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君と異界の空に落つ2 第57話

「栄次……」

 途端に、場の空気が緩む。

「後でな。俺、神様と話がしたいんだ」
「お、おう。だけど……おう」

 何か言いたげだったけど。
 その表情が輝いたので、考えている事は大体分かったような。
 耀は改めて女神へ向くと、太刀を床に突き刺した。

 『嫌だね。物騒だねぇ』

 眉を顰めた女神が語る。
 柄に巻かれた紐を見て『おや?』という表情を浮かべたが、僅かに身を引くと耀を煽りにいくようだ。

『あたしを斬るのかい?』
『時と場合によるかな、と』

 瑞波の前に出たものの、勝てる気はしていない耀だった。

『遊ぶにしては随分、悪趣味じゃないかと思って』

 貴女のそれは弱い者虐めだろう? と。
 金の目を真っ直ぐ見遣り、耀は蜈蚣の姿をとった女神へと言い放つ。

『栄次の事を虐め過ぎだし、瑞波にも酷い脅しを言う。遊びなのに肩を射られた俺は一体何だろう? と』

 女神は耀に目を合わせ、やや黙り『そうかえ?』と。

『余裕があるのだから良いのでは、と。その方が肝が縮んでお前達も楽しいと思ったの』

 全く意に介さないよう、しれっと返してくるのである。

『楽しくない。俺達は怖いばっかりで。早く遊びを終わらせて、貴女と交渉したいのに』
『交渉? ふぅん? あたしはもう少し育った方が好みなんだけどねぇ』

 子供じゃ足りないよ。長さも大きさも。そういう趣味は無いから、もう少し大きくなってからおいで。
 手のひらをひらひらと、あらぬ事を言った女神である。
 栄次は「何言ってんだ……?」と理解できない風だったので、子供に聞かせる話じゃないな、と嘆息した耀である。瑞波に至っては”ギリッ”と奥歯を噛んだので、気付いた女神が『気に入りの子を穢されるのは嫌かい?』と、余計におちょくる姿も見せた。
 栄次の次は瑞波か、と。落ち着け、という意味を込め、耀はそちらに声掛ける。

『瑞波、俺はお前しか抱かない』

 余りにあっさり、はっきりと、普通の調子で言うものだから。
 言われた瑞波も、聞いた女神も、そのまま聞き流す所であった。
 ふっと気付いた瑞波の頬に、ふわりと薄い紅が浮いて、それを見た女神の方が遅蒔きに気付いた体である。

『────あら? あらあら? え? あぁ、そうなの?』

 身を引くどころか身を寄せた女神は、爛れた怖い顔で言う。
 今度は耀が意に介さずに、『俺が言ってる交渉は、相談の方の話し合い。貴女に頼みたい事があるんです』と淡々と述べていく。

『なぁに?』

 と返した女神の顔は、やっと下々の民達を見据えたような顔だった。

『子供の命をこのように弄ぶだけならば、以後は違うものと交換して欲しいのです。例えば、もう少し立派な社、集落の作物や、年に一度の祭りだったり……貴女の都合も考えますから。どうか、俺とそこの栄次も取るのを辞めて欲しい』

 一応、慮って丁寧な口調を心掛けたけど、大太刀を床に突き刺して、畏れる事なく語る耀の姿は、一人と一柱を対等な立場に見せていた。
 よくぞここまで畏れる事無く……と、瑞波は緊張しながら耀の背中を眺め遣る。神を呑んだ耀だから、半分は神の筈なのに。それとも逆に半分だから、怖さを感じずに済むのか、と。
 女神は別段気にする事なく、『子を取るのをやめろと言うの?』と問うた。耀は『いいえ』と始めに返す。

『他のものと交換して欲しいのです』

 と。

『他の、人では無いものと交換して欲しいだけなのです。欲しいものがあるのなら、貴女の意見を聞きますので』
『ふぅん。でもそれは難しい話だねぇ。初めに持ちかけてきたのはそちらじゃないか。あたしは食べてしまったし、貰った子も大事にしてるのに』

 こんな事をされたら信じられない。
 耀はばっさり切り捨てる。

『本当よ? お前達は活きが良さそうだから、遊んでみたくなっただけ。沢山優しくするもの、あたし。泣かれた事なんて無いわよ』

 と。
 思わず『その形(なり)で?』と言ってしまった耀である。
 女神は”けらけら”と手を添えて『これは余興よ』と返すのだ。

『こういう蜈蚣とか大蛇とか、人は怖いものなんでしょう? 死人の顔も怖いと聞くし、合わせたらもっと怖いんじゃないかしら? って』

 こう見えて美神なのよ、あたし、と。またしてもしゃあしゃあと、女神は歪な蜈蚣の体をくねらせてみせるのだ。
 ううん……と耀は黙って、胡乱な目で見つめてしまう。瑞波は納得した顔で、だからか……と、そちらを見ていたが。

『子供を貰わないのは駄目よ。あたしが狂ってしまうもの。狂ったら全部食べてしまうわ。だからどちらかは食べなきゃね。二人とも返すのは無理な話よ。ねぇ、それともよ。もし二人とも食べられてくれるなら、暫く耐えられると思うけど』

 次に貰う子は暫く先になる。どうする? と返した女神の声に、身を竦ませた栄次である。
 耀は『それでは困る』と言った。
 何故、子供を食べなければ狂ってしまうのか。

『耀……あの……私達は、ですね……』

 瑞波が説明してくれるらしい。

『一度人を食べてしまえば、人が持つ穢れから、心や神格の部分が狂ってしまうのです。ですが、一度味を覚えると、抜け出せなくなってしまうらしい。人の魂は程よくも、磨き抜かれて力があるから』

 滋養に近いものがあります。本来なら出せない筈の力を、出せる”薬”にもなるのです、と。
 幼い神が妖怪に唆されて、人を食べてしまった事があります。神代の時代、天津神に対抗しようと、泣く泣く自分が守護する土地の民を食した者も居るのです。人の方からお願いされて食べる事になった神も居る。純粋に民の願いを叶えてやろうと思ったら、毒とは知りつつも、口にするしかない神も居る。

『お話を聞いてしまえば、まさにこの方は、人の方からお願いされて食する事になってしまった方かと。穢れすら呑んでしまうような凪彦様ほどの胆力も無いとすれば、食べたくなくても食べなくてはならない”体”に変わってしまっているのかと』

 どうしようもない事で御座います。私でもこれだけ大きな方の、永く積もった穢れの元を、吐き出させる事は難しい。

『幸い、食べても正気を保つ力はお持ちのようなので……』
『このまま女神様が狂わぬように、子供をくれてやれと言う?』
『そういう意味では御座いませんが……えぇ、それが一番、無難であります』

 狂えばたちまち大神達が武神をこの地に集めるでしょう。この方は豊穣の女神様でありますので、もし討ち取られるような事になれば、暫くこの一帯は実を結ばぬ不毛の地となりましょう。
 下を向いて語る瑞波は、耀が自分の言葉に憤るのを、予め知るように、肩を小さく呟いた。耀は怒る、と知っていて、神としての感覚で語るのだ。良く無い事ではあるけれど、此の儘が最も”平和”だと。
 耀は確かに憤ったが、どちらが良いとは言えない事情。子をやらぬ方が勿論良いが、土地が枯れると死人が多く出る。結局、最初に死ぬのは子供になる訳で、瑞波の言いたい事を分かった上で、ぐるりと憤る。
 加えて、自分と栄次が二人、犠牲になるのは避けたい道だ。善持に「戻る」と伝えてきたし、師匠の”さえ”の事もある。武術も剣術も学び足りぬし、瑞波とまだまだ一緒に居たい。
 ぐるぐる回る思考の中で、耀は女神に『吐き出せないか?』と言った。

『吐き出す? 子供達をかえ?』
『穢れの元を』
『それが出来たら苦労はせぬよ。あたしだって覚悟を決めて食ったんだ』

 瑞波が耀に説明するのを、おやまぁ、と聞いていた女神である。余りに”綺麗”だったから、穢れを好まぬ男神だと思ったが、よくよく道理を分かっているのに、そればかりで居られぬ事も知っている。
 だから少し譲歩した。それが出来るならあたしだって、あんたらに力を貸してあげるよ、と。聞いた耀は瑞波の方を向き、祓いきるのにどれだけ掛かるのかを聞いていく。

『途方もない時間が掛かります。貴方が五十年を生きるとし、十や二十で効かない程の生まれ変わりが必要になる程です。その間、私が祓い続ける為に、人を求めて暴れる彼女を押さえつけておける方が必要です。この方は大神の中の大神に匹敵するお方……貴方が呑んだ神のように、国掛かりの仕事になります。私と貴方の二人では到底……』

 弱い神ですみません、力足らずですみません、と。
 伏し目がちにした瑞波は申し訳無さそうに、耀に頭を下げるのである。

『それ駄目、瑞波。頭なんか下げないで』
『ですが……』
『瑞波の所為じゃないから。俺に力が無いのが悪い』

 女神は此処でも”おや?”と思う。
 目の前の男はどうも、出会った事の無い気質のようだ。これは面白いかも知れない、と、ずいと体を寄せていく。

『ねぇ?』

 間近で声を掛ければ、瑞波がびくりと震え上がった。
 別に恨みがある相手じゃ無し、睨んでもいないのに。

『お前、あたしの腹を殴ってみないかい?』
『────え?』
『殴ったら”気持ち悪いもの”を吐き出せるかも知れないだろう?』

 蜈蚣の細かい足の他、首から肩をにょきりと出して、生白い女の腕で腹を撫でた女神である。

『あたしの腹を祓ってみなよ────?』

 微笑みを湛え女神は言った。

『そんな事……』

 瑞波が慄けば『じゃあ、仕方がないね』と語る。
 ぬぅん、と蜈蚣の背を伸ばし、殴りたくなるようにしてあげようじゃないか、と。

『うふふ……! あはは……! あはははは……!! どうせ体は死なぬのだ。思う存分虐めてあげる。あたしを殴りたくなるように……剣でも太刀でも何でも使え。早う逃げねば八つ裂きぞ?』

 ざわざわざわと蜈蚣が走る。
 長い胴がぐるぐると。
 ひっ、と悲鳴をあげた栄次だ。
 一方だけの襖が開く。

『逃げよ。逃げよ。十(とお)は数えてあげようね』

 ぱん、と扇を打ち鳴らす。
 色艶やかな飾り紐。
 親骨に通った滝の房。
 舞姫の檜扇(ひおうぎ)に似た、女神の武具を前にして。
 耀は太刀の柄を取ると、栄次の手を引き、駆け出した。

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