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君と異界の空に落つ2 第4話

 亜慈が居なくなった後、彼の言葉を気にしたのだろうか。和尚は怪しい性格なれど慎重らしく、「一応、祓っておくか」と適当な事を口にした。
 浄提寺では除霊や浄霊、或いは鎮魂の意味合いを持つ、ご供養、という言葉を使うのが多いだろうか。祓う、というのは神宮から預けられてきた、樹貴(たつき)のような神職が用いるものである。
 修行が中途半端な耀には”浄化”と”清め”の差も分からぬが、除霊と聞けば人に取り憑いた死霊なり悪霊なりを、取り除いたり、納得させて成仏して貰う類のもので、祓うのとは別物であるのは分かる。瑞波がするように、穢れだったり良く無い縁を、綺麗にしたり、始末する意味合いで使うのが”お祓い”だ。
 耀は仏像の前に動いた”和尚様”を見て、ほんの少し身構えた。
 身構えたけど、いやいや……と謙虚な心も働いた。
 視えていないのに視えると装うだけで、”嘘つき”という訳でもないかも知れない、と。例えばこの人にとって”除霊”と”祓う”は同じ感覚のものであり、そうで無いなら本当に”穢れ”を認識している場合もある。単に身を置いている場所が”寺院”なだけで、本当は神職の系譜に乗る人かも知れない訳だ。聞いていないから分からない事を推測するのは自由だろうが、決めつけてしまうのは良く無い事じゃなかろうか。だからこの人を嘘つきと思うのはやめておこう、保留にしよう、と。
 そもそも、亮凱(りょうがい)様だって子供の頃からお師匠様の事が好きだったと語っていたし、同性同士の関係にも理解があった。だけど寺では一番の能力者でもあって、隠していたけど中々荒い修行まで成せる人らしい。つまり、性的嗜好は能力や修行とは関係ない。目の前の和尚様は、幼児趣味なだけである。
 自分の身に降りかかるかもしれない大事な話だろうけど、耀は謙虚に考えた。凄い人かも知れない、という、一縷の望みに賭けるように。
 和尚が仏像に礼をして、”りん”を手に持ち、鳴らした時、自然と”お勤め”の姿勢になった耀である。染み付いてしまったもので、合掌も自然としていたが、見ていた弟子は慣れた様子を知ると、僅かに興味を持ったよう。何処かで似たような生活をしていたとするならば、自分が教える事は少なくて済む筈だ。案外、楽かも知れない、と思い始めた。
 和尚様は当然のように読経に入ったようだ。
 あ、お経だ、と思った耀は、合掌したまま目を閉じる。
 仏道ではこの時の右手を彼岸、あちらの世界とし、左手を此岸、つまり、こちらの世界とおいている。清浄と不浄、仏様の世界と現世を合わせ、成仏の祈りにするという。樹貴も少し語っていたが、神道でも右が”上”らしい。だが、それは人から見た時に逆になる。だから柏手を打つ時は右手を少し下げ、良い音が鳴るように合わせるそうだ。
 耀はこれを聞いた時、意味合いで使い分けよう、と考えた。例えば瑞波に捧げる朝晩の祝詞では、神道の作法に合わせて拍を打つ。亡くなった方や供養の意味合いでするのなら、仏道に合わせて合掌をするというように。
 慣れた事をしていると、気持ちも落ち着いてきたようだ。
 お経だと思ったものは、途中で真言に成り替わる。
 実はそちらも効率的に、厳しく勉強させられたクチである。凪彦に記憶を戻して貰い、過去を思い出してみても、お師匠様ほどスパルタな人は中々居ないと思うのだ。十歳くらいの子供に渡す宿題の量じゃない。今なら冷静に突っ込めるけど、そのおかげがあるから言えない……気がする。何故なら無言で聞いているこの寺の和尚の真言は、何の功徳を願っているのか分からなくなってきているからだ。
 あれ? 俺はお祓いを受けてる……筈だよな? と。それは文殊菩薩様の真言である……だなんて言えない。
 経文を聞いて落ち着いていた心音(こころね)だけど、色んな意味で高鳴ってきて、耀の頭は疑問だらけだ。
 自分には何も悪いものが憑いていない筈なので、本当にただの気休めというか、姿勢にしかならない訳だけど、例えば除霊をするつもりになってその真言を唱えてしまうという事は、この和尚様、最初に感じた通り、問題のある人なのではないのか……? と。
 きっちり合わせた合掌と、歪みない姿勢だけ、維持する事に努めた耀である。和尚様はそれらしく真言を唱えた後に、経文に戻したらしく、りんを鳴らして”勤め”を終える。
 う゛う゛ん゛! と、喉を鳴らして空気を変えるらしい。

「どうじゃ? 体が軽くなったろう」

 向き直り、得意げにする和尚様が、耀を見て口を開いた。

「私の経は良く効くからな。お前の不調も直ぐに治るだろう」

 全くきりりとした顔で神妙に語ってくる訳で、付き合わされた耀の気持ちは「は……はぁ……」という風だけど。
 えぇと……此処は空気を読んで……と、頭を下げた耀である。

「ど……どうも有り難うございます……」
「うむ。おい英章(えいしょう)、まずは部屋へ案内してやれ」
「……はい」

 見た所、二十に満たないお弟子さんだけど、耀が浄提寺でお世話になった同じ年頃の先輩よりも、何処と無く子供っぽいというか自制出来ない人のようで、彼を部屋へ案内するまでも、荒さが目立つ人だった。
 耀は傷んだ本殿から、奥の部屋へと案内される。道中も色々と家屋の傷みが見て取れた。雨風が凌げるだけで、有り難い事だと思う。不満を言っても仕方ない、と、彼は自分の心を律した。
 案内された部屋は部屋というより物置で、雑木林に一番近く、湿気があって黴臭かった。けれど、それで一棟だから贅沢と言えばそうであり、少し掃除を頑張れば、良い城になると思われた。

「お前の部屋は此処だ。片付けは全部お前がしろよ。今日は時間をやるが、明日の朝からちゃんと手伝え。布団だけは干しとけよ。小便はあっちの林に、大便はあっちの穴にだ。体洗う時は直ぐそこの川を使え。あとお前の荷物を見せろ。変なものが入っていないかを確認する」

 え、あ、はい、等と話を追った耀だけど、この時ほど自分の荷物を小分けにしていて良かったと思った事はない。師匠が持たせてくれた大人用の葛篭(つづら)だが、山を降りて直ぐの頃、大人の不穏な視線を感じ、瑞波が早々に「私が持ちます」と言ってくれていたのである。
 他にも荷物を持たせているので、彼の負担を鑑みて、一応、断ってはみたのだが……耀も、ならず者に近しいような大人の視線に気付いてからは、素直に提案を受け入れて、入っていた手拭いに少しの銭と、分けて貰った野菜を詰めた、小さな荷物に変えていた。
 つまり、彼が斜めに掛けた小さな荷物の中身には、僅かな銭と、暫く前に貰ったきりの茄子が二つ。亜慈が取っておけというので使う事は無かったが、そろそろ調理をしていかないと腐りそうな萎びた茄子が。
 英章はむんずと掴んで、これは貰う、と言った後「お前……銭なんか持っていたのか」と、訝しげに問うてきた。

「あ……はい。お師匠様が……」
「師匠? どっかの寺に居たのか?」
「はい。此処よりずっと遠くの寺ですが……」
「何だよ。破門にでもなったのか?」
「いえ……亡くなってしまわれまして……」

 此処でも”師事する師匠が亡くなった”と、決めた理由を説明した耀である。英章は流石に黙るが、「銭を稼げる寺でどうして?」と。

「住めなくなってしまったのです」
「……追い出されでもしたのかよ?」
「え? えぇと……そのようなもので……」

 具合が悪く濁した耀だが、「お前みたいな小僧でも追い出されちまうのか」何かを思った顔をして、彼は小さくごちていた。強欲な和尚を見れば、英章も分かる事がある。
 どの組織にも仲間内、派閥というものがあるように、耀の師匠は大きなそれに睨まれるか何かしていたのだろう。居なくなった事をこれ幸いと、敵対する大人達は考えたのだ。弟子を放逐する事により、死んだ師匠に仕返しできる、と。その者が大切にしている者の扱いを酷くする事が、最も効率の良い復讐方法であるからだ。現に弟子はこうして苦労を強いられている訳で、しょうもないこの寺に流れ着いてしまった訳で。
 だからといって同情する気持ちは湧かない英章だったけど、そんなに虐めなくてもいいか、と、気持ちは少し優しくなった。自分より可哀想ならば、優しく出来るから。和尚の相手も暫くは、しなくて良いとも踏んでいた。

「銭……困ったな……どうせ見つかったら取り上げられるし……盗人に仕立てあげられて追い出されるのも嫌だしなぁ。おい、お前、一先ずこれは隠しとけ」
「え?」
「持ってる、って誰にも言うなよ? 隠しとけ」
「はぁ」
「和尚の弟子は俺の他にあと二人。兄さん達は今お勤めで、近所まで出てるんだ。夕方には戻るから、そん時に会えるだろう。俺は英章(えいしょう)。一番上は陽岬(ひさき)、二番目は尚路(しょうじ)兄さんだ。怒らせたら駄目なのは陽岬兄さんの方だからな? 俺は庇わねぇし、そのつもりでいるんだぞ」
「はい……」

 一度で覚えるのも難しい名前だが、じゃあな、と去っていく英章を見て、直様、床の埃に呼び名を書いた耀である。ひさき、しょうじ、えいしょう、と字をなぞる。あちらの世界の仮名文字である。こちらはまだまだ漢字が多い。
 急に二人きりになった部屋の中で、耀は暫くぶりに瑞波の方を見た。

『付き合わせてごめんね。瑞波はあんまり好きじゃないよね? 此処』

 何せ、積もった埃のおかげで床に字を書ける程である。綺麗好きな祓えの神には、見るのも辛い空間と読む。

『いえ……ずっと屋根のない場所での生活でしたから、貴方の体が休まるのなら、このくらい我慢してみせます』
『うん。有り難う。正直ね、冬を越す自信が無かったんだよね』

 寒さで熱が出てしまったら、薬も何も無い場所だ。子供の体では、あっさり死んでしまうだろう。一度で瑞波と同じ存在に成れるとは思っていないけど、最初の冬も越せないのでは、体を貰った意味が無い。
 凪彦にはこの国に生まれた子供の体に入る事で、次からはこの世の輪廻に乗れると聞いてはいるけれど、次に生まれる時代がいつになるとも知れないし、あんなに独りは嫌だと嘆いた瑞波を待たせると思ったら、どうにも可哀想になり、できるだけ長生きしなければ、と。どうしても強く思うのはその点だ。
 出来るだけこの体を使い、この世に生き長らえる事。危ない橋は渡りたくないし、瑞波を悲しませる事もしたくない。

『どんなに南に行ったって、食べ物が簡単に手に入るかも分からないし……その前にこの辺で、少し練習しておかなきゃな、って』

 と。

『もちろん、身の危険を感じたら、あの人の言う通り、迷わず逃げるつもりだよ? 尻に挿れられるのは痛そうだしさ。ちゃんと足掻いてみせるから』

 だからちょっとだけ我慢してね? 俺、此処も直ぐに綺麗にしてみせるから、と。
 早速、今日の寝床を作りに動き始めた耀の背へ、瑞波は堪(こら)えた顔をして、心配するような視線を向けた。

『分かりました。耀がそう言うのなら。私は何もお手伝い出来ませんが、せめて貴方を見守らせて貰います』
『え? うん、助かるよ。変な気配を感じたら、早めに教えてね?』

 はい、任せて下さい、と、瑞波は戸口に立ったきり。
 それを見た耀は手早く布団を奥から発掘すると、さっさと外へだし、天日に掛けた。寝る場所を作る為、荷物を一旦、土間に置く。寺の敷地を散策し箒を見つけると、耀はそれを拝借し、手早く塵を掻いていく。英章は直ぐそこに川があると言っていたから、箒を返した次は水を入れられる桶を借りた。どうしても布の類を見つけられなかったので、仕方なく荷物を入れていた布を使って水拭きをする。
 夕方になる前に、寝所くらいは作れたが、半日天日に干したとしても、虫の類が気になってくる。

『ねぇ、瑞波……この布団、まだ虫がいそうだよね……?』
『虫?』
『そう。あ、えぇっとね、布に居着く虫が居るんだよね。中には吸血してくる奴も居てさ、もしそれに巣食われてたら、俺、体が痒くなって困るんだけど……』

 神に壁蝨(だに)の類の事は分かるまいとの気持ちで言うが、あぁ、と瑞波は納得をして、自分の手を、ぱん、と叩く。
 本当に軽く鳴らしただけだが、その圧が掛かった場所が、僅かに視えた耀だった。え、もしかして……? と布団を見ると、瑞波は何でも無さそうに。

『これで大丈夫だと思います。虫くらいなら、消せるので』
『え……あ……そういうもん……?』
『はい。虫くらいなら、私にも』

 貴方の体が食われないで済むのなら。お安い御用です、と彼は言う。
 一寸の虫にも五分の魂……少し思った耀である。でも、そうか。相手は神か。まぁ、そういうものなのだろう、と突っ込まない事にする。

『有り難う。助かるよ』
『はい』

 と返した瑞波の顔は、役に立てた事に対する喜びで一杯だ。

『耀、祓わせて下さい』
『うん。毎日、有り難うね、瑞波』

 いえ、と恥じらう祓えの神は、また穏やかに腹に抱きつき、耀の中から滲む穢れをあっという間に消していく。

「おい! 飯だ!」
「! はい!」

 本殿に通じる廊下の先から、英章が叫んできたので立ち上がる。
 夕餉は玄米の雑炊に、耀が持ち込んだ茄子とレタスの煮物、焼かれたキノコ、と豪勢だった。レタスはこの時代、乳草(ちしゃ)と呼ばれていたらしい。キノコを見て自分の特技を思い出した耀である。
 和尚が勢いで引き受けた、という新入りの顔を眺めやり、帰ってきていた兄弟子が、穏やかならぬ感想を抱く。一番は、冬を前に、どうして穀潰しを引き取ったのか。自分達の飯が減る。それだけの価値があるとは思えぬが、それだけの価値にしてやろう、と思われた雰囲気だ。
 耀はそうした彼らの気持ちは分からなかったけど、歓迎されていない事だけは把握出来たようである。
 頑張らなければいけない、と思う。
 無駄に虐げられないように。
 こうして彼の寺での修行が、新たに始まった。

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