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『ミッドサマー』へといたる道/ホラー映画 1996-2019(Part 2)

前回は『スクリーム』と『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、そして『女優霊』という3本の作品を通して、1996年前後のホラー映画を取り巻く状況を概観した。引き続き、ここでは90年代後半から2000年代初頭にかけての状況を振り返ろうと思う。

ギレルモ・デル・トロ監督『ミミック』

まず最初に、90年代にキャリアをスタートさせた2人のフィルムメーカー、ギレルモ・デル・トロとM・ナイト・シャマラン――彼らとジャンルムービーとの距離感を見ておきたい。

……と、その前に当時、アメリカ映画で注目を集めていた、ある製作会社について触れておこう。その製作会社――ミラマックス(および、傘下のディメンション・フィルムズ)は、90年代から2000年代初頭のアメリカ産ジャンル映画において、決して無視できない存在感を示していた。クエンティン・タランティーノ監督の長編デビュー作『レザボア・ドッグス』(1992年)を筆頭に、スティーブン・ソダーバーグ監督にパルムドールをもたらした『セックスと嘘とビデオテープ』(1989年)、ケヴィン・スミス監督の『クラークス』(1994年)、デヴィッド・O・ラッセル監督の『アメリカの災難』(1996年)といった作品を配給。前回取り上げた『スクリーム』も、ディメンション・フィルムズが配給を手掛けているし、また『フロム・ダスク・ティル・ドーン』では、配給と製作(タランティーノのア・バンド・アパート・プロダクション、ロバート・ロドリゲスのロス・フーリガン・プロダクションとの共同製作)を担当している。

新しい才能にいち早く目をつけ、広く世の中にアピールする。ミラマックス/ディメンション・フィルムズは、若いフィルムメーカーにとって登竜門的な役割を果たしていたわけだが、そんな野心的な製作会社が1997年に送り出したのが、ギレルモ・デル・トロ監督の『ミミック』だった。デル・トロにとっては、初めてハリウッドに招かれて撮った作品(監督としては2作目)である『ミミック』は、遺伝子操作によって作られた新種の昆虫が、ニューヨークの地下で繁殖し、人々を襲い始めるという内容。都市伝説をモチーフにしながら、モンスターに「ユダの血統」という名前がつけられていたり、モダンホラーというよりは怪奇映画風味を強く感じさせるあたりは――のちの『クリムゾン・ピーク』(2015年)や『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)により強く表れるように、デル・トロ自身の色なのだろう。

そんな本作の作業中、デル・トロはミラマックスのプロデューサー、ボブ・ワインスタインとファイナル・カットの編集権をめぐって対立するなど、激しく衝突する。度重なるトラブルを乗り越え、作品自体は完成させたものの、消耗しきったデル・トロは一旦、ハリウッドを去ることに。ペドロ・アルモドバルのプロデュースで次作『デビルズ・バックボーン』を撮るのは、4年後の2001年になる。ユニークなビジョンを持つフィルムメイカーと、商売っ気の強いプロデューサーが衝突するのは、ハリウッドでは日常茶飯事と言えるが、デル・トロとワインスタインの間で繰り広げられた確執は、その典型と言える。

デル・トロはその後、コミック原作の『ブレイド2』(2002年)でハリウッドに復帰すると、『ヘルボーイ』(2004年)や『パンズ・ラビリンス』(2006年)といった作品群を送り出し、またピーター・ジャクソン監督の『ホビット』三部作(2012~14年)の脚本、はたまたプロデューサーとしてテレビシリーズ『ストレイン 沈黙のエクリプス』(2014年)に参加するなど、活躍の幅を広げていく。彼の作品には一貫して、前述したような「モダンホラー以前の怪奇映画」を志向する部分と、「キッズ/ファミリー映画」を志向する部分があるように感じるのだが(後者は例えば、ドリームワークス・アニメーションと組んだテレビシリーズ『トロールハンターズ』(2016~18年)が典型だろう)、その両方が最も顕著に表れたのが、近年のプロデュース作『スケアリーストーリーズ 怖い本』(2019年)のように思う。

M・ナイト・シャマラン監督『シックス・センス』

M・ナイト・シャマランもまた、ミラマックス配給作品で商業デビューを飾った監督だ。そのデビュー作『翼のない天使』(1998年)でプロデューサーを務めたのは、ソニー・ピクチャーズ出身で、ラリー・クラーク監督の『キッズ』(1995年)やハーモニー・コリン監督の『ガンモ』(1997年)といった、ユニークなインディ映画を手掛けたケイリー・ウッズ。彼は『スクリーム』でもプロデュースを担当している。

その『翼のない天使』自体は、興行的には惨敗に終わるのだが、その後、続けて監督したのが、1999年の『シックス・センス』になる。死者の姿を見ることができるという少年と、彼の治療を担当することになった精神科医(演じるのはブルース・ウィリス)、ふたりの交流(?)を描いたこの作品は、ホラーというよりスリラーといった方が正確だろうが、ツイストの効いたストーリー構成が抜群の効果を上げ、世界的に大ヒットとなる。そこからシャマランは、続く『アンブレイカブル』(2000年)、そして本格的にホラー・ジャンルに取り組んだ『サイン』(2002年)と大きな成功を収めていく。

たぶんシャマランの魅力は、風呂敷を広げまくった――別の言い方をすれば、誇大妄想的でともいえるイマジネーションの広がりを、小気味のいいストーリーテリングと手堅い演出で(半ば強引に)まとめていく手腕にある。予算の大きな作品よりも、小・中規模作品の方がキレ味よく仕上がるという意味では、どこかフランシス・フォード・コッポラを思わせたりもするのだが、そういう意味でフィルモグラフィ上、重要なのは『デビル』(2010年)かもしれない。エレベーターに5人の男女が閉じ込められ、次々と何者かに殺されていく……という魅力的な導入を持つこの作品で、シャマランは原案とプロデュースを担当(監督は、ジャウマ・バラゲロとパコ・プラサによるスペイン産ホラー『REC/レック』(2007年)のリメイク『REC:レック/ザ・クアランティン』(2008年)を手掛けたジャン・エリック・ドゥードル)。サスペンスフルな導入から超常的な存在がぐっと前面に出てくる中盤、罪と罰というテーマをあくまでも即物的に扱う手つき、80分というタイトな上映時間まで含めて印象的な作品だ。

その後、ウィル・スミスを主演に迎えたSFアクション『アフター・アース』(2013年)を経て、彼はブラムハウス・プロダクションと組んで、『ヴィジット』(2015年)、『スプリット』(2017年)、『ミスター・ガラス』(2019年)の3作を手掛けることになる。ちなみに『デビル』を第1作とした「ナイト・クロニクル三部作」は2作目以降、制作がストップ。『アンブレイカブル』の続編を想定して書かれた3作目の原型プロットは、最終的に『スプリット』として作品化されることになった。

『キューブ』と『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』

これまで見てきたようにアメリカでは、80年代後半からインディペンデント映画――しかも娯楽映画、ジャンルムービーを志向したインディペンデント映画が、大きな盛り上がりを見せていた。その中には、後続に大きな影響を与えた作品がいくつか存在する。

その代表格は、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『キューブ』(1997年)とダニエル・マイリック&エドゥアルド・サンチェス監督による『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)だろう。どちらも「マイクロバジェット」と呼ばれる超低予算作品(前者は35万ドル、後者は撮影だけなら3万5000ドル、ポストプロダクションを含めると20~50万ドル)。予算はなくともキレのいいアイデアで一点突破し、大ヒットにつなげる。ある意味、この2本はジョン・カーペンターの『ハロウィン』(1978年)やトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』(1974年)、さらに遡ってヒッチコックの『サイコ』(1960年)――あるいはヒッチコックに『サイコ』制作を踏み切らせたという、ウィリアム・キャッスルとロジャー・コーマンの仕事から延々と続く、インディペンデントで優れた低予算ホラーの系譜に連なる作品といえるかもしれない。

『キューブ』はタイトルにもある通り、延々と連なる立方体(キューブ)の迷宮に、ある日突然、放り込まれた男女が、さまざまなワナを避けながら、脱出方法を探す……という作品。誰が何のために用意したのか、まるで判然としない不条理そのもののシチュエーションに加えて、冒頭に登場する処刑シーン、そのショッキングな効果も手伝って、最初から最後まで緊迫した展開が続く。また、迷宮を支配しているルールがわかってくるのと同時に、キャラクターたちが欲望を剥き出しにし始める(だから、最終的にはホラーというよりは不条理劇のように感じる)……という、ツイストの効いた構成も面白い。

また『キューブ』の大きな功績は、残酷なルールが支配する閉鎖空間に放り込まれた人々たちが、そのルールをかい潜って脱出方法を探す――いわゆる「デス・ゲーム」と呼ばれるサブジャンルを、広く知らしめたことにある。同様の趣向を持った作品は、その後、数多く製作されることになるが(高見広春の原作小説を映画化した、深作欣二監督『バトル・ロワイアル』(2000年)もそのひとつだろう)、なかでも最大のヒットととなったのは、2004年に公開され、その後シリーズ化もされた『ソウ』だ。

一方の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、ドキュメンタリー映画の製作のため、魔女伝説が残る森に入ったまま、消息を絶った学生たち――彼らが残したビデオ映像を再構成した、という触れ込みの疑似ドキュメンタリー(モキュメンタリー)。一応、主人公たちは映画学科の学生ということになっているのだが、手持ちのビデオカメラによって撮影された映像は終始、手ブレが激しく、観客が観たいと思ったところにはライトが当たらない。つまり、いつまで経っても決定的な瞬間は訪れない……のだが、その「素人っぽさ」が逆に、映像に真実味を与える効果になっている(それはある意味、本物の殺人シーンが記録されたという触れ込みで公開されたモキュメンタリーの古典『スナッフ』(1976年)と同様の手法だともいえる)。まさに低予算という条件を逆手に取った作品なのだが、この映画が成立した背景には、家庭用ビデオカメラが広く普及し、誰でも簡単に映像が撮れるようになった、という時代状況が関係している。

何気なく回していたカメラに、恐ろしいものが映っている……。それは、Jホラーの原点のひとつでもある、鶴田法男監督による『ほんとにあった怖い話』(1991~92年)が志向していた「恐怖実話」と共振する方法論でもあるし、事実、『ブレア・ウィッチ』とほぼ同じタイミング(1999年)で、日本でも投稿スタイルによるホラーオムニバス『ほんとにあった!呪いのビデオ』のシリーズがスタートしている。そして、この「モキュメンタリー・ホラー」というスタイルは、2007年公開の『パラノーマル・アクティビティ』で世界的ヒットへと結実するのだが、これについては、製作会社のブラムハウス・プロダクションの興隆を見る際に、改めてまとめてみたい。

いずれにしろ90年代後半にヒットを飛ばした2本の映画、『キューブ』と『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、その内容はもとより、形式(スタイル)において、映画制作者に新たなインスピレーションを与え、さらには『ソウ』と『パラノーマル・アクティビティ』という特大ヒットにつながる道を用意した。それは、インディペンデントゆえの低予算という制約を、逆手に取るところから生まれた冒険でもあった。

『ファイナル・デスティネーション』

一方、メジャー系のスタジオにも見るべき作品は(もちろん)いくつもある。ひとまず、ここでは2000年に公開された『ファイナル・デスティネーション』を挙げておきたい。予知夢をきっかけに、悲惨な飛行機事故から逃れることができたかに思えた高校生たち。しかし死の運命は彼らを決して手放すことはなく、次々と悲惨な死を迎えていく。タイム・ワーナー傘下のニュー・ライン・シネマが製作を手掛けた本作は、全世界で1億ドル以上というヒットを記録する。

今回の記事を書くにあたって、いろいろと調べていると、この時期のホラー/スリラー映画に、ウェス・クレイヴンが与えた影響の大きさを痛感するのだが、本作の脚本を手掛けたジェフリー・レディックもウェス・クレイヴンの影響下からキャリアをスタートさせた制作者だ。『エルム街の悪夢』(1984年/ウェス・クレイヴン監督)の大ファンで、自分の考えた続編のプロットをニュー・ライン・シネマに勝手に送りつけたところから、キャリアをスタートさせたという彼は、その後、プロットを受け取ったニュー・ラインのプロデューサーで、スタジオの設立者でもあるロバート・シェイのもとでアシスタントとして働くことに。シェイは『エルム街』シリーズ以外にも、『ヒドゥン』(1987年)やピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(2001~03年)、変わったところではジョン・ウォータース監督の『ヘアスプレー』(2007年)などのプロデュースを手掛けた人物だが、ともかく、そんなシェイのもとでキャリアを積んだレディックが、たぶんに『エルム街』にオマージュを捧げつつ、執筆したのが『ファイナル・デスティネーション』の脚本ということになる。言われてみれば、夢をきっかけに死の恐怖に立ち向かうというところは、たしかに『エルム街』と共通しているし、高校生のグループが次々に惨劇に巻き込まれていくあたりは『スクリーム』とも似ている。

またレディックとともに、脚本にクレジットされている監督のジェームズ・ウォンとグレン・モーガンは、どちらも大ヒットしたテレビシリーズ『Xファイル』(1993~2002年)に参加していたクリエイター(もともとウォンがテレビシリーズ『21ジャンプストリート』(1987~90年)に参加する際、脚本執筆のパートナーとして高校の同級生だったモーガンを招いたのが、コンビ結成のきっかけだったそう)。「死の運命」という表象不可能な「概念」を、どこからともなく吹き付ける「風」によって表現するという――即物的だが、どこか曖昧な(そしてある意味、古典的な)表現で処理する『ファイナル・デスティネーション』の演出の潔さは、たしかに『Xファイル』のテイストに近い。

さておき、ヒットしたホラー作品の例に漏れず、この『ファイナル・デスティネーション』はシリーズ化されることになる。2003年に公開された2作目『デッドコースター』を皮切りに『ファイナル・デッドコースター』(2006年)、『ファイナル・デッドサーキット3D』(2009年)、『ファイナル・デッドブリッジ』(2011年)と、約3年に1作ペースで新作が公開。作を重ねるごとに「死」の見世物化というか、ジェットコースター感が増していくこのシリーズだが、たぶんそこに大きく寄与したのは、2作目とシリーズ最大のヒットとなった4作目で監督を務めたデヴィッド・R・エリスの手腕だろう(彼は『セルラー』(2004年)や『スネーク・フライト』(2006年)といった快作を手掛けた後、2013年に急逝)。そして、こうした「死を即物的に描く」スタイルは、2000年代の中盤、イーライ・ロスやフレンチホラーの演出家たち――『ハイテンション』(2003年)のアレクサンドル・アジャ、『マーターズ』(2007年)のパスカル・ロジェ――が推し進めた「スプラッタの再評価」とも、共振しているように思える。

ダーク・キャッスル・エンターテインメント

この項を締めくくるにあたって、最後にもう一社、製作会社を取り上げておきたい。ダーク・キャッスル・エンターテインメントは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)や『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)のヒットで知られる映画監督、ロバート・ゼメキスと、『ダイハード』(1988年)や『リーサル・ウェポン』(1987年)、『マトリックス』(1999年)など、アクション映画のヒット作を数多く手がけるプロデューサー、ジョエル・シルヴァーにより1999年に設立された製作会社。社名の「ダーク・キャッスル」は、1950年代から60年代にかけて、ユニークな低予算ホラーを多数手がけた映画監督、ウィリアム・キャッスルから採られている。

ウィリアム・キャッスルというと、個人的にはジョー・ダンテ監督の傑作『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』(1993年)に登場する映画監督、ローレンス・ウールジー(演じるのはジョン・グッドマン)のモデルになった人物だ。『マチネー』の劇中、新作『MANT!』のためにウールジーは自ら劇場に赴き、客席にさまざまな仕掛けを――今でいう、4DX(!)のような仕掛けを取りつける……のだが、こうした客を驚かせるギミックこそ、ウィリアム・キャッスルが得意としたものだった。そのギミックは例えば、キャッスルのファンを自認するジョン・ウォータース監督の『ポリエステル』(1981年)で使われた「オドラマ(上映前に香りを染み込ませた紙が観客に配られ、画面の指示に従って紙をこすると、場面に応じた香りが匂う)」として、予期せぬ復活を遂げたりもするのだが、ともかくウィリアム・キャッスルは、大衆映画の「いかがわしさ」を愛する人にとって、ある種のスターであり、敬愛の対象であり続けている。

そんなスターの名前を冠にして、ゼメキスとシルヴァーというハリウッドを代表するヒットメイカーがホラーの制作に乗り出す。しかも最初の3作『TATARI タタリ』(1999年)、『13ゴースト』(2001年)、『ゴーストシップ』(2002年)は、いずれもキャッスル作品の現代版リメイク。そこからは、ジョン・カーペンターやジョージ・A・ロメロ、トビー・フーパーといった演出家たちが革新するよりも前の、いかがわしさと怪しさに溢れたホラー映画を自分たちの手で作ろうという、蛮勇ともいえるユニークなセンスが感じられる。

ダーク・キャッスル・エンタテーテイメントは初期の3作以降、キャッスル作品のリメイクを離れて、マチュー・カソヴィッツ監督の『ゴシカ』(2003年)や「出エジプト記」をもとにした厄災パニック映画『リーピング』(2007年)などを送り出しつつ(ほかにも、2010年には『キューブ』のヴィンセント・ナタリが脚本・監督を務め、ギレルモ・デル・トロがプロデュースに名を連ねる『スプライス』も製作)、近年ではもっぱらアクション映画をメインに据えるようになるのだが、なにより重要なのは、このスタジオでの仕事をステップにジャウム・コレット=セラとガイ・リッチーという2人のフィルムメイカーに大きなチャンスが与えられたことだろう。

スペイン出身のジャウム・コレット=セラは、ミュージックビデオ業界を経て、シルヴァーのプロデュースの下、チャールズ・ベルデンの戯曲をもとにした『肉の蝋人形』(1953年)のリメイク『蝋人形の館』(2005年)で長編監督デビュー。その後、養子として引き取った娘によって、次第に追い込まれていく夫妻を描いたサスペンス『エスター』(2009年)を監督し、また『アンノウン』(2011年)や『フライト・ゲーム』(2014年)など、リーアム・ニーソン主演のアクションスリラーで、着実にキャリアを重ねていく。2016年に公開されたパニック映画『ロスト・バケーション』では、サメ1匹と女子大生の対決というミニマムな設定を、緊迫した演出で描き切り、その確かな手腕を感じさせてくれた。今年公開予定だったが、コロナ禍の影響で公開が来年に延期された、ドウェイン・ジョンソン&エミリー・ブラント主演の『ジャングル・クルーズ』が監督最新作になる。

一方のガイ・リッチーといえば、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998年)で長編監督デビューを飾った、イギリス製アクション映画の新鋭。……だったのだが、当時、妻だったマドンナを主演に迎えた『スウェプト・アウェイ』(2002年)が大失敗に終わり、キャリア的にはどん底に。2005年にはリュック・ベッソンと組んで『リボルバー』を手掛けるも、これも(リュック・ベッソンのプロデュース作らしく)パッとした評価が得られない中で、ジョエル・シルヴァーから声がかかったのが、ダーク・キャッスル社の『ロックンローラ』(2008年)だった。ジェラルド・バトラーを主演に迎え、イドリス・エルバやトム・ハーディなども出演したこの作品は、いかにもガイ・リッチーが得意とする要素でがっちりと固めた原点回帰的な一作で、ここでやや復調の兆しを見せた次に手掛けたのが、ロバート・ダウニーJr.を主演に迎えた『シャーロック・ホームズ』(2009年)。世界的にヒットとなったこの作品で、ガイ・リッチーは完全復活を果たすことになる。

……と、話はホラー映画から随分と離れてしまった。ひとまず、インディペンデント映画への注目が集まり、また撮影環境が変化する中で、「低予算」を逆手に取った作品が現れるようになり、またその一方で、シリーズ作とは異なるやり方で、過去の遺産を受け継ごうとする動きが活発化する――そうした状況が、2000年前後に現れ始める。そしてこの流れに、新たな世代のフィルムメイカーが加わることで、ホラー/スリラー映画はさらなる広がりを得ることになる。

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