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君と異界の空に落つ2 第9話

 その地方に細(ささ)やかな徳を落とし、また放浪の身となった耀と瑞波だ。気持ちの方は切り替えたものの、耀は黙する事も多くなり、人里から離れた山の中を行くようになる。
 まだ山の中には山菜やきのこ、あけびに山芋、胡桃に橡(とち)の実と。彼にも食べられそうなものがあり、順番に手に入るそれを糧として細々と生きていた。
 大きな川を見つけては釣りをしようかとも思ったが、貴重な針を折るのは忍びなく、糸の強度も心配で。ならばと簗(やな)を使った漁を思い浮かべてみたのだが、竹を切る鉈も無く、竹を纏める紐も無く。せめて網があればなぁ、ガサガサくらいは出来そうだけど……と、冷たそうな川を眺めて、恋しそうに魚を思う。
 まだ自分でもどうすれば良いか、他人(ひと)に世話になっても良いのか、と悩む部分があるので降りないが。山で冬を越そうにも、もう少し豊かな山が良く、どうするか、どうしようかと、その日暮らしを続けてしまうのだ。
 対する瑞波は人の穢れに触れる事が少なくて、心なしか機嫌が良く、体調も良いようである。山は清浄な場所が多く、力を受け取れる場所も多い。社を持たぬ神々が深山に隠れている事もあり、一つの所に留まらない瑞波にしても、こうした環境の方が居心地が良いらしい。
 耀が食べられそうなものを探してくれる姿を見ても、生き生きとして愛らしく、そうした事が見て取れる。そうした姿を目にする度に、耀の心も癒えていく。

 瑞波は愛らしい。改めて日の下(もと)で見て思う。

 透き通る白は幽玄で、結い上げた髪がさらりと落ちて、耀を見つめる瞳など恋する乙女のそれである。裾の長い着物を美しく捌く様は、天女様か女神様……いや、男神様の筈だがな、と。
 俺は女の方が好きだったんだけど。調子が戻ってきた耀は、自分の頭の片隅に気持ちがあるのを知りながら、それでも男神の瑞波に見惚れてしまうのは、仕方のない事なのだろうし、不満は無いし……だから彼の伴侶になるのだろうと思うしな、と。そんな事を考えて、柔らかに彼を見た。耀の視線が優しくなると、瑞波はもっと優しくなる。それもあって山での生活を、だらだら続けてしまう所があった。
 背が並ぶまで生きられれば良いのに、と。きのこを炙って彼を見て、いつもはどんな風に過ごしてきたか、何気なく互いを確かめる。あの寺での事もあり、気持ちが癒えてきてからは、対話を大事にするべきだ、と、耀は気付いたからである。

 瑞波の生まれは北東の方らしい。

 それこそ凪彦を親分とする、彼の領分で目が覚めた。
 凪彦の次か次くらいには古い……由緒ある神らしく、国津神でありながら祓えを得意としていたらしい。ただ、彼はこの通り、表に出るような性格じゃない。だから自分の領分で、ひっそり暮らしていたのだと。
 天孫を始めとする天津神との統合の折、この時も表に出ずに静かに過ごすつもりで居た、と。けれど予見の神が居て、瑞波の存在がばれたのだ。
 そもそも、階位に組み込まれる神は、社を持つ神である。組み込まれるか拒否をするか、神のうちでも噂があった。偶に凪彦の社へ行けば彼を頼ってきた神が、彼に頭を下げていたり、彼の胸ぐらを掴んだり。穏やかじゃない空気をもって、瑞波なりに理解したそうだ。
 それでも社を持たない自分は、関係ないというように。一定の距離を持ち、神世の”うねり”を眺めていた、と。
 そんな時、珍しく凪彦が訪ねてやってきた。凪彦には特殊な力があって、瑞波の居場所が分かるらしい。何度か似たような事があり、見つかるのは諦めてしまったが、諦めるより凪彦は瑞波が好きなものを持ってくるので、この時もむしろ期待する方の気持ちになったと言う。
 凪彦は瑞波に美しい着物を持ってきて、喜んだ彼が着替えると、髪を複雑に結ってくれた。仕上げに髪飾りを挿すと、耳飾りも付けてくれ、白い帯がついた神楽鈴を持たせてきた、と。舞ってくれ、と頼まれたので、お礼に瑞波は舞ったらしい。なんだそれは……と少しだけ妬ける気持ちになったけど、そこへ天船(あまふね)に乗った遣いの神が降りてきた。
 聞けば、瑞波が舞っているのを天から眺めていたらしい。祓えの三神にも劣らない、清めを見て胸を打たれた……と。噂の神世の編纂に、是非加わって欲しい、と請われてしまう。それなりの地位を用意するから、是非に頼もう、是非に、と語る。
 大した事は無いと思っていたから、祓えの神々の従僕に、瑞波を連れ去るつもりだったらしい。男神と聞いたから、あわよくば彼女らと番える、と。一度に三姫貰えるならば、下僕になっても構わぬだろう。そう、天津神側は考えたそうなのだ。
 けれど、貴方は彼女らに勝るとも劣らない祓えの神だから、従僕だなんて勿体無い。この時は神の世界の方も、男神が優位な社会であった。何なら瑞波は、特別な立ち位置である、彼女達を今の地位から降ろせるかもしれない男神である。そんな男神を連れて帰れば、自分の地位も上がるかも。頭が良いのか悪いのか、御遣いはつらつらと。瑞波を怒らせるには十分な理由を吐いてきた。

 聞いた時、耀は率直に『何それ』と。

 実際は瑞波が素を出す前に、凪彦が遣いに向けてあの大太刀を振ったらしい。だろうな、と言うか、凪彦への好感度だけ、やっぱり上がった耀だった。
 御遣いは命からがら逃げて行き、一連の出来事を上に報告した。天孫との契約で、人側は天孫の血脈を、神側は太陽神、天照様を天上に置く。けれど、それらを決めたもっと上の存在が……天司(あまつかさ)という名を持った首領神が存在し、それは派手に凪彦と戦ったらしいのだ。
 戦うと言っても天津側は、元々がそこそこに秩序ある世界から来た神だ。争いの真っ只中という帯にあるこの世界において、国津側に生まれた凪彦と太刀を振り合い、真っ向から戦えるような存在では無かったらしい。
 耀は『へぇ』と思ったが、この場合の天司の武器、戦略というものは、力ある神の編纂統合、再配置、禄や武器、格の再分配……そういう事であったらしい。つまりは給与をやるから就業しろ、というものだ。それでいくと凪彦はフリーランスの立場だろうか。超有能な個人事業主。高天原(たかまのはら)に乗り込むシーンは、お前の会社を潰したる、か。
 耀はそれを想像し、少しだけ笑えるような気になった。
 瑞波は聞いているようで聞いていない耀の隣で、淡々と不満を述べていたけど、話の流れだけ理解した。それから更に色々あって、瑞波の場合、神々の会合は”都合が付いたら行く”という、簡単な約束で済ませる事が出来たらしい。祓えの三神、女神達の手が開かない時などは、力を貸すから、その代わり、普段は自由を貰う、という。このような約束で平和に解決し、それ以外の場所で神々とは付き合わない事にした、と。

 ふと、何で? と思った耀だ。

 何で? と聞いた耀へ、『しつこい神々が居るのです』と。
 あぁ、瑞波は美男子だから。女神が放っておかないね。何気なく呟けば、女神も嫌ですが、男神も嫌なのです、と。
 目が……思わず耀の目が、点になった瞬間だ。

『え。瑞波……それって、男神にもモテるって事?』

 此処でも何気なく言ってしまった。
 知らなかったから、耀は言ってしまった。
 多分、大きな地雷だった。
 あんなに顔を歪めた瑞波を見たのは、後にも先にも、その時だけだっただろうから。
 瑞波は今回の耀のように、男に狙われていたのである。え……神様……? と、耀が思ってしまう程。
 成る程。だから瑞波は神々と付き合わない事にした、のかと。

『でもさ……』

 此処で耀は、もう一つ地雷を踏みそうになる。
 はい? と澄まし顔の瑞波を見たら、界を渡ってきた程だ。相手が男なら誰でも良いというタイプじゃなくて、耀じゃなきゃ嫌だ、という明確な気持ちがあるのに気付く。だから誤魔化すように言うが、内心は中々こそばゆい。まだ何も好かれる事をして無い訳で、瑞波はそんな俺の何処に惚れる予定なんだろうか、と。
 この時代にあって、それだけ優しく、懐が深い耀だから。およそ瑞波が嫌う部分を見せないでいてくれる男性(ひと)だから、好ましい、愛しい、と思われている事に気付かない。
 でもさ、の続きは、たわいもない話に繋いだ。本当に瑞波は凪彦くらいしか、友神が居ないらしいと知っていく。まめな瑞波は、一度会ったことのある神ならば、その気配が分かるらしい。年に一度、神々の寄り合いに招かれるような神達だ。そうした神達は社に祀られている事が多いので、自由な瑞波のように、その辺に居たりはしないけど。
 その他の神で瑞波より”強い”神は、この国には余り居ないらしい。だから、他の神の気配がしても瑞波は逃げられて、瑞波より”弱い”神ならば、自分の神威(しんい)で伏せられる。
 動けなくしたり、出てこられなくさせたり、と。威圧のようなものだろうか。神々の階級も、中々パワーな世界だな、と耀は苦笑したようだ。

『ですので、耀』

 瑞波は語る。

『気をつけなければならないのは、私が会った事のない、名のある神と……その昔、私がそれから逃れようとしたように、力を持っておきながら神々の編纂から逃れた神……或いはその力を以て隠れた神……』
『え。待って。多くない?』

 率直に”多い”と感じた説明に、瑞波はにっこり微笑んで。

『当たり前ではないですか。この国は神の国。清き水が湧く、豊かな大地。八百万(はっぴゃくまん)の神が息づく、豊潤の地なのですから────』

 と。
 八百万(やおよろず)────。
 耀の脳裏に、富める神々の姿が浮かぶ。
 住まう世界を互いに重ね、共に歩もうとした神々の。
 柔らかく微笑む瑞波の顔は、それを飾るに相応しい。

『そうか……此処は神の国か……』

 つられて笑う耀の隣で、祓えの神は微笑んだ。

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