村上春樹とマティスの天命職
こんにちは、すっかりご無沙汰しております!
2023年は公私共に色々あり、ゆっくりブログを書いている余裕がなく、気づけばもう9月。
夏休みが終わり、娘たちも学校へ行き始め落ち着いてきたので、久々に綴らせていただければと思います!
今年の前半は怒涛でして。
風の時代が本格的に始まり、追い風なんだか向かい風何だか分からない風がビュービューと吹いていました。
さあ軽やかにいきましょう!と言われても、どうやって?と言う感じで。
まず2月に夫が崖から落ちて大怪我を。
命に別状はなかったのですが、前歯が4本無くなりました。
そして5月に私自身NFT詐欺に遭いました。
生まれて初めて詐欺のショックは大きく、盗られた額も少なくなく。
おかげで作品を作る気力をすっかり失ってしまったのでした。
(もう少し元気になったら、その辺りのことを詳しく記事にしたいなーと思っています)
あまりにもショックが大きいと、自ずと行動が内向的に。
新しいグッズを作ろうと思っていた熱も一旦冷め、オランダ在住の姉に会いに行こうと思っていた旅行もキャンセルしました。
7.8月は猛暑到来と共に、平日は仕事以外、娘たちと一緒に家にこもっていました。
今年の夏は本当に暑かったですよね。
毎年夏バテしている身としては、とても外に出る気にはなれず。
まさに雪国の冬時間を、家で過ごす感覚の如くでした。
子どもの夏休み中は図書館へ行って、本をたくさん借りてきました。
その中に、今の自分の心情に必要な一冊の本に出会いました。
村上春樹さんが2017年に出版した「騎士団長殺し」。
村上春樹さんは昔から好きな作家さんで、主要作品は読破。
「騎士団長殺し」が発売された2017年は、子育てに追われていて本を読むどころではなく、読んでいなかったのを思い出したのです。
本作も、村上春樹さんらしい世界観炸裂でした。
毎回共通する登場人物の、ある1人の孤独な男性の日常描写は、本当に素晴らしの一言です。
日常がいかに無情に過ぎているのかを感じると同時に、日々の生活についてとても丁寧に書かれています。
食についての淡々としながらも事細かな文章も、生の本質ともいえるべき食べることによって生きているんだ、という事を改めて愛おしく感じさせてくれる。
春樹節とも言うべきか、彼にしか書けない世界観だなと。
また、村上春樹さん自身のテーマである「井戸を掘る」のは、今回も健在で。
どの作品にも一貫としてありますよね。
人と深く繋がっていくのには、孤独になる必要があって。
暗い暗い井戸をどんどん掘って降っていく。
自分ととことん向き合い、孤独の寂しさや苦しさを全て受け入れて、やっと井戸の底に到着する。
そして井戸の底で、ようやく他者と繋がることができる。
私がまだ30代前半の時、様々な孤独を体験していた時に入ってきた、村上春樹さんからのメッセージで。
当時その感覚がものすごくわかり、救われた思いがしたのでした。
(以前この内容のブログを書いているので、よろしければご一読ください)
今回読んだ「騎士団長殺し」。
肖像画家である主人公は、冒頭で妻から離婚を告げられます。
居ても立っても居られず家を飛び出し、数ヶ月間旅をした後、友人の父親が住んでいた山奥の家に暮らすことに。
友人の父親は著名な日本画家で、屋根裏に隠していた一枚の絵画を発見することから、様々な人との出会いや出来事に巻き込まれていきます。
クライマックスである、物語の重要な役割を果たす少女を探しに、地下へ降りるシーン。
不思議な世界の中で、主人公が「メタファー通路」という通路が異なる道を進み続けていくのですが。
進み続けていくうちに、道がどんどん狭くなり、ついには挟まれて前に進めなくなってしまいます。
さらに主人公は「二重メタファー」という、自分の内側ある深い暗闇に昔から住んでいる、邪悪なものに支配されそうになります。
「おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ」
と囁き続けられる主人公。
でも彼は、果たすべく少女を救うために、強い意志を持って「二重メタファー」に打ち勝ちます。
「前に進まなくてはいけない。
そこにどれほどの痛みがあろうと。
だってこの場所のある全ては関連性の産物なのだ。
絶対的なものなど何ひとつない。
痛みだって何かのメタファーだ。
全ては相対的なものなのだ。
光は影であり、影は光なのだ。
そのことを信じるしかない。
そうじゃないか?」
その文章に、ふるりと心が震えました。
ああ、今年私はずっと留まっていて、どこにも行けずに、自分が作り上げた二重メタファーに支配されていたんだなと。
自分の人生は、自分しか駒を進めていくことはできず。
日々決断をして進んでいくのですが、それが往々にして難しいときがあります。
今の置かれている状況を把握できなかったり、客観性がなかったりと。
そんな時はつい止まってしまいます。
自分は常に迷っている事の方が多いのではないか。
それでも最終的な答えを出すのは、やっぱり自分しかいなくて。
そんな中ふとした一言が、自分の前をキラキラと駆け抜けていく瞬間があります。
天からのエールともいうべきか。
それを感じた時は、魂が浮く感覚があります。
その小さく力強い感覚は、人生を決断していくのにおいて、指針にもなるし、癒しにもなる。
絶対に必要な感覚なんだと思います。
文学や芸術はまさに、その感覚をキャッチするために必要であって。
村上春樹さんの作品は、よくわからない答えに共感できる何かがたくさんあり、それを文章で表現できるのは本当にすごいなと思います。
だからこそ、たくさんの方に支持をされ、日本に留まらず世界中で彼の本が読まれている所以であるわけです。
もはや自身で書くというよりは、天からの通信を物語に置き換えて伝達しているんじゃないかと思います。
天から選ばれた確固たる作家なのだと感じます。
そもそも「騎士団長殺し」を読もうと思ったきっかけは、山田五郎さんのYouTubeでマティスの会を聴いていた時に話されていて。
山田さんは「騎士団長殺し」に出てくる肖像画家である主人公のモデルは、マティスなんじゃないかとおっしゃっていました。
村上春樹さんは何もマラソンだけしているわけではないと 笑
あの人はマティスと一緒で、毎日毎日文章を書き続けていると。
(マティスも一枚の絵を何枚も描き直すそう)
そして2人位天才だと、天からの声が聞こえてくると。
天才とは、天の声を聞くという。
それがわかるという。
その声に導かれるままに、ここで終わりなんだという完成どころがわかる。
それはもう、選ばれしものの天命職ですよね。
ちょうど今年の7月末まで、上野の東京都美術館でマティス展が開催されていて。
その展覧会がものすごーーく良くて良くて。
マティスの初期から晩年までの歴史を、丁寧に振り返ることができる大回顧展で
またしても館内で心がふるりと震えました。
特にマティスの最後に行き着いた大仕事、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂の集大成が本当に素晴らしく。
建物建設、装飾、什器、祭服など全てのデザインをマティスが担当。
洗練というのはこういうことか、と感じざるを得ない出来栄えで。
細部までマティスのパッションが行き届いた教会は、見事としか言いようがありませんでした。
展覧会の最後に書かれたマティスのセリフ
「今も続く
探究心の果てに
運命によって
私が選ばれた仕事である」
展覧会に行った誰しもが、この言葉に胸を打たれたのではないでしょうか。
引きこもり中にすっかり元気をいただいた夏。
私も自分にできることを模索していく旅を再開していこうと思います。