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デザイナーとは、視覚を操るプロ

本日はせっせとroomsで配布する販促物の作成をしていました。
開催まで残すところ2週間ほど。

メインビジュアルは色々と考えて、最近の作品をちりばめたデザインにしました。
カモコラージュの世界観が、一番伝わりやすいかなと。

ちなみにこれは、完全にデザイン作業です。
アート作業ではなく。

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私、普段は渋谷のヒカリエ8Fにある、MOVというコワーキングで働いています。

その中には面白い方がたくさんいらっしゃり、ものすごく刺激を受けています。
業種はそれぞれ全く違う上に、年代も20代から70代までと幅広く、国籍もバラバラ。
自分で会社を起こしている方が多いので、考え方がユニークで常識にとらわれていない人が多いです。

まさに、多種多様。
今の時代ならではの働きの場です。


そのMOV仲間の一人、医療コンサルタントの会社を立ちげている、切れ者の方がいらっしゃるのですが、お昼間アートについて話をしていました。


印象深かったのは、アートとデザインの違いとは。

彼曰く


アートは
一見よくわからないもの。なんだこれ?と思わず見てしまう。(特に現代アートは)
営利目的ではなく、説明的ではなく、作り手の精神的部分を打ち出しているもの。

その点デザインは、逆。
見やすく、メッセージが明確でわかりやすく、営利的なもの。


なるほどなあと、分かりやすく具現化されていらっしゃる。
さすが切れ者は違います。

自分の中でも切り替えのスイッチがあり、今日みたいに販促物としてチラシデザインを作る時と、カモコラージュを作成するときは脳の働きが全然違います。

今日みたいなデザイン作業の方は、左脳を良く使う気がします。
カモコラージュは、フルに右脳稼働、余計な事は考えず本能に従うのみ。


クリエイターの微妙なラインというのは、まさにそこだと思います。
私は、アーティストなのか?デザイナーなのか?

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これは、私が以前こなしていた媒体のポートフォリオの一例です。
ザ・商業デザインです。

ひょんなご縁で、2007年から中古車情報誌Goo/Goo Bikeの表紙デザインを担当することになりました。
車の免許すら持っていませんでした。もちろん車の知識も無。

当時のGooは全国誌で、月額の総計100万部数を誇るモンスター雑誌でした。
ですので、表紙デザイナーに就任した時は、相当なプレッシャーがありました。

月に二回撮影をするのですが、周りは車のプロ集団。
車無知でしかも20代だった私は、現場ではとにかく虚勢をはることしかできませんでした。

それも後々無意味だった事に気づくのですが。

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このお仕事は、かれこれ5年ほどやらせていただきました。
Gooに関してデザインに必要な事は「これは中古車情報誌である」という分かりやすさと、とっつきやすさです。

商業デザインはターゲットが明確ですし、それに基づくデータも、大企業ならでは、しっかり出ています。

なので、こちらとしては大変作りやすいです。
そのターゲットに合ったデザインというのは、そこまで振れ幅が大きくないからです。

デザイナーとは、視覚を操るプロです。

車の知識とデザインの知識はまた別物。
なので、車の知識がなくてもしっかりやってこれました。(とはいえ、その間免許を取り、勉強もしました!)

私はそこにずっとやりがいを感じていたんだと思います。

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いつか、自分のアート性とデザイン性が、一緒になる時がこないかなと思っています。
それは商業との間にいるクリエイター全員が、本能的に持つ願望なのかなと。

自分のアート的思考が、世の中に必要なものとされたら、これ以上の喜びはないです。

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アーティストの佐野元春が、まさにその事をインタビューで答えていて。
彼は音楽制作をどっぷりアート側に寄せた、日本人としては珍しい気宇な方です。
(こちらの記事紹介も、以前ご紹介したカルチャーに精通した友人が送ってくれました。)

記事の抜粋です↓↓↓



商業作詞家や商業音楽家はマーケティングから曲をつくろうとする。聴き手はこういうものを聴きたいのだろう、これを聴けば満足するだろうという曲のつくり方だね。

僕はこうしたスタイルを否定はしない。マーケティングによって成り立つ世界もありますからね。そもそも、僕はヒット曲は科学だと思っているので、ヒットする音や言葉の使い方がある。ヒットにこだわるというなら、マーケティング的な分析からつくるのがいいだろう。

しかし、僕のつくり方とは違う。僕はアーティストだからマーケティングから曲はつくらない。聴き手の想像力を限定してしまう音楽もつくらない。

自分のライフワークとして表現者でありたいと思っている。僕の世界観、目に映ったものを忠実にスケッチするというやり方で曲をつくっている。

こうしたやり方で、生きていこうと思う限り、聴き手を信じるしかないでしょうね。

僕は聴き手はこんなレベルだろうなんて絶対に思わないで、自分よりもはるかに感性の鋭い聴き手がいる、彼らに向かって全力でつくり上げようと思っている。

聴き手と、今すぐわかり合いたいとは思っていない。価値観は一人ひとり、違いますからね。いつか届けばいい。

ファンから「あの時の佐野の詩はこういうことが言いたかったのか」と十数年かけて理解されることだってあるんですよ。僕にとって、こうしたやりとりが大事なんですよ。

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いやー、カッコいい。。
この思想こそ、アーティストの最たるもの。



私が思うに

●デザインとは→
見る側を意図時に誘導するツールを製作するもの

●アートとは→
見る側に統一性観点を持たせない、もはや人力以上のなせるもの

だと思っています。

この話は長くなりそうなので、また後日。



今日は、デザイナーの目線からお話をさせていただきました!


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