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君と異界の空に落つ2 第2話

 僧侶だろうが体格に恵まれたように見える男は、驚く耀を置き去りにして、先へどんどん進んでいく。その余りの豪胆さに耀は目を瞬いた。物言いたげな瑞波だったが、はっきり『嫌』とは言わなかったのだ。慌てて後を追って行くと、屋台でくし餅を買っていた。団子というには平べったくて、僅かだが味噌が塗ってあるようだ。

「ほらよ」

 男はずいと差し出した。勿論、自分の分も買う。
 寄進された銭なのだろうか。耀は想像してみたが、男の圧を感じた為に「ご馳走になります」と頭を下げた。そうして更に先へ進んでいくらしい、男の後を付いていく。
 この町には寺院があったらしい。彼の記憶にあるものよりも貧相に見えたけど、時代を考えれば十分だったのかも知れない。そもそも、前の世界において似たような歴史は習えども、界が違えば文化も違い、進度も進化の方向も、微妙に違って見えていた。どの程度、仏道が浸透しているのかも不明だし、前の寺で成された全てが他で通じるとも分からない。そこだけは客観的に受け止める用意が出来ていて、そういう意味では耀は十分、柔軟な思考の持ち主だった。
 足を止めた男を見ると、実は雲僧に見せかけて、こちらの寺院と同じ宗派の僧侶だったのかも知れない、と。けれど、知らん寺という風に、男は軒先だけを借りると、耀に「座れ」というようにまずは自分が腰を下ろした。

「…………」
「…………」

 無言で餅を食う。
 耀は相伴に預かった。
 先に食べ終わったらしい僧侶は、「亜慈(あじ)だ」と自身の事を紹介してくれた。

「耀(よう)です」

 漢字の部分は今は互いに置いておく。

「そうか。お前、俺の事を暫く眺めていただろう?」
「はい。嫌な気分にさせたなら、申し訳ありませんでした。小坊主をやっていたので、懐かしくなりまして」
「小坊主……? 見えなんだ。どこの寺に居たんだ?」
「此処より随分遠い寺です。お師匠様が亡くなったので……」

 仕える師匠が居なくなった。だから一人で旅をしている。そういう事にしておこう、と少年は考えた。
 お師匠様は自分の眷属として、亮凱(りょうがい)様と仲良くしているだろうけど、そこは人の世に説明する為、無難な事実だけを口にする。

「それは災難だったな」

 亜慈は同情してくれた。
 耀はどう呼ぼうか悩んだが、名前で呼ぶ事にする。

「亜慈様は一人で修行をしておられる方ですか?」
「まぁ、大体は。この辺を定期的に回って暮らし、業が深そうな奴を見かけると、知り合いの寺に連れて行ったりもする」
「業が深そう……」
「お前のような」

 ふと、見上げてしまった耀だった。

「いえ、私は……」

 と言いかけたのを、亜慈は手を振って「いい」とする。

「説明なんぞは不要なものだ。こう見えて俺もそこそこ視える。そうだな、別にお前の所為ではなかろうが、そういう運命だったのだろう、と、いう事にすれば生きやすい」

 耀は「はぁ」と思ったが、成程、この男はこういう男のようである。では聞いても良いのだろうか……? と、少年は考えた。

「亜慈様、視える、とは……」

 純粋な好奇心も含まれる。この人はどのくらい視える人なのだろう。お師匠様より視えるのか、お師匠様には満たないか。浄提寺では一番と言われていたお師匠様だ。実際は亮凱様が一番だったのだろうけど、大僧正様におかれても素晴らしい才能の持ち主で、この人はどの辺りに来るのだろうかと、見当をつけたくなったのだ。
 同時に、外に出てみないと分からない事もある。世間一般と比べたら、あの寺の人達は、一体、どの位に凄い人達だったのだろうか、と。
 耀の素直な質問を聞き、亜慈は可愛いものを見る目を向けた。

「幽霊や悪鬼悪霊だな。何だ、お前も視えるのか?」
「あ……い、いいえ。私には視えませぬ」

 同じ小坊主をしていた綺世(あやせ)は、俺より才能がある、と言ってくれたが、未だにそういうものには出会さないし、だから姿を目にした事が無い。

「ですが、上の役職の方が、俺に見つからないように、あちらが隠れてしまうのだ、と教えてくれました」
「何だそれは。自慢か?」
「え?」
「そう取られる場合もあるという事だ」
「は、はぁ……」

 展開の早い返しを聞いて、耀はそれしか言えないが、耀が語った話を聞いて、亜慈は考察したようだ。

「確かにお前は”怖い”かも知れん。禍神が巣食って視える」
「え……?」
「お前の此処だ。とんでもないものに寄生されているようだぞ」

 と。
 とん、とん、と指先で、亜慈は耀の胸を突(つつ)くのだ。

「あ……こ、これは、私が望んだ事ですし……定期的な祓いを受ければ大丈夫なものだと聞いております」

 まぁ、直ぐ側には専門の神が控えているし、ただ、言えない事だから適切に説明するだけで。一応、自分は安全な存在です、と、そちらの人らしい亜慈に説明してみせた。
 聞いた男は口を尖らせ「むぅん」と唸ったようであり、「祓うにも銭が要るだろう?」と当然の事を聞いてきた。
 盲点だった耀は再び、素直に”きょとん”という顔をしてしまい、矢張り子供なのだな、と、相手に思わせたようである。

「何処へ向かうつもりだったのだ?」
「特には決めておりませんが、取り敢えず南の方へ向かうつもりで」
「どうやって食い繋いできたんだ?」
「家々の手伝いをさせてもらったり……」
「中々聡い小僧だな。いつからこの生活を?」
「盆を過ぎた頃からです」
「……それで今、此処までか?」

 はい、と耀が頷けば「逞しい小僧だな」と。
 現に今の時節を思えば、悠にふた月は放浪生活だ。そして南に向かうと聞けば、この子は冬を越す気だ、と。

「体もしっかりしているし、受け答えも丁寧だ。一人で生きるのは辛かろう。何処かの寺でも紹介してやりたいが」

 一瞬、大僧正様……と顔が浮かんだ耀だけど、その人には、どうにも困ってしまった時は、遠慮せず助けを求めなさい、とも言われている。その場合は出身を隠せばいいのだろうか。耀、という名も漢字を変えればいけるだろうか、と。紹介して貰えるかもと期待しただけ、頭をよぎる問題を早々に片付ける。
 亜慈にも耀が期待している事が伝わっていたのだろう。何を言わずとも童子の視線に、活力が戻ったように見えたから。

「行くか?」
「はい。可能でしたら。ひと冬だけで、構いませんので」
「ひと冬とは言わず、居られるだけ居ればいい」
「いえ。ええと……はい。そうですね」

 苦笑で誤魔化した耀の事を、亜慈がどう見たか知れないが。それでも親切なその僧は、知り合いの寺へと、本当に彼の事を紹介してくれるつもりらしい。

『耀乃(あけの)……』

 背後から、か細く届いた声へ向かって、耀は人が居る手前、頷きだけをしてみせた。果たして亜慈が気付いたか、どうなのかは知れないけれど、亜慈は耀を引き連れて直ぐに町を出ようと動く。

「暫く歩くが、慣れているな?」
「はい」
「腹が減ったら野草を食うが……まぁ、いい勉強だろう。この辺で食えるものも教えてやる」

 有り難う御座います、と返した耀だけど、意外にも亜慈との道中は為になる事ばかりであった。
 まずは勝手知ったる大人に添う事で、その人なりの”歩き方”というのを勉強できた。耀はしっかり者の師匠に修行を付けて貰った事で、生活のあらゆる事が修行になると学んだが、それは師匠かあの寺の意向であって、他所に移れば他所の流儀がある事に気付くのだ。
 少なくとも亜慈という僧侶は余り遠慮はしない様。それは悪い意味ではなくて、むしろ堂々たる修行僧なのである。道端に墓石があれば足を止めて読経をし、地蔵や仏像があれば必ず合掌をして見えた。往来の無縁仏に困った人等が見えたなら、率先して遺体を運び、土に埋めて読経を施した。
 耀には耳慣れない読経の言葉だったけど、仏道と一つに纏めても、流派は色々あるのである。後ろで同じように合掌して過ごしたが、誰もやりたがらない事をやってくれる亜慈に対して、人々の視線や言葉は存外優しいものだった。
 当然、何処にでも例外は居て、片付けをしてくれた亜慈に対して、怒声や石をぶつける者も居たけれど、亜慈は慣れた雰囲気で無視をして、酷過ぎれば「じゃあお前がやるか?」と凄んでいたのである。死体に触りたくもない、埋める土を掘りたくもない人等はそれで、完敗するように散って行く。
 もしかしたらそれすらも亜慈独特の歩き方だったのかも知れないが、近しい小坊主が亡くなった時、骸を抱いた耀である。久しぶりの遺体だな、と、思ったのはそれだけで、何の縁もない仏様を供養してやろうとする亜慈の姿勢には、それはそれで尊敬出来る部分が大きい、と考えた。
 一番は、亜慈の体が大きい事だろうけど、安全上の意味合いが増える事も知っていく。加えて、大人が居る事で自分の警戒が少しで済んで、随分気を張っていたんだな、という事にも気が付いた。
 軽い言い方をするのなら、僧侶のような変わった存在は、一定層に絡まれる、と思い込んでいたのだが。成程、時代なのかも知れない、暇な人間も然程に居らず、良い意味でも悪い意味でも他人など気にしている場合じゃないのだ。人々は何かしら朝から晩まで動いて見えて、そうした事にも気が付いた、自分の”余裕”も知っていく。
 はっとして奥行きを見れば、緩やかに晩秋へ向かう季節である。山々の色はくすんで黄金に傾いて、道端の田んぼの稲は穫られて干されている最中だ。蜻蛉の背中も赤いものが増えてきて、蝉の声も消えたな、と、急に寂しく思い出す。
 日暮になると亜慈は決まって人が集まる場所へ行き、似たような理由によって野営を始める人達と、互いに協力するように寝床を確保する。付近で食べられる草を採集すると、懐から麦を出した。もっぱら麦雑炊にして耀に振る舞ってくれたのだけど、味付けはいつも同じ、麦味噌だった。それでも滲み出る草の臭いは消えないが、味噌がある事に感動していた耀である。
 食べられるなら何でも良いし、亜慈は雲僧をやることで、堅苦しい精進料理からも離れていたらしい。明日には着く、と教えられた最後の晩餐に、耀に川魚を振る舞った。
 思わず、良いのでしょうか? と戸惑った彼である。こっそり自分だけ食べるならまだしも、僧侶に勧められると箸が止まる。

「食べ過ぎは良くないだろうが、たまには食べねば体を壊す。肉も同じよ。煩悩に繋がると言われているが、俺は現世で自分がそこまで成せるとは思っていない」

 それにお前はまだまだ小僧だ。食え。そして俺のように立派な体を手に入れろ。
 言われて目が覚めた耀である。
 師匠には旅に出ても修行は続けろと匂わされていた。樹貴(たつき)に貰った祝詞(のりと)も朝晩、瑞波に読んでやっている。町中で僧侶を見つけては目で追ってしまうくらいには、自分はそちら側の人間なのだと思い込んでいたけれど、よくよく考えてみたのなら、目的はそちらでは無い筈だ。

 瑞波と共に生きる事────。

 自分の目的はこちらである。
 温暖な地域に移り住み、魚でも獲って生きられたなら。
 自ら考えていた事に、どこか罪悪感めいたものがあった事にも気が付いた。気が付いたら少し笑えて、やっと微笑が浮かんだらしい。
 はい。

「はい。そうします」
「うん」

 亜慈は微笑し(わらっ)た耀を見て、何だ、可愛い奴だな、と、漸く気付いた顔をした。気付いた顔で、あぁまずい、と薄闇の中で曇らせる。
 結局、言うか言わないか、日が明けても悩んでいたが、朱色に塗られた寺院が見えて、後ろの耀へ呟いた。

「おい、耀」
「はい?」

 と、名を呼ばれてきょとんとなった。

「あー……その……だな。今からあの寺を紹介するが」
「はい」
「もし、嫌だと思う事があったなら……」
「はい」
「迷わず逃げろ。俺の面子とか、気にしなくて良いからな?」

 気まずそうな亜慈の様子から察するに……と。耀は直ぐにその事に気が付いた。まぁ、ままある社会が此処である。浄提寺でもそれなりに見聞きしていた事だから、襲われさえしなければ何て事ない話だが。

「分かりました。有り難う御座います」
「お、おう。本当に気にするな?」

 余りに軽い返答を聞き、亜慈は「分かってねぇな、こいつ」と思ったようだ。亜慈より詳しい事を知っている、とは思い至らなかったようである。
 だけど、人それぞれ、生き方もそれぞれだ。亜慈の昔馴染みも、結局好んでそっちへ行った。それで修行が出来なくなる訳じゃなし、尼僧を奴隷かのように扱う寺院に比べたら、まだまだ平和で業も少ない場所である。
 人に寄るがな……と内心呟く亜慈の後ろで、祓えの神の尊顔に青筋が浮かんでいたとは思うまい。

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