇が無いんだよ。だから付き合えないと思う。ごめんね」

 と。
 極めて大人な対応をした耀を見上げて、え? という顔をした栄次だった。

「だってお前、寺でぼ〜っとしてるだけだろう? 爺ちゃん埋めた後は、やる事も無いだろう?」
「いや、ちゃんと四十九日は経をあげるよ? 昼間は善持さんと一緒に畑を耕すし。月に一度は習い事に行く予定もあるしね。ほら、これ。これが証拠」

 腰の木刀を示した耀である。

「うわ。それ剣か!」

 かっけぇ!! と。ここは男児らしく憧れを見せた栄次だった。

「良いなぁ。寺には銭があるんだなぁ」
「銭なんて無いよ。町で武道を嗜んでいる人に仕事を貰ってね。そのお礼に通わせて貰える事になったんだ」
「仕事だぁ? 畑仕事か? んな訳ないか。でも俺らが出来る仕事なんて無いだろう? どういう事だよ。ずりぃじゃん」
「あぁ、まぁね。善持さんの知り合いの拝み屋さんからの仕事だよ。子供の俺が行くのに丁度良かっただけなんだ」

 尤もらしい事を言って、栄次に「へぇ」と言わせた耀だ。

「まぁ良いや。明日お前んちに遊びに行くからよ! 都合だけ空けとけよ! じゃあな! 俺は先に帰るぜ!」
「あっ、ちょっと……! お父さんに遊んじゃ駄目って言われていたりしない!?」
「構うもんかよ! お前の面構えが気に入ったんだ、俺は!」

 駆け足で逃げるように去っていく栄次を見ると、追いかける気にもなれなくて立ち尽くす。

「参ったなぁ……」
『真っ直ぐな男(お)の子ですね。貴方と気が合いそうに見えますが』
『そう? 悪い奴には見えなかったけど、危ない遊びには付き合えないしなぁ……』
『ならば面倒を見てあげたら良いのではないですか?』
『?』
『危ない遊びをしないように。人を導いていく事も、貴方には向いていると思いますよ』

 黙った耀は”言い過ぎ”と思ったが、それは”褒め過ぎ”の意味を持つ”言い過ぎ”である。うっすらと頬を染めるようにして、未来の伴侶からの素朴な賛辞を、気恥ずかしさのまま流したようだ。
 けれど、彼の助言の効果は抜群で、褒め過ぎだけど、瑞波が”合う”というのなら、と。全くその気が無かったものをその気にさせていく訳だから、耀にとって瑞波というのがどれだけの存在か、傍(はた)から見ている分には瞭然だった。
 仕方ないよな。携帯はおろか、スマホも無い時代の事だから、と。肩を楽にした耀は諦める素振りを見せて、明日、もう一度エイジと話し合う事にした。寺に帰って善持さんにも相談しなければ。断ってくれたら楽だよな、と。気まずい集落の中を黙々と歩き抜けた耀である。
 只今戻りました、と寺の中へ声を掛けると、善持は小さな柵の前で”うりぼう”と戯れていた。耀の姿を認めると、嬉しそうに立ち上がる。帰ったか! と声を上げると”うりぼう”に一発くれて、気を飛ばしたのを確認すると手早く血抜きをするようだ。
 庭の奥の鶏と同じ。食べるのは老いた鶏か、群れに馴染めなかった雄達だけど。放っておくと彼らは虐めで個体を殺してしまう為、仕方のない淘汰のような、慈悲による淘汰のようなものだ。善持はいつも彼らの気を飛ばしてやってから、体に刃を入れていく。
 残酷だと思うかも知れない。でも、此の時代では普通の事だ。むしろ優しい方であり、善持の人柄が知れるもの。残酷なものを見ずに済む異界の時代は理想だろうが、”死”を遠ざけた時、人が失ったものというのは、大きかったのでは無かろうかと思う時がある。
 善持は血抜きをする為に猪(しし)の子を木に括りつけ、耀を労い、前回と同じように、湯にでも入ってこい、と言った。籠を下ろして”さえ”からの土産、途中の山から採ってきた山菜等を手渡すと、嬉しそうに調理の為に家に入る善持である。
 申し訳ないような気もしたけれど、好きな人が好きな事をして過ごす時間でもある訳だ。心の中で感謝をすると、耀は瑞波を誘(いざな)って、いつも通り裏山へと踏み入った。
 初夏を迎える山の中は、湿度が高く蒸し蒸しとする。緑も段々濃くなって、力強さを感じる時期だ。虫も動物も生き生きとして、騒がしいくらいの賑やかさ。耀が進む度、瑞波が虫払いをしているが、その顔にはどこかうんざりとした嫌気がさしていて、鬱陶しいと思っていそうな気配を滲ませている。薬も道具も少ない時代、体を虫に蝕まれず済むのは本当に大事なのだけど、彼が鬱陶しく思った時の表情が豊かに見えて、伴侶への理解が深まる喜びを感じだ耀だ。
 あぁ梅雨が来るんだな、と湯に浸かり、帰る頃は以前よりも明るい雰囲気で、昼が長くなってきたなぁと見上げた空に、入道雲の子供を見つけて微笑んだ。何か黒い大きなものが空を駆けたが……烏かなぁ? と見送った彼である。
 寺に戻れば善持が再び豪勢な料理を並べ出し、捌かれた”うりぼう”が汁の中を泳いで見えた。猪の肉は初めてだなぁ、と、まじまじと眺めた耀を見て、善持が「美味いぞ」と椀に注いでやるのだった。

「あ……美味しい……」
「だろう? 俺ぁ捌くのが上手いんだ。臓物に穴を開けないようにするのがコツでな?」

 と。食事の席でするには悍ましい話だが、いつか自分も捌くかも、と思えば勉強の機会である。へぇ、と頷き、質問を考えながら、今度俺にも見せて下さいと言えた耀だった。
 当然、善持は喜んだ顔だし、やや後ろで聞いていた、穢れなき祓えの神は困ったような顔をする。殺生など穢れも穢れ、伴侶に勧めたいものではない。未だ半分、人だから、必要だろうと目溢しするが……だが、それも仕方のない事なのかも知れないと、穢れに穢れても正気を失わない、強い男を見るのである。
 瑞波の困り顔を他所にして、耀は一通り講義を聞いた。次は自分が留守にした間、寺で起きていた事を、善持から教えて貰い、畑仕事の具合も探る。耀は程よくそれらの話題が消えたところで、栄次の話を振ってみた。一方的に約束を取り付けられてしまったが、遊び相手は無理ですよね? どうしたら良いですか? 善持さん、と。
 素直に相談してきた耀に対して、善持は猪鍋を掻き回しながら機嫌良く「遊んで来い」と言う。

「え……」
「栄次がそう言うならば、大丈夫な気がしてきたぞ。お前の面構えが気に入ったんだろう? 良い褒め方だ。なら、良いじゃねぇか。俺も昔は集落のもんと、隠れて遊んだもんだしな」

 目に見えるところじゃ怒られっけど、山ん中なら目溢ししてくれらぁ。

「あっちの者(もん)も分かってくれてる。子供同士、遊ぶな、なんて言ったって無理だろう? 約束を守るのなんか難しい」
「はぁ……そういうものですか?」
「そういうもんだ。表向きはな、仲良くなんてしねぇけど。集落の者には相談できない悩み事があった時、こっそり相談しにきたりする、今でもな。俺と集落の男達も、そんな関係を続けてる」

 特に栄次は乱暴者だから、集落の子供の中じゃ浮いちまうだろ。お前が遊んでくれたらあっちも助かるし、お前なら変な事はしないだろうし。

「本当に危ない遊びは止めてくれそうだもんな、ヨウなら。なんなら面倒見てやるつもりで友達になってやったらいい。もしかしたら少しは落ち着くかも知れん」

 うん、それがいい、と納得してしまう養い親に、耀は困り顔をしながら”瑞波と同じ事を言われてしまったな……”と。

「でも、畑仕事とか……遊んでる場合じゃないような気がするんですけど」
「あ〜、もう植えるもんは植えたから、あとは草取りくらいのもんだろう?  根っこも殆ど抜き終わったし、そっちの畑は狭いしな。いい、いい、俺一人でもやれるから。遊んでこい、遊んでこい」
「…………」

 どうやら俺の負けらしい。遊び相手もある意味、仕事……? まぁ、そういう事ならば、と「分かりました」と返した耀だ。

「忙しい時は言って下さい。エイジにも手伝って貰いましょう」
「お、それは考えてなかったな! そのうち使わせて貰おうか!」

 栄次がどの程度、働いてくれるか不明だが、自分と同じだけ働かせようと考えている耀に対して、働いてくれたら儲けもん、と考えている善持である。互いの認識のずれには気付いていない、平和な時間がそこにはあった。
 この日も気持ちよく寝落ちした善持である。耀が帰ってきた安心感と、美味いものを腹一杯に食べた幸福感、心地良さがある。耀はそんな善持の気持ちを汲み取るようにして、お礼に片付けをして、日課に戻るのだ。
 湿度が上がったせいで、曇りの夜が増えただろうか。満月の日は入道雲の形を光が切り取って、輪郭に走る光彩に幻想的な空気が浮かぶ。昼の蒸し暑さを押し流すようにして、山から降りてくる冷気に一息つく夜だ。遊びに来た玖珠玻璃にも祝詞を読んでやり、長閑な夜を過ごした二柱と一人だった。瑞波はすっかり穏やかに向き合うし、理想的なようでいて、少しだけ嫉妬が浮かぶ夜。
 何処からか手に入れてきた剣(つるぎ)を携えて、玖珠玻璃は耀が習ってきた素振りを共にする。人間の耀は終わる頃には息がきれるが、涼しい顔の玖珠玻璃だ。そこも羨ましい点で、追いつきたいと願った耀だ。少し楽になる頃に、また九坂の家を訪ねに行こうと思う。
 裏山の神の話はもう少し待ってくれと返された。玖珠玻璃の知り合いの神が、少し待てと言ったので、更に知り合いの神々に聞いてくれそうな様子らしい。海を超えた先の陸には八咫(やあた)の烏が住むそうで、情報通だからきっと何か知っているだろう、と。
 咫(あた)とは手のひらの付け根から中指の先端までの長さ、つまり、親指と中指とを大きく広げた時の長さにほぼ等しくて、この長さを1咫と言い、平均十七センチから十八センチを表すそうだ。八咫とはその八倍、百三十六センチから百四十四センチ、随分と巨大な烏という事になる。
 はぁ、それはまた大きな烏……と単純に思った耀はまだ、神話における有名な導き手のそれと繋がらない。八百万の神が住むこの国の事である。あらゆるものが神であり、鳥の神も居るのだな、と。いつか綺世(あやせ)が語ってくれた亀の神様を思い出し、余程にこの国は、神が居やすい国なのか、と。
 この日、目を覚ました善持は少し興が乗ったようで、耀が向き合う銀杏の木へと拝む素振りを見せていた。その木の下に佇む神々に、気付いたとは思えぬが。神さんも良い夜を、と言われれば悪い気もしない様。二柱は黙って善持を見遣り、印象良く見送った。
 玖珠玻璃が帰り、逢瀬を済ませると、いつも通り耀は部屋で眠りつく。翌朝は早起きをして祝詞をあげて、鶏の世話、境内の清掃、お堂の清掃を済ませると、栄次の爺様にお経をあげて、ご本尊様へもお経をあげた。数日ぶりに戻ってきたので先に清掃をしたけれど、普段は経をあげてから清掃に移ったりもする。その辺は臨機応変だけど、それらが一通り終わる頃に、目覚めた善持へと挨拶をして別の事を始める耀だ。
 全く働き者だな……と、彼を眺める善持であるが、朝食を食べた後、少ししてからチラつく影に、おうおう、遊びに来たか、と昔馴染みの倅の顔を思う。全く気付いていない耀を呼びつけ、そちらの方を示してやるのである。
 栄次は善持の事を”話の分かる大人”と見たようだ。分かったら堂々と耀を遊びに誘いに出てきた。知らんふりをしてそっぽを向いて、山へ消えていく二人を見送る。気配だけを見送ってから、ちら、とそちらを見た彼だ。やっとヨウにも友達が出来るな、と、安堵する気持ちにも包まれた善持である。俺が死んでも友さえ居れば、少しはこの集落で生き易くなるだろうから、と。
 養い親の気持ちを知らぬまま、耀は新しい友達と山の中へ踏み入った。不意に思い出された浄提寺の記憶である。小坊主の皆と遊び尽くした夏の日を、懐かしく……懐かしく、思い出した耀だった。

お洒落な本を作るのが夢です* いただいたサポートは製作費に回させていただきます**