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君と異界の空に落つ2 第14話

 耀はあっという間に寺での生活に慣れていき、道具の場所、掃除のやり方、教えればすぐに身につけた。鶏の世話も畑の世話も楽しいようで、境内と本堂の掃除が終わると大抵そちらで遊んでいる。
 掃除が好きではない善持はこれ幸いで、次第に綺麗になっていく家も好ましく眺めやる。洗い物も食事が終わると耀がさっさと持ち運び、井戸の前で水に浸けたと思えば、いつの間にか洗われている。洗濯も嫌いではないらしく、汚れた着物を置いておけば、洗って良いかと聞かれた後に、庭に干されて乾いて見える。
 おいおい、妻(かか)を持つより楽じゃないか……と思ったが、必要に迫られた時にしか何事もやりたくない善持からして、耀がやりたくてやるのだから……と、いずれも見て見ぬふりだ。ただ、飯を作る事だけは好きなので、お礼に美味いものを食わせてやろう、そういう気持ちは働いた。
 耀は文字も読めるどころか善持より知っていそうである。経文を読ませてみれば、発音が少し違うくらいだ。そんな瑣末な問題を気にするような集落でもなく、今直ぐに死人が出ても自分より動きそうである。
 本当に、良い拾い物……予想を大きく超えた良い拾い子なのである。夜は飯が済めば片付けをして、善持の部屋の手前、居室の明かりを頼りに書物を読むようだ。外が完全に暗くなり、土間の炭も消える頃、善持は部屋へ戻って寝入ってしまうので、それに合わせて下(しも)を済ませて自分の部屋へ戻るらしい。時間を置いて戻るのは、銀杏(いちょう)の木と話しているからだ。夜の闇が怖いから一緒に来てとも言わないし、都の方から一人旅が出来た理由も分かる気がした。
 集落の人間は、余程何かに困らぬ限り、誰も登って来ない寺である。春、夏、秋の山菜を採る以外、善持は一人で気儘な生活だ。米は藁と共に集落の人間が分けてくれ、困り事のお礼だったり死人の世話の礼だったりと、多くはないけれどぼちぼち手に入る。これから飯(まま)をたくさん食べる子供が出来たので、少しは頑張らなければならないが、そろそろ手付かずだった横の斜面の開墾を、春からやっていくかと思った善持である。取り敢えず豆があれば何でも出来る。豆の面積を増やそう、とも考えた。
 冬の一番寒い時期、耀が藁が欲しいというので畑の小屋から出してやる。善持は藁を床に敷き綿の入った着物を布団代わりにしているが、耀にも仕立ててやりたいなぁと、銭を稼ぐ算段も付けていた。短い間にそう思えるまでになったのだから、どれだけ彼が耀との生活を気に入ったのかが窺える。
 集落の人間とは仲が悪い訳ではないけれど、必要な時以外、ほったらかしにされるのは、人として少しだけ寂しいものがあるからだ。善持はそれが分かる程、聡い人間ではないけれど、分からないなりに一抹の寂しさがあったのだろう。自分の言う事を何でも素直に聞いてくれる存在は、救いというより彼の心の満たしであった。この子は俺が死ぬまで側に居てくれると信じきり、自分の体が動かなくなった時、子供に与えて貰えるように、今から沢山与えておかねばならない、と。
 こうした心理を利己的と取る人間も多いだろうが、与える事なく死ぬまで搾取を続ける人間の方が多いのだ。与えたつもりで取り上げてしかいない人間も実は多い。ある意味、善持の無意識の考えは、自分の将来に対する保険であって、血の繋がりの無い者同士の等価な行いなのだと思う。耀からすれば、子供の体を搾取しないでくれるだけで有り難い。等しく”人”として扱ってくれるだけで有り難い訳だから、そこに計算があろうと無かろうと、どうでも良い事なのだけど。
 善持は初めに思ったよりも集落の人間へ、うんと耀を持ち上げて紹介してやろうと考えた。気持ちはもう自慢の子供を持った親の心情で、誰かが登ってくるのを待つより、俺が降りた方が早いだろうか、と。気の長い彼においても、皆に紹介したい気持ちが、日に日に逸(はし)るような冬だった。
 善持とて、この集落の事情には嫌気が差す時があったけど、坊主を担っている分は、少し特別な立ち位置だ。俺の仕事を継いでくれそうな子供を見つけたぞ、という、細やかな自慢も少しはあった。それを自慢に思うのは彼だけだっただろうけど、少なくとも継ぎ手が居るのなら、集落の人間も、安心するだろうと思ったからだ。
 寺は緩やかに曲がりくねった坂道の上にあり、大人の足で走った時でも少しだけ時間が掛かる。今日こそ降りようか、でも用事が無いしな、と。だらだらと好きに過ごす善持は、日々、そこを行ったり来たりした。不思議には思ったけれど、耀も見て見ぬふりだ。
 その耀も新しい生活に慣れ、徐々に警戒が解けていく。
 急に食材が足りなくなったり、薬味に使う分の他、善持は畑仕事も含めてして欲しい事が無いらしく、耀の方も日がな一日、暇である。毎日決まった場所の掃除をしろとも言われずに、その日や日々、自分が気になった場所の掃除をするだけで良い。食器洗いも率先して耀がやっているけれど、善持が重い腰を上げた所が既に整っている場合、嬉しそうな顔をして食事作りに熱中する。
 そう。この人はどうやら料理が一番好きらしい。初めの日、卵かけご飯を頂いた耀だけど、醤油に初めて出会って感動していた彼である。味噌は豆味噌と麦味噌を頂いてきたけれど、塩の他に醤油というのは初めての事だったから。醤油の歴史は魚醤が古く、穀醤は後の方である。海辺を通らず山ばかり来て、その所為もあったのかもしれないが、てっきり味噌から滲んだ汁だと思っていた為に、味に違いがあるのを知って”醤油だ!”と感動した訳だ。
 横になれば寒いけど、浄提寺があった場所よりも、余程暖かい地方である。冬の籠りも少しで済んで、畑の野菜も凍らぬとなれば、成る程、出来る事が増えるようで、善持は料理にそれを注いだ。どうやってこれを作ったのですか? と何気なく聞いてみれば、たまに来る旅人から聞き齧った話が初めだったと言う。食べた事が無いものと知れば、是非とも食べてみたくなり、そこから書物を求めて名主の家まで行ったりと、料理に関する事ならば、どこまでも腰が軽くなる。そうした気配を彼の話に雰囲気として感じ取り、敢えて厨(くりや)の諸々に耀は手を触れずにおいて、善持が好きでやる事の邪魔をしないように心掛けた。
 それが良かったか、全ては善持の性格か。今までの旅の辛さが嘘のような生活で、警戒心が解けると共に子供に返った耀である。
 まず、畑の鶏が可愛い。畑の野菜を食べられたらたまらないので、鶏小屋は小川を挟んだ対岸に、畑に背を向けるように建てられている。善持は柵の代わりに低い生垣を作っていて、天気の良い日の昼の時間は朝から小屋の戸を開けてやる。それなりに広い鶏の庭には雑草が生えており、足りない分は料理から出た野菜くずを持って行って足してやる。ただ、善持が「持っていけ」というのは主に大根や乳草で、味の濃い野菜は絶対にやるなよ、と。玉葱や葱や韮を見て言ったので、彼が目の前でそうしたように生垣の外に生えた雑草を、刈り取って同じように中へ入れてやる耀だった。葱が駄目なら野蒜(のびる)も駄目だと見当がついたので、刈る時もそれらの葉っぱに注意して与えてやった。むしろ野蒜は善持が美味しく調理してくれるので、それを狙って抜いていた所も少し、ある。
 畑の世話も似たようなもので、雑草が生えていたら鶏にやれる餌なので、耀は楽しく抜いていた。多分、種を取る為なのだろう、それぞれの野菜の成れの果てが一定の間隔で植えられて、このようになるのか……と観察するのも楽しかった。善持に種が溢れている、と報告すれば、じゃあ拾って乾かしておけ、と言われたのでそれらも拾う。家の縁側に笊を並べて、数日乾かしてから、畑の小屋へと保存していくようだった。春になったら畑を広げるぞ、と独り言のように呟いていたので、耀もそのつもりで”まめに”種を拾い集めた。
 立派な柱の本堂を中心にして、反対側、銀杏の木より南側にある墓地の奥。山の斜面に面する手前に何本かの柑橘と梅の木がある。善持は酸っぱいものは苦手なようで、食べたかったら勝手に食え、と耀に言った。手入れを余りしないせいか、どちらも枝が伸び放題だ。剪定という作業が必要なのでは……耀は実を貰いながら『そのうち枝を切らせてね』と口にする。後ろに控える瑞波が微笑んだ気配がしたので『瑞波も食べる?』と聞いてみた。頷く美人を見上げたら、二人で銀杏の木の下へ行く。
 此処は集落の寺なのだろうが、人は殆ど来ないようだ。善持も率先して挨拶はしなくて良い、と語っていたし、そんなものかと耀は思う。綺世(あやせ)に”俺よりも才能がある”と言われていたが、開いたらしい見えない蓋も、本当に開いたのか怪しいものである。あれから凪彦や瑞波以外の神を目にしていない上、人霊も未だに視ないから。
 酸っぱい柑橘を食べながら、瑞波とぼちぼち、墓地を眺め遣りながら不意に思った。集落の人間が此処へ寄り付いていないのを、多分、健全、と思ったからだ。死者と生者の関係は、少し距離があるくらいで良いのだろう。
 ただ、気になる部分も多少はあって、この墓場には塚が多い。墓地に入る前にある一番手前の塚は、善持が手入れする塚だそうだ。案外、一番大きくて、それは彼が殺めた動物達の為のものであるらしい。罠師でもある彼は山の獣を狩りにいくので、頂いた生命(いのち)への感謝と供養をする為のものだそうだ。この辺じゃ狩りをする者は似たような塚を建てるものだぞ、と。時代なのか地方だからか、そうした”気持ち”の面が厚い場所なのだなと考えた耀だった。
 当然、畜生の塚と人の塚は別にする。下に見る訳ではないが、仏道では六道輪廻、畜生道とは人間道の二つ下になるからだ。愚痴の心を持つ者や恥知らずな心を持つ者、弱い者を虐めた者や畜生を虐めた者、生きているうちにそうした事を行った人間が、死後、向かうとされるのが畜生道である。其処へ落ちてしまうと仏の声が聞き取れぬ故、抜け出すことはほぼ不可能であると説かれるものである。お師匠様の説法では、恐ろしい話と聞いた耀だが、全てはこの世での行いへの報い、そう言われたら何も言えなくなった。
 神である瑞波も動物へは一定の距離を取る。虐める訳ではないけれど、明確な距離があるようだ。聞けば、特定の畜生を好むゆえ、社に囲う神も居れば、逆に社へ畜生を伴う人を毛嫌いする神も居ると言うし、神の世においても人と神と動物は、相性、礼儀と様々なものがあるらしい。瑞波は動物と戯れる耀を”愛らしい”と見るようだけど、自分からは近付かないので矢張り祓えの神”らしい”。生活に余裕が出てくると、そういう事も見えてきて、少しずつ理解を深める耀だった。
 経文の方も一通り読み、少し訂正をされたくらいだ。あとは後ろで聞いて覚えろ、そのくらい善持は対応が緩い。文字も俺より知ってらぁ、と愉快に笑い、教える手間が省けたな、と物置の書物を指差した。好きに読んで良いからな、と言われた通り、夕方の暇な時間を読書に充てていく。書物はそれなりに難しく、この地方の歴史のようだった。旧字もあるので悩んでいると、後ろから瑞波が教えてくれる。勿論知っている字だけだけど、それでも大分有り難い。分からない文字を耀は指で自然と合図して、善持が眠るまでの時間を穏やかに過ごすのだ。
 春一番の風が吹き、日に日に暖かくなる頃に、耀の腹の穢れを祓う瑞波の方にも変化があった。それまでは朝昼晩と三度の祓えをしていたが、朝晩の二度の祓えで済むようになったらしい。

『耀の力が増したようです』
『力?』
『自浄の力ですね。貴方の体は余程この国と相性が良いらしい』

 じぃっと彼を見つめる瑞波は不思議そうな顔をして、凪彦様は貴方へ与える為に、余程、貴方とこの国と、相性の良い人間の体を取っておいたのでしょうかね……と。途端に恐ろしい話になるので、へぇ……と濁すしかなかったが、凪彦って一体……と謎が深まるばかりである。
 彼の言葉を聞きながら、穢れへの自覚が無い耀は、日に三度の祓えより二度になって良かったな、と。単純に思う事にして、有り難い、と処理をした。
 春一番より暖かい風が吹き、寺はようよう動き出す。しっかりとした春の訪れを感じるものは山菜だ。浄提寺(じょうだいじ)でも小坊主達が蕗(ふき)の薹(とう)を摘んだだろうか。境内をふらりと動く善持が「おぉい!」と呼んだので、一緒になって山の斜面に頭を出した蕗の子供を、土から掘り起こすようにして集めた耀だった。
 夕飯は天麩羅だった。時代にそぐわず瞬(またた)く耀だ。

「美味いぞ、俺の自信作だ」
「油……そんなに……凄いですね……?」
「これが食べたくて、まめに菜種を潰すのよ。だが壺から油が逃げて、年々減っていっちまう」

 今年は菜種も増やすかな……と善持は箸を持っていき、相伴に与る耀だった。蕗の薹の天麩羅は美味かった。楤(たら)の芽と丈弥(じょうや)の事を思い出す。

「あの、明日、楤の芽を探しに山に入っても良いですか?」
「お? ヨウ、楤の芽を知ってたか」
「はい。以前、居た場所でも自分の仕事だったので。ついでに温泉に入ってきても良いでしょうか?」

 良いぞ、楤の芽は山の神の山に多い、気を付けて取って来いよ、籠は好きなの持っていけ、と。耀が採ってきてくれる事を、善持は思いの外、期待したような顔をした。
 では、今日は早めに休みます、と、耀は食事に専念する。共に食事を終えた後、洗い物に出た耀が、家へ戻ってくると善持は弁当を差し出した。弁当と言っても昔ながらのそれである、大きな笹の葉で包んだ、梅干し入りの握り飯。

「残りもんだが、持っていけ。俺は寝てるかも知れんしな」

 有り難うございます、と瞬く耀を見て、にかっと笑った善持である。

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