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君と異界の空に落つ2 第21話

 知り合いの拝み屋……そうか、善持の知り合いか。耀は我に返って戸板を閉める。食べかけの食事の前に戻ったら、自分と善持の間に座る女性の事を、残りを食べながら無言で見たようだ。
 食べ終えた善持はいつも通り釜の湯で、耀の為にと女性の為に、椀を増やして茶を入れる。鬼婆と言う割に、迷惑そうにする割に、彼は彼女の事となると、それなりに世話を焼いてやるらしい。
 彼女の方も善持の飯を貰うのが、いつも通りの事というように自然体。だから、あぁ、この人が困ったら頼りに行く拝み屋さんか、と。二人の不思議な関係を窺うように見遣るのだ。
 汁物と和えご飯をかき込んで、たん、と茶碗を置いた女性は、追加で置かれた茶を飲むと、満足そうに息を吐く。

「いつ食べても美味しいね。来て良かった。お持たせもよろしく」

 図々しいように聞こえる声も、頬の米粒で台無しだ。つんとした目つきの鋭い気位の高そうな女性だが、頬に残った米粒が”抜けている事”を如実に示す。
 善持もそれを見たようで、ため息を吐きそうな気配を醸し、鬼婆と呼んではみても、迷惑そうにしてみても、面倒見てやらなきゃいけないよな、と、思ったような気配を醸す。
 女性は女性で、きっと彼に怒られた事が無いのだろう。善持に本気で怒鳴られたりとか、嫌がられたりした事が多分、無い。だからずっと図々しいまま、自然体で居られる訳だ。自然体で居られる分、彼女はそれなりに、善持の事を好いているのが見て取れた。少しは好ましいからあのように、急に怒鳴ってきた流れ。怒りとは心が近くなければ発動しないのだ。どうでも良いなら誰も何も言って来ない。
 ふう、と満足そうに女性が正座を崩した為に、耀はいつも通りに食事の椀を片付ける。自分の分と善持の分、増えた女性の分も合わせて、井戸の方へ持っていき、水に浸けて汚れを浮かす。
 直ぐに戻っては気まずかろうか……ゆっくりしゃがんだ耀である。桶に張られた水に触れ、水面に”の”の字を書いた。

『耀』
『ん?』
『私、少し離れていましょうか?』

 何で? と思った彼だけど、『あぁ、拝み屋さんだから?』と。

『気になるならそうして良いよ』
『気になる訳でもないのですけど……』

 両手を揃えて上品に立つ瑞波であったから、そわそわしている様子も見えて気を遣った耀である。気になる訳じゃないとは言うが、苦手な部類なのかな? と。

『銀杏の所で待ってなよ』
『えぇ……そうですね、そうします』

 しゃなりしゃなりとするように、離れて行った瑞波だった。
 家に背を向けていたから遠慮なく喋っていたが、余りに遅すぎてもな、と、立ち上がる。洗うのはもう少し汚れを浮かせてからだから、善持と女性が待つ家へ戻って行った。
 二人は互いに悪態をつきながら、それでも子供の目には仲良くして見えた。善持は面倒臭そうに、女性はキツい物言いで。会話だけ聞いていたなら喧嘩をしているようだけど、二人共どこか楽し気で緊張感がまるで無い。
 これはどういう関係だろう。穏やかな人達のそれしか見た事のない耀は、静かに家に入って端の方に座り込む。暫くして、あぁ失敗したな、これはあのまま外に出て、時間を潰してくる方が正解だったかも知れない。そう思い始めた頃に、興味が耀へと戻ったようだ。

「あんた何処から来たんだい?」
「ヨウ、だよ、ヨウ」
「ヨウ? へぇ。あたしは”さえ”。二つ隣の町に住んでる」
「あ、はい。初めまして。宜しくお願いします、さえさん」
「ヨウは都の方から来たんだよな?」
「はい」
「へぇ。都のどの辺だい?」

 さえの自然体は男のようで、足をかっぴらくように胡座をかいて聞いてくる。当然、着物で隠れているので際どい訳では無いのだが、いつも上品な瑞波と居るだけに、唖然としたような気持ちもあった。嫌だと言うよりは斬新だなという意味で、女性らしさを見せない女も珍しい、というように。
 少しは驚く訳だけど、そこは耀、何事も寛容な方である。見ていても見ていない空気を装って、「都から三日ばかり歩く距離だと聞いていましたが、実際どの辺だったのか、地名は聞いておりません」と。

「十分、上方(かみがた)じゃないか、えぇ? 地名は聞いてない、って。不思議な子だね」

 ”おかか”と”おとと”はどうしたんだい? 親戚だって居ない訳じゃなかろうに。これを聞いて初めて”さえ”が、普通の女性に見えてきた。

「物心つく頃には、寺に預けられておりまして」

 決めている自分の物語を、しれっと返した耀だった。
 さえは「寺ぁ?」と口にして、耀の事をまじまじと。

「あんた、もしかして視えるのかい? こっち側の人間かい?」

 善持が触れずにいた事に、あっさり触れていく”さえ”である。
 っ……と固まる耀を見ると、さえは直ぐに分かったようだった。

「あんた……良い拾い物をしたじゃないか」

 善持の方を向き、本気で思った声を出す。
 どうしようかと焦った耀が腰を浮かせかけたけど、善持はあっさり「そう思うか?」と、さえの言に乗っていく。

「何処まで視える? お化けかい? 妖怪かい?」
「え……っと……」
「おいおい、困らすな。仲間が出来て嬉しいのは分かるがな」
「仲間なんて生易しいもんじゃないよ。力があるなら、あたしが弟子として、一から育て上げるんだから」
「あぁ? お前にはやらねぇよ? ヨウは俺の息子なんだから」
「そんなの知るかいね。視えるもんなら視えるもの同士、仲良くやった方が幸せさ」
「んな訳あるか! 飯もろくに作れんくせに!」
「これからはヨウが作ってくれるから平気さね!」
「か〜〜〜っ! お前、目的はそっちの方だろう!? 自分が出来ない事を全部ヨウに押し付けるつもりだろ!? やらん! お前になんかやらんぞ! 絶対にやらんからな!!」
「煩い! 善持の分際で! 今まで何度も助けてやったじゃないか! 子供の一人くらい譲らんね!!」

 二人とも本気で”むきぃ”とヒートアップするものだから、「あ……あの、喧嘩は……」と、止めに入る耀である。

「あんたはどうなのさ!? 視える”おかか”の方が、視えない”おとと”より一緒に居たら安心出来るだろう!?」
「え……いえ、俺は善持さんの方が……」
「ほれ! ほれ見ろ! 俺の息子だ!!」
「キィィッ!! ずっと欲しかった弟子なのに!! 嫌だ嫌だ! 絶対に善持には譲りたくない!!」

 譲るも何も……と耀は冷静に思ったが、ちょっとだけ二人の関係が見えてきた。それに、返事も未だなのに”視える”と断定されたのも、困るといえば困るのだけど、善持は”それでも良い”訳だ。それが嫌ならあっさりと、さえに押し付けている筈だから。
 少し……否、大分、嬉しく思った耀だった。
 適当だけど、緩過ぎるけど、この人は俺の事を本気で育てようと思ってくれている、と。こんなに大変な時代であるのに、見ず知らずの妙な子供を、我が子として育てようとしてくれているのだ。耀でなくとも嬉しいし、誰にでも出来る事じゃないから。純粋に尊敬しただけ、心が温まる。
 此処に来るまでに散々、断られてきた耀だから、働きます、とお願いしても、断られる辛さを知っている。労働力として子供の力など、たかが知れている上に、飯が要るから邪魔なだけ。
 もしかしたら此処でもそのうち、都合良く扱われるだけかも知れない。それは捨て切れないけれど、好かれていないなら、こうまで言わない筈なのだ。人の世も捨てたものじゃない、と、思えたような気がしたし、集(たか)られる善持の事を助けようとも思った耀だ。

「あの、さえさんさえ嫌で無ければ、偶にいらっしゃった時に、術など教えて頂けたなら有り難いのですけれど」
「じゃあうちに住みなさいよ!!」
「え……それは、ちょっと……女性とどう暮らしたら良いのか分かりませんし、出来れば俺は拾ってくれた善持さんに恩返しをしたいです」
「ヨウ……!!」
「キィィッ!!」
「さえ! いつまでも癇癪を起こしてないで、ヨウを見習え! 折角お前に習っても良いと言ってくれているのに、お前ときたら……!!」
「じゃあ泊まっても良いのね!? 難しい術だとそれなりに日が必要だから、私の部屋も用意してもらうわよ!?」
「部屋ぁ!? お前……どこまでも図々しいな……?」
「俺が借りている部屋で良ければ、さえさんに譲ります」
「ヨウ! そんな気は起こさなくていい! 物置があるから、そこを空けりゃあ良いだろう」

 善持が面倒臭そうに言うと、ぴたりと癇癪を抑えた”さえ”である。

「泊まって良いの……?」
「何だよ。必要なんだろう?」

 うんうん、と頷きはするものの、その視線は子供そのもの。お泊まり会を許された、子供そのものの顔である。
 あれ? この人……? と思った耀の視線が、ふと彼女の左手に落ちていく。どうしてそこを見ようとしたのか、自分にも分からない。彼女の左手小指だ。そこに薄らと”糸”が見える。
 薄ぼんやりと見える”糸”は、何処かで視た事のあるものだ。未(ま)だ神に成れない自分の負担にならないように、凪彦が水晶玉へ繋げ、と言ってきたものに似ている。亮凱様とお師匠様を水晶に繋いだ時に、視たものに似ているような気がした。
 小指……と思って、その糸の先を辿る。糸は所々消えかけながら、近くの善持に繋がっていた。善持の左手小指に繋がって視えたのだ。

「…………」

 あ、とも何も言わずにそれを視ていた耀である。

「う……」
「う?」
「嬉しい……!」
「はぁ……?」

 心底嬉しそうな”さえ”に対して、訳が分からなそうな善持である。さえは自分の家に居なければ仕事を請けられないだろうに、仕事を放っておいても良いという調子に見える。だから「はぁ?」と思った彼だが、これで静かにしてくれるなら、安いものというか、いくらでも。
 じゃあ次に来る時は準備をしてくるわ、と、さえは機嫌が良さそうに立ち上がる。そのまま静かに帰るのかと思いきや、土間へ向かうと釜からご飯を取って、残ったおかずを中に詰め、握り飯をこさえたようだ。勝手に竹の皮も取り、包んでしまう。
 やり放題という感じだが、善持は見て見ぬふりだ。竹皮の包みを二つ作ると大事そうにそれを抱き、さえは笑顔で「また来るわ!」と戸口を開けて出て行った。

「ヨウ、悪いが閉めてくれるか」

 ぐったりしたような善持である。耀は「はい」と返して、「ついでに茶碗を洗ってきます」と。おう、と背中に聞きながら、その人がさえに奪われた、昼飯を確認するのに動いた気配が漂った。
 茶碗洗いから戻ってくると、僅かに残ったおかずを避けて、善持が夕飯の準備を始める様子が見える。いつもなら残りは夕飯に回すから、無くなった分、作らなければと思ったらしい。耀が「善持さん、優しいんですね」と言いたそうな顔をしていたからか、善持は独り言のように彼にごちる。

「あいつ、下手くそなんだよ。飯を作るのも家を片付けるのも。俺は面倒臭いだけだが、あいつにはその才が無い。だから何処へも嫁げん訳だ。ただでさえ拝み屋なんて怪しい仕事をしている上に、”かか”をやる才能が無いんだからな……まぁ、可哀想な女だよ。いつ見ても棒切れみたいな体して……まぁ、飯を分けてやるくらいならな。あぁ、そうだ。拝み屋の修行とやらも、適当にして良いからな?」

 ありゃ性格も難ありな女なんだ、見ていて分かったろう? 善持が悪気なく言ってくるのを、「あぁ、えぇと……」と濁した耀だ。

「そんなに悪い人ではないかと思いましたよ」
「本当かぁ? お前……良い奴だな」
「いえ……善持さん程では……」
「いや、お前の方が良い奴だ。あ、ヨウ、今晩、風呂入りに登っていくか?」

 はい、そのつもりです、と返した彼へ、善持が「ついでに竹藪を見てきてくれないか?」と。

「手前ので良いから。筍が育っていたら俺が掘りにいくからよ」
「分かりました。筍掘り、俺も手伝いますよ」
「やった事あるか?」
「あります。前の場所でも小坊主達の仕事でした」

 へぇ、と顔を向けた善持はもう一つ、思い出したように耀に問う。

「そういや、ヨウ、お前ぇ、お化けとか見えんのか?」

 余りに取って付けたような話しぶりだったから、耀も「うぇ!?」と変な声が出た。

「見えないなら”さえ”の修行など、只の迷惑だろうがよ」
「あ……あぁ、まぁ……」

 それより気になる事があるが、善持は振り向いて”どうなんだ?”という顔である。耀は一応、冷静を装った。狼狽えてはいるけれど、真面目に話さなければならないだろうか、と。

「お化け……には、逃げられるようなのですが、それらしいものは視える……と思います。妖怪は……まだ会った事が無いので……あ、でも、付喪神なら会った事がありますね」

 葉月の独楽(こま)を思い出した耀である。元気だろうか……と思った顔へ、善持は軽く「ふぅん」とだけ。

「じゃあ困った事があったらお前ぇに相談出来るな。さえは腕は立つみてぇだが、如何せん、あぁいう性格だから」

 面倒臭ぇ、とあからさまに言ってそうな善持に”くすり”。
 お役に立てれば良いですけれど、と、軽く返せた耀である。

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